金子みすゞ 1930(昭和5)年 3月9日
   

金子みすゞ
(「金子みすゞの生涯」矢崎節夫著)
1930(昭和5)年 3月9日




童謡詩人、金子みすゞ(1903-1930)の見た夜空です。 金子みすゞの名前をご存じでしょうか。 明治から大正、そして昭和の初期、山口で活躍した童謡詩人です。 偶然にも宮沢賢治(1896-1933)のその短い生涯よりさらに短く、同時代を生きた詩人としても非常に感心がありました。 そんな彼女の作品にふれたのはつい最近のことです。 一度読むと心深く残る作品は、繊細であり、印象的でもあり、人を惹き付ける不思議な魅力を持っています。 作家矢崎節夫氏の尽力で、過去の膨大な作品や詳細な伝記(1)が公表され、詩集が出版されるようになったのもつい最近のことです。 ここでその生涯について解説することはできませんが、人生の最後を自殺という方法で区切りをつけなければならなかった事実に心が痛みます。
自分の死を迎えようとした晩、今夜の月がきれいであったことを家族に話しています。 また、母宛の遺書にもこの夜の月のように心静かであることを書き残しています。 そんな月をシミュレートしてみました。 場所は、みすゞがいた山口県下関、日付は1930年3月9日20時としてみました。
月齢8.9(20時)、半月を少し過ぎた月が南西の空、高度80度以上の位置に見えています。 見上げるというよりは、仰ぎ見るといった感じで、ほぼ真上にあるような雰囲気です。 日の入の時間などを計算すると、

月の出  11時51分     
日の入  18時20分     
薄明終了 19時41分     
月の入   3時13分(10日)

となります。 宵のひととき、藍色の空に輝きはじめた月の姿を見つめていたのでしょうか。 冬の明るい1等星や、ヒアデス星団のすぐ傍にある木星(-2.2等)も一緒に見ていたことでしょう。 矢崎節夫氏の伝記(1)によれば、夕食後、まだ三つだった娘のふさえと風呂に入り、それから家族で桜餅を食べ楽しく過ごしたといいます。 娘と引き離される運命に逆らえずどうすることもできない...、無力な自分を責めながら夜空を見上げたかも知れないと思うと、澄んだ空にかかる美しい月もどれほどせつない光に見えたことでしょうか。
この時期、賢治は体調を崩し療養の日々を過ごしています。 翌4月には、東北砕石工場の鈴木東蔵が賢治を訪ね、石灰による土地改良の相談をしています。


- 参考文献 -

(1)「童謡詩人 金子みすゞの生涯」矢崎節夫著 JULA(1997)
(2)「新装版 金子みすゞ全集」JULA
(3)「金子みすゞへの旅」島田陽子著 編集工房ノア(1995)
(4)「金子みすゞ童謡集」ハルキ文庫(1998)


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