串田孫一 1962(昭和37)年 5月27日
串田孫一
北海道の旅
1962(昭和37)年 5月27日
登山家、そして文人としても著名な串田孫一(1915-)氏の見た夜空です。
最近出版された「北海道の旅」には1962年の春、北海道を旅したときの様子がつづられています。
文章には車窓や旅先の宿から見た星空の様子が描かれています。
そんな記述を手がかりに、その時の夜空をシミュレートさせてみました。
「北海道への旅」(1)の「28斜里岳の雪と藪と岩。頂上から三井農場へ下る。」では、さりげなく春の星座が書き込まれています。
また、斜里岳の日蝕観測の記録にもふれています。
『北海道の旅』 28より抜粋
斜里岳には明治六年にアメリカの地質学者ライマンの登山が記録されているし、昭和十一年の日蝕観測の時にはストラットンというイギリスの学者が登っている。
ガイド・ブックに書いてあることだが頂上の一段下にある、もう使いようもなくこわれた避難小舎は、観測の時にでも使ったものであるのだろうか。
中略
バスの終点にある店があまり大きいので驚いた。
きれいな奥さんが出て来て電話をかけてくれた。
斜里からしばらく前に一台三井農場へお客を乗せて出たから、その帰えりをつかまえて運転手に話してくれという返事で、私たちはその店でアイスクリームを買い、それを食べながら道に出ていた。
ベレニスの髪が、さっきまで見ていた斜里の灯よりも遥かにかすか天頂にあった。
それから牛飼や冠。
よく晴れている。
「28斜里岳の雪と藪と岩。頂上から三井農場へ下る。」より(P245,252-3)
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まず最初に、ストラットンの観測した日蝕についての記載があります。
昭和11(1936)年の日蝕を調べてみると、6月19日に皆既日蝕が起こっています。
この皆既日蝕は、稚内、網走、根室を通過するもので、オホーツク海岸沿いに多数の観測者が集結したことが記録に残されています。
主要な観測地は、稚内(神田壱雄、鈴木敬信)、幌延、中頓別(木辺成麿、小山秋雄)、名寄(名寄高等学校)、枝幸(京都帝国大学理学部宇宙物理学教室、花山天文台、緯度観測所)、雄武(京都帝国大学理学部上田班)、興部(水沢緯度観測所
山崎班、五藤光学研究所村上忠敬・五島斉三、朝日新聞社)、紋別(東京天文台窪川班、東京帝国大学天文学教室)、網走、女満別(東京天文台早乙女班、カリフォルニア工科大学ジョンソン)、斜里(海軍水路部、東京天文台服部班)、
根室などがあります。
英国スラットンらの観測地は、斜里岳の避難小屋付近とありますが、同じ斜里で観測した東京天文台服部班
の記録によれば「三井農場でスリット分光器でコロナの分光観測を行った。
しかし雲に妨げられ満足な結果は得られなかった。」(2)とあります。
果たして観測できたのでしょうか。
シミュレーションした画面は、5月27日の夜21時の天頂付近の星空です。
「薄明が終了した頃ふと見上げた空」といったところでしょう。
解説のとおりの星空が出ています。
まず、「ベレニスの髪」とは「かみのけ座」の学名Coma Berenicesを示しているのでしょうか。
一般には「ベレニケの髪」とされています。
現在では単に「かみのけ座」と呼ばれています。
一番明るい星が4等星(β星)で、肉眼で見ると微光星の集団で、淡くぼんやりとしたような見え方です。
この感じが「さっきまで見ていた斜里の灯りよりも遥かにかすか」という表現にさせたのでしょう。
星団のカタログとして知られるメロッテのカタログ(A Catalogue of Star Clusters shown of Franklin-Adams Chart Plates.P.J.Melotte,Mem.Roy.Astron.Soc.,60,175,1915)では、第111番(Mel.111)になります。
ヒアデス星団などと同様に、比較的近い距離にある散開星団です。
また、「牛飼」は「うしかい座」、「冠」は「かんむり座」で、いずれも有名な春の宵の星座です。
- 参考文献 -
(1)「北海道の旅」平凡社(1997)
(2)「改訂版 日本アマチュア天文研究史」恒星社恒星閣
kakurai@bekkoame.or.jp