「宮沢賢治春季セミナー」
   

「宮沢賢治春季セミナー」


Kenji & Event

1997年3月22日〜23日 花巻にて


「宮沢賢治春季セミナー」

平成9年3月22日(土)〜23日(日)
於 宮沢賢治イーハトーブ館
  岩手県東山町     

主催
宮沢賢治学会イーハトーブセンター
宮沢賢治イーハトーブ館


宮沢賢治春季セミナー 日程
3月22日(土)
講演 「大正デモクラシーと宮沢賢治」 山根知子
3月23日(日)
賢治体験バスツアー 「旧東北砕石工場・東山町を訪ねて」 東北タンカル工場
 旧工場施設
 賢治と仲間たちの群像
新山公園
 宮沢賢治詩碑


春のセミナーに参加してきました。 報告というにはあまりにもおそまつですが、こんな行事があったのか!と楽しく過ごすことができた参加記です。

第1日目は、イーハトーブセンターで開催されている「大正デモクラシーと宮沢賢治」展の監修をされた山根知子さんの講演でした。 大正の時代背景、文化などさまざまな側面から賢治とのかかわりを捉え、展示監修をするなかで見つけたエピソードなどが紹介されました。 なかでも、賢治の妹トシさんがいた日本女子大学の学長成瀬仁蔵が中心となって呼びかけた「帰一協会」の話や、東郷青児の「未来派詩」、 田中智学がカメラマンであったことなど、大変興味深い内容でした。

☆バスツアーレポート☆
   

東北砕石工場のふくろう
 最初に訪ねたのは、岩手県東山町にある「旧東北砕石工場」跡です。 賢治は肥料設計の仕事を通して鈴木東蔵が経営していた、東北砕石工場とかかわりを持ち、技師として勤めていました。 時期的には1930年(昭和6年)から31年(昭和7年)にかけての時期で、賢治にとっては晩年とも呼べる期間に活躍した場所です。 工場跡地入り口付近には、賢治ゆかりのふくろうをデザインしたオブジェ(石碑)があり、見学者たちを迎えてくれました。

東山町長のあいさつ
 旧東北砕石工場は、現在「東亜産業株式会社」と社名を変更し、肥料だけでなく、アスファルトの材料として石灰を生産しています。 工場の支店長那須四郎さんによると、石灰の需要は、そのほとんどが春に集中し、他の期間には生産が減少するそうです。 理由は公の予算編成と公共事業の受注が年度末に集中することによるとか...。 つまり繁忙期と閑散期があることなど、たいへん勉強になりました。 今回の見学のために、町長がわざわざいらして下さいました。 また、地元の「東山賢治の会」の協力でたいへん詳しい説明を聞くことができました。

旧東北砕石工場
 よく賢治研究書などで紹介されている旧東北砕石工場の建物です。 かなり老朽化が進んでいますが、文化財として保護されることになり平成10年を目処に一般者も見学できるように整備されるそうです。 賢治がいた当時は、手前の木造部分が事務所や食堂として利用されていたそうです。 複雑に増築が繰り返され、部分ごとに構造が異なっているのが特徴的です。

案内看板
 賢治と東北砕石工場のかかわりを解説した看板です。 「宮沢賢治と東北タンカル工場」という内容になっています。 この看板も、今後新しく付け替えられることでしょう。

工場の内部
 工場の内部です。 現在は利用されていませんので、一般者は立ち入ることができませんが、今回のセミナーのため特別に照明などを用意して下さり、見学することができました。 内部は一面の石灰で、賢治いた当時の木製のはしごが残されていたり、砕石に用いる施設などがありました。 この建物も保存のため整備されるそうですが、手を加えられていない様子を見ることができ大変ラッキーでした。 また、この場所から奥深く150mほど続く真っ暗な坑道も歩くことができました。 ちょうどこの写真のあたりに食堂があり、賢治さんもお弁当を食べたり休息をとったそうです。

賢治と仲間たちの群像(1)
 「賢治と仲間たちの群像」です。 工場跡地のすぐ横の広場に作られています。 当時の記念写真(1930年(昭和6年)3月26日撮影)をもとに、コンピュータを駆使した解析により、立体化した精巧な人物像が再現されています。

賢治と仲間たちの群像(2)
 上の写真の拡大です。 中央に帽子をかぶっているのが賢治、向かって左側にいるのが鈴木東蔵です。 まわりを取り囲んでしるのは、工場の工員たちで、賢治とたいへん親しくなっていたそうです。 付近は石灰の採掘場のように石が盛られていて、そのリアルさに驚きました。

工場跡地前の踏切
 工場跡地は、JR大船渡線の陸中松川駅のすぐそばにあります。 付近一帯の地質は、石灰岩からなりいたるところで採掘が行われていたそうです。 現在は環境問題などもあり、発掘方法など、賢治のいた当時とは変わったそうです。 また、付近にある「けいび峡」や「幽玄洞」などの観光地も、この石灰岩の地層による景観です。

詩碑
 「賢治と仲間たちの群像」のすぐ隣に、「あらたなる よきみちを得しといふことは  ただ あらたなる なやみの道を得しといふのみ 宮沢賢治」と刻まれた碑があります。 この碑の土台は賢治がいた当時、砕石に使われた「フレットミル」という器材に使われたものだそうです。

詩碑
 東山町役場のすぐ裏手にある新山神社境内にある詩碑です。 東山町の青年たちが、1948年(昭和23年)に地域おこしのシンボルとして、哲学者谷川徹三氏の協力を得て立てられたものです。 碑には、宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」の一節「まづもろともに かがやく宇宙の微塵となりて 無力の空にちらばらう」と書かれています。 たいへん大きな碑ですが、当時の若者たちの手により、自力で運搬され据えられたそうです。

精養軒のお店にて...
 こちらの写真は付録です。 今回の旅行では、花巻にある賢治ゆかりの「花巻精養軒」を訪れることができました。 ご主人のはからいで、賢治がいた当時のお店の看板「RESTAURANT 精養軒」や、貴重な写真など、普通ではまったく見ることのできない品々を見せていただきとても感激しました。 このお店は賢治の童話「注文の多い料理店」に登場する「山猫軒」のモデルとなっただけでなく、賢治自身がたびたび利用したことでも知られています。 当時の建物は改築され、残されていませんが、とても懐かしい気分になりました。

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