新美南吉 1939(昭和14)年7月21日
   

新美南吉
短歌
1939(昭和14)年7月21日




新美南吉が教師として活躍していたころ、安城高等女学校の引率で富士登山をし、月を取り入れた短歌を詠んでいます。(注1)

(1) 月明りに夜も雲湧きぬ富士泊り
(2) 山頂に月青き夜をさめてをり 

この作品の風景の時間はいつ頃なのでしょうか?  まずこの日の富士山における天体歴を計算すると、

日の入  19時18分     
薄明終了 20時40分     
月の入  21時59分     

となります。 また月齢は4.6(20時)ですから、宵の空、南〜西にかかる半月少し前の月とみることができます。
当時の記録によると、7月21日から22日にかけ出かけたとされています。 夜行登山だったのでしょうか? 期間が一泊の旅行であったことからすると、21日昼間に登山を始め、中腹で仮眠、22日夜明け近くに登頂するのが一般的な計画でしょう。 作品の内容とも一致するようです。 そうすると、南吉が月を見ることが可能なのは、21日の宵ということになります。 (1)には、「月明り」という言葉があります。 月明りを意識するという点で、薄明の影響がなくなってからと推測すれば、20時半頃から月が沈むまでの間、22時頃までと限定できます。 月の高度は20時で19.9度、20時30分で14.2度、21時で8.4度となりますから、せいぜい20時30分すぎ頃までが「月明り」を感じる時間でしょうか。 (2)の作品でもほぼ同様の時間が該当するようです。 月が地平線付近に近づくと、大気の影響を受け、やや赤みを帯びてきます。 シミュレーションした画面は20時における西の空です。 西の低空の月が見えていたことから、登山コースは富士宮口からのものと想像されます。 (御殿場口からの登山では、月が富士山の裏側に隠れてしまうかも知れません。)
この晩は、19時15分に昇った火星が-2.5等で明るい姿を見せ、続いて木星が22時08分、土星が23時10分が昇っています。 明るい惑星が黄道付近に並び、にぎやかな夜空だったことでしょう。 頂上での御来光の時間は4時35分です。 果たして、南吉は見ることができたのでしょうか?

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(注1)「新美南吉文学散歩」渡部芳紀氏による


- 参考文献 -

(1)「国文学 解釈と鑑賞 779」至文堂
(2)巽聖歌編「新美南吉詩集 墓碑銘」英宝社


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