賢治の広場「蔵」 |
賢治の生家は花巻市の豊沢町というところにありますが、この夏の間、生家に隣接した家の方が
自宅の蔵を改造し、小さな展示スペースを用意して下さっていました。中には賢治と豊沢町の地域の様子がいろいろと展示され、
親切なおじさんがいろいろと説明していました。 |
花巻祭のみこし |
その蔵の横におおきなみこしが置かれていました。今年花巻祭は9月5日から7日まで行われましたが
その時に使われたそうです。大きな犬と中央奥の人形が見事です。 |
賢治の生家 |
ここが賢治の生家です。門の横には石柱があり、「宮沢賢治生家跡」として以下の解説文
があります。「明治29年(1896)8月27日宮沢賢治は現在の花巻市豊沢町4号11番地に父政次郎、母イチの長男として
生を受けた。第二次大戦末期(昭和20年=1945年8月10日)の空襲により居宅は焼失、現在の住居は戦後2回立て直されて
賢治在世中の面影はない。現在は弟清六氏とその家族が住む。土蔵は空襲時、内部に火が入り、屋敷内に形骸のみをとどめて
いる。表通りに面して立つ土蔵は隣家のものである。」なお、当然ながら屋敷内は見学することはできません。 |
イギリス海岸(1) |
イギリス海岸の案内看板です。
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イギリス海岸(2) |
イギリス海岸の土手の大きなくるみの木の下には、石でできた解説板があります。
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イギリス海岸(3) |
北上川の河原から見た下流(朝日橋)方向です。ここで撮影された天体写真をよく
みかけます。川の水位が高いのでくるみの化石を探すことはできませんでした。 |
イギリス海岸(4) |
これは上流方向を見た写真です。このあたり一帯は渇水期に川底が出て、賢治の言うイギリスの
ドーバー海峡付近の地形に類似したものとなります。写真の左側奥が、猿ケ石川との合流地点です。童話「銀河鉄道の夜」
や詩「薤露青(かいろせい)」に出てくる「プリオシンコースト」のモデルとも言われている場所です。
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イギリス海岸(5) |
土手沿いには、しろつめ草やコスモスが咲いていました。さわやかな気持ちよい風が吹いて
秋の訪れを感じます。 |
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