長田多喜子 1923(大正12)年 1月21日
   

長田多喜子
母の恋文(谷川俊太郎編)
1923(大正12)年 1月21日




最近文庫版として出版された「母の恋文 谷川徹三・多喜子の手紙 大正十年八月〜大正十二年七月」(1)は、詩人谷川俊太郎(1931-)の父、谷川徹三(1895-1989)そして母、長田(旧姓)多喜子(1897-1984)の手紙のやりとりを谷川俊太郎氏が整理して刊行したものです。 537通もの手紙のなかからその約四分の一がを整理してまとめた本です。 最近読んだものの中ではとても印象的な一冊でした。 谷川徹三氏、多喜子さんの時代は、ちょうど宮沢賢治がまだいろいろと活動していた時代とも重なり、賢治の年譜と重ね合わせてみるだけでも興味深い思いです。 さて、そんな手紙の中にも星の風景がありました。 数多くありますので、ゆっくりと紹介しましょう。
1923(大正12)年の1月「二十一日」に書かれた手紙です。 谷川徹三氏は京都市上長者町、長田多喜子さんは京都市外淀町に住んでいました。

『母の恋文』(大正十二年一月〜七月)より抜粋
 谷川徹三様

 二十一日
 オリオンの三つ星リゲルが美しいぢゃありませんか。 それにもう私はシリウスがおごそかに光っているのを見ました。 シリウスと云ふと私はきっと思ひ出す一つの景色があります。

中略

去年の三月、父さんと病院生活をしてゐた頃の事です。 (ペンは重いからよします。)

中略

あたりがすっかり暗に掩はれて、あっちこっちに新しい星が出る頃もうあのシリウスは太陽と同じ様に愛宕山の後へ入ってしまひます。 私は毎日の様に此夕方の西の空をあなたを恋しく思ふ心を抱いてながめてゐました。 そして、西の山へ入って行くシリウスを羨しく思ってゐたのです。

「谷川徹三・長田多喜子の手紙 (大正十二年一月〜七月)」より(P304)

冒頭からオリオン座、そしてオリオン座の1等星のリゲルが出てきます。 シリウスはおおいぬ座の1等星で、全天で最輝の恒星です。 この2星のスペクトル型を見ると、リゲルのはB8Iae(青)、シリウスはA1Vm(白)となります。 澄んだブルー系の色が好みだったのでしょうか。
シミュレーションした画面は、20時のものです。 南東の空に、冬の星座たちが集合しています。 この日の薄明終了のころの時間を計算すると、

日の入  17時14分     
薄明終了 18時42分     
月の入  21時13分     

となります。 薄明中からすでにオリオン座、おおいぬ座が昇っていますから、早い時間からこの情景を見ることは可能でした。 画面にはありませんが、月齢4.3(20時)の月と、火星(1.0等)が西の空にかかっていました。
この手紙の中では、前年、つまり1922年の3月の宵、シリウスが沈む頃の様子を回想しています。 さかのぼって調べてみると、1922年3月18日消印の手紙で、父親の看病のため、徹三氏の住む京都の町を離れ、一時父の住む東京へと出かけることが記されています。 東京からすれば、京都は西にあたりますから、西の方に沈むシリウスを見ては、「羨しく思ってゐたのです。」と、回想していたわけです。 シリウスの沈むのを、薄明の中、星がまたたき始める時間と重ね合せて見ています。
そんな様子も確認してみました。 3月の中旬、例えば3月15日とでもしておきましょう。 場所は東京の芝ですから、現在の港区になります。

日の入  17時49分     
薄明終了 19時12分     

となります。 「あっちこっちに新しい星が出る頃」に、「もうあのシリウスは太陽と同じ様に愛宕山の後へ入ってしまひます。」とありますから、薄明中、または薄明終了直後の頃にシリウスが沈むと考えることができます。 ところが、薄明終了時間(19時12分)においてのシリウスの高度は37.5度、比較的まだ高い位置にあります。 シリウスが地平線に没する時間を調べると、深夜0時すぎです。 残念ながらだいぶ異なるようです。 原因としては、これは計算値であって、多喜子さんのいた場所における地上の風景に沈む時間とは異なるということ。 また、1年前の記憶を回想しているという点で、思い違いもあったのかも知れません。
多喜子さんはシリウスを見ては、遠く離れた徹三氏を想っていたわけですが、賢治はどうだったのでしょうか。 ちょうどこの頃(1923年)、花巻で農学校の教師をしていた賢治は、生徒たちと共に岩手山に深夜登山を行い、そこで見た星空を詩集「春と修羅」の「東岩手火山」という作品に書いています。 生徒たちに「冬の晩いちばん光って目立つやつです」と紹介していました。


- 参考文献 -

(1)「母の恋文 谷川徹三・多喜子の手紙 大正十年八月〜大正十二年七月」谷川俊太郎編 新潮文庫(1997)


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