「風景とオルゴール」の旅
   

「風景とオルゴール」の旅


Kenji & Event

2000年9月15日〜17日「風景とオルゴール」の旅

イーハトーブ館


9月中旬、祭日と週末が重なりお休みとなりました。 この休みを利用して、花巻行きとなりました。 中でも9月16日は、賢治の詩集「春と修羅」に収録された「宗教風の恋」「風景とオルゴール」「風の偏倚」「〔昴〕」の4つの作品の持つ日付と同一の日です。 その日付は、1923年9月16日で、今年はその77年後にあたります。 この作品の日の賢治の行動について、作品研究もあり、次のとおりとされています。 栗原敦著「宮沢賢治透明な軌道の上から」より引用

 作品群の取材日付と見られる九月十六日は日曜日、作者の生活誌的な背景を兼ねることができるとすれば、この休日に賢治は昼間「洋傘」(「風景とオルゴール」)持参で出掛け、夕方橋を渡り、「電車」(「昴」)に乗って戻って来たらしい。

 そこで、今回はその賢治の歩いた道の一部を歩いてみることにしました。

☆晩夏の花巻にて☆
   

大沢温泉
写真は、「賢治ゆかりの温泉」としておなじみの大沢温泉です。 ここは、賢治がまだ子供だった頃からなじみの温泉でした。 今回の旅とは直接関係ありませんが、ちょっと立ち寄ってみました。 花巻市内よりも空気がひんやりしています。

旧大沢温泉駅跡付近
この通りは、花巻の市街地から北上川の支流、豊沢川沿いに続く道で、さらに進むと鉛温泉や、豊沢ダム(豊沢湖)、そして童話「なめとこ山の熊」の舞台とされる「なめとこ山」があります。 1923年9月16日、賢治はこの通りの少し先にある、五間ヶ森に出かけ、夕闇迫る頃、この道を歩き帰宅します。 作品の「スケッチ」が事実の描写であるならば、雨も止み、雲間から月も見え始めた時間でした。 賢治がここを歩いた頃には、花巻電気軌道と呼ばれる鉄道がこの道を通っていました。


五間ヶ森
少し志戸平温泉寄りに歩いた場所から見た五間ヶ森です。 写真では、右側の山です。 標高569メートルの山で、作品の中では、「五間森(ごけんもり)」として出ています。


松倉山
写真は、歩きながら撮影したビデオの一画面です。 正面に見える堂々とした山は松倉山です。 詩「風景とオルゴール」では、「黒く巨きな松倉山」と表現されるとおりのイメージです。 歩いた時間は昼間でしたが、夕闇迫る時間なら、「黒く巨きな」がぴったりです。 写真の山の下の場所にわたり橋があります。 道はその手前で右側に分かれ、渡り温泉へと通じています。

わたり橋
写真は、わたり橋から見た松倉山です。 ちょうど橋の欄干から撮影した風景です。 下は豊沢川の流れで、川の音が良く聞こえます。 賢治のいた当時は木でできた橋で、 「クレオソートを塗つたばかりのらんかんや」、とあるとおり独特の匂いが漂っていたことでしょう。 作品の内容からすると、賢治はここでちょっと立ち止まり、橋に傘を立てかけながら、川の水音に耳をかたむけたり、月を眺めたりしながら空を見上げていたようです。

松倉山
道はやがて松倉山の下をかすめるように大きくカーブし、まもなく志戸平温泉へと通じます。 写真は、志戸平温泉の少し手前で振り返って眺めた松倉山です。 賢治は、さらにしばらく歩いて途中の駅から電車に乗り帰宅します。 時間の関係で、夕方この場所に来ることができませんでしたが、賢治がそうであったように半月を見ながら歩いてみたいものです。 この時、賢治の見た星空については、こちらからどうぞ。

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