東京の賢治(2)
   

東京の賢治(2)


Kenji & Event

2000年12月23日 東京の賢治(2)

東大赤門


「賢治の訪れた東京」の2回目は、文京区本郷付近です。 年末、クリスマスも間近な一日、賢治が滞在したという場所に行ってみました。 賢治ゆかりの「東京」の訪問、前回は偶然にもちょうど2年前の今日でした。

☆東京の賢治(2)☆
   

文信社跡
東大赤門近くの文信社は、賢治が謄写屋として仕事をしていた所です。 1921年1月、家族に無断で国柱会への入会を決心し上京した際に勤めた場所です。 ちょうど今から80年前の冬のことですね。 現在は、大学堂眼鏡店になっています。

賢治の居住地跡
本郷の旧菊坂付近は、なかなか趣のある場所です。 正面のアパートがその場所にあたります。 文京区教育委員会が設置した解説看板がありましたので、内容を記しておきましょう。 「宮沢賢治旧居跡 文京区本郷4-35-4 宮沢賢治〔明治29年(1896)-昭和8年(1933)〕は詩人・童話作家。 花巻市生まれ。 大正10年(1921)1月上京、同年8月まで本郷菊坂町75番地稲垣方二階六畳に間借りしていた。 菜食主義者で馬鈴薯と水の食事が多かった。 東京大学赤門前の文信社(現大学堂メガネ店)で謄写版刷りの筆耕や校正などで自活し昼休みには街頭で日蓮宗の布教活動をした。 これらの活動と平行して童話・詩歌の創作に専念し、1日300枚の割合で原稿を書いたといわれている。 童話集『注文の多い料理店』に治められた「かしわばやしの夜」、どんぐりと山猫」などの主な作品はここで書かれたものである。 8月、妹トシの肺炎の悪化の知らせで急ぎ花巻に帰ることになったが、トランクにはいっぱいになるほど原稿が入っていたという。」

樋口一葉の菊坂旧居跡(1)
近くには<樋口一葉が暮らした菊坂旧居跡もあります。 独特の家並みがあります。 賢治が生まれる以前にこの付近に暮らしていたのですね。 このホームページの「文人たちの見た星空」の樋口一葉「日記(よもぎふ)」は、この時期のものです。 一葉はこの付近で月夜を楽しんでいたようです。

樋口一葉の菊坂旧居跡(2)
写真は、一葉たちが飲料水を汲んだと思われる井戸だそうです。 昔ながらの手動の井戸。 付近は今も生活の場でもあります。 見学の場合は注意しましょう! (詳しくはNAMさんの「ぶらり文学史跡散歩」のページがおすすめ。)

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