登山家、そして文人としても著名な田部重治(1884-1972)の見た夜空です。
最近、再刊行された「わが山旅五十年」(1)は、生い立ちから、山に親しみ、そして各地の山々を次々と登ってゆく様子が時代別に記録集的に整理され、それでいて文章としても楽しく読むことができる構成になっています。
田部重治の山とのかかわりを知るには、好適な一冊と言えるのではないでしょうか。
もちろんその代表作、「山と渓谷」などもおすすめでしょう。
さて、「わが山旅五十年」にも星空を見上げた描写がわずかながら出てきます。
ちょっとした好奇心で、そんな星空を見てみましょう。
第三十七篇には、丹沢山脈を縦走するために入山し、初日、上野田の宿に泊まるところが描かれています。
1931年4月、まだ新緑も美しい山あいの宿、春の風景です。
私達は道志川のほとりの上野田につき、それから上青根をへて神山尾根に登り、八丁坂にとりつき、姫岳に至り、蛭ガ岳に登る予定だった。
ところが、上野田へ行くには上野原からの方が順路で三里あり、与世からだと四里ある。
それを知らない私達は、与瀬を二時半に下車して歩いた。
幸いその頃の与瀬からの道はいやではなかった。
というのは、山里は桜や李(すもも)の花盛りで、どこを見ても春ならざるはなく、谷間にせせらぐ流れも、新緑に蔽われて、その間から鶯のさえずる声が聞えた。
時たまに山間にゆとりがあると、麦が青く菜の花が黄色く、時には高原的情調も感ぜられた。
斯うしたいい気持ちで道志川を渡り、堤灯を手頼りに道志川のほとりの上野田の常盤屋についたのが八時頃だった。
ここは美しい町がかった山村、宿は一寸山の中では見られぬ小綺麗な感じがした。
床につく頃、雨の音がして心配したが夜中に晴れ上った。 翌十九日四時すぎ、案内者と共に出発した。 星は輝いている。 私達の最初の予定ではここから上青根をへて神山尾根を登り、八丁坂に取りつく積りだったが、神山尾根の道は大正十二年の丹沢大地震でなくなり、今はもっと東の横山沢に沿って登るときいた。
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(1)平凡社ライブラリー「わが山旅五十年」田部重治著 平凡社(1996再刊)
(2)草下英明著「星日記」草思社(1984)
(3)日本アマチュア天文史編纂会「続 日本アマチュア天文史」厚生社厚生閣(1994)
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