最近文庫版として出版された「母の恋文 谷川徹三・多喜子の手紙 大正十年八月〜大正十二年七月」(1)は、詩人谷川俊太郎(1931-)の父、谷川徹三(1895-1989)そして母、長田(旧姓)多喜子(1897-1984)の手紙のやりとりを谷川俊太郎氏が整理して刊行したものです。
537通もの手紙のなかからその約四分の一がを整理してまとめた本です。
最近読んだものの中ではとても印象的な一冊でした。
谷川徹三氏、多喜子さんの時代は、ちょうど宮沢賢治がまだいろいろと活動していた時代とも重なり、賢治の年譜と重ね合わせてみるだけでも興味深い思いです。
さて、そんな手紙の中にも星の風景がありました。
数多くありますので、ゆっくりと紹介しましょう。
これは1921(大正10)年の「十一月十六日」消印の手紙です。
谷川徹三氏は京都市上長者町、長田多喜子さんは京都市外淀町に住んでいました。
十一月十六日 十一月十五日 今朝お手紙拝見いたしまました。 そしてあなたの私に対する好意ある見方について有難くおもひます。 いま十時すぎです。 久保氏と林君がいままでゐました。 私は相良への葉書を出しにポスト迄行きましたが、ほんたうにいゝ月です。 ―私は今日図書館からのかへりに、東山からこの月の出るのを見てゐたのですが、いまはまったく中央にかゝってゐます。 あなたも未だ今夜は起きていらっしゃいますね、まだ十一時になってゐませんから。
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(1)「母の恋文 谷川徹三・多喜子の手紙 大正十年八月〜大正十二年七月」谷川俊太郎編 新潮文庫(1997)
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