串田孫一 1962(昭和37)年 5月15日
   

串田孫一
北海道の旅
1962(昭和37)年 5月15日




登山家、そして文人としても著名な串田孫一(1915-)氏の見た夜空です。 最近出版された「北海道の旅」には1962年の春、北海道を旅したときの様子がつづられています。 文章には車窓や旅先の宿から見た星空の様子が描かれています。 そんな記述を手がかりに、その時の夜空をシミュレートさせてみました。
「北海道への旅」(1)の「2急行列車の窓辺からの手紙。田園生活への憧れ。信号灯と十一日の月。」には文字どおり、月が登場します。 5月15日に東京の自宅を出た列車は、北へ北へと向かい、ちょうど場所は、青森県尻内の駅です。

『北海道の旅』 2より抜粋
 今、尻内で五分ほど停車時間があったので腰をのばしにホームへ出ました。 どこにも雲のない快晴で、十一日の月が明るく、あたりの星の光を覚束なくしていました。 機関車に水を入れ、水を貰っている機関車の方からは、蓋をあけた鍋か薬灌のように蒸気をぽっぽと立て、そこの駅の信号灯の光が射し込んで、実にきれいでした。
 長い旅のあいだにはまた雨に降りこめられることもあるでしょうけれど、これから青森について夜の海峡を渡って行くという時になって、この快晴は一つの祝福のように思われます。 この月が満月になる晩はどこに泊まっていることになるか、まあとにかく、毎日というわけには行かなくとも、なるべく筆まめに北海道通信を送ります。

「2急行列車の窓辺からの手紙。田園生活への憧れ。信号灯と十一日の月。」より(P24)

これから北海道へと渡ろうとする時、北国の小さな駅での様子を手紙にしています。 この日は快晴とありますから、もちろん澄んだ夜空見渡せたはずです。 シミュレートした時間は23時、夜もかなり更けた時間です。 当時の時刻表から、時刻を限定することも可能ですが、とりあえず23時としてみました。 本文にあるとおり、月齢11.4(23時)の月が南西の空、高度39度ほどの空にかかっています。 これだけ月が明るいと、本文にあるとおり「あたりの星の光を覚束(おぼつか)なくしていました。」とするのも当然のことと思われます。 月の出没時間などを計算すると、

月の出  14時23分     
日の入  18時47分     
薄明終了 20時39分     
月南中  20時39分     
月の入   2時48分(16日)

となります。 この続きにある文章、すなわち連絡船で北海道へと渡るシーンに「この波のない海峡を、月の光は海全体を明るくしている時に」とありますから、 月の入時間(16日2時48分)前に乗船したしたことがわかります。
そして、このあてのない旅を思って「この月が満月になる晩はどこに泊まっていることになるか」と記していますが、次の満月は、5月19日(土)となります。 調べると、ちょうど襟裳岬にいたことが判明します。
さて、シミュレートした画面を注意して見ると、月のすぐ左側に約3等星の恒星が出ていることがわかります。 この星は、おとめ座の2.8等星ポリマという名前の星です。 位置関係から、食が起こりそうな場所ですが、調べてみると月は北側を通過しており、掩蔽は起らないようです。 また、この夜は明るい惑星として木星(-2.8等星)が1時18分(16日)に昇っていますので、船上から眺めることができたはずです。 土星もやぎ座で輝いていました。


- 参考文献 -

(1)「北海道の旅」平凡社(1997)


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