内村艦三 1920(大正9)年8月16日
   

内村艦三
日記
1920(大正9)年8月16日




思想家、宗教家として知られる内村鑑三(1861-1930)は、天文愛好家であったこともよく知られています。 佐藤利男著「星慕群像」(星の手帳社)には、そんな鑑三の日記が詳しく紹介されています。 ここではそれをもとに鑑三の見た星空をシミュレーションを用いさらに深くさぐってみましょう。 この日記は旅先の十和田湖畔で見た夜明けの星たちが描かれています。

月刊誌『聖書之研究』 日記(一九二〇年(大正九)八月十六日)
 一九二〇年(大正九)八月十六日(月)晴 午前三時床を出て湖面に対する屋外に出た。 人も鳥も獣も悉く眠に就いて十和田湖の風景は惟り余一人の有に帰した。 而して眼を挙げて見れば空は透通りて濃藍色を帯び、星は黒板に鏤められたる宝玉の如くに無碍に輝いた。 緯度は東京よりも五度程高くあれば北極星は其れ丈け頂点に近く、北極星カシオピヤとは相対して天の中枢を守護して回転するのを見る。 丁度前者は東方へ廻り天枢天き(1)の二星が水平線より起上らんとする頃であった。 斯んな壮大なる北極星と其随伴星とを見たことはない。
 而して眼を東天に転ずれば、見よ、見よ、五月の末に東天に別を告げたオライオン星が今や揃ひも揃ふて東天に現はれ出たのである。 其黄いペテルギュースと青いリゲルと、中間の「帯」と「剣」と水平線の上、山の端より今上ったばかり! 荘厳である雄大である。 オライオン星も之を山中の湖水の面に映して見なければ其荘美は解らない。 之を仰ぎ見て余は余の貧弱なる漢語を似て余の当時の感を述ぶる能はず。 故に英語を藉りて独り夜の静寂を破りて言ふた。 Grand! Magnificent 0 God. と。
 而して「帯」を延長する線にアルデバラン輝き、其又先きにプライアデス(昴宿)煌く。 殊に美しかりしはカストルポラックスの兄弟星が睦しさうに、余の正面に在りて陸奥の八甲田山の巓の聳ゆる辺に他の星々と離れて天の双玉として懸るのであった。 然し乍た十和田湖上に見て全く別の星である。 此夜此星を見て余が遥々此所に来りし目的が十分に達せられた。 唯残念至極なりしは、家に双眼鏡を忘れ来りし事であった。 アンドロメダペルシウスの辺りに見慣れぬ星団らしきものが見えた。 鳴呼残念、余は得難き好機を逸したのである。
 猶ほ戸外に立ちて暁天に大犬星の昇るを待たんと思ひしも余に長く独り天を覗いて宿の者等に目附けられて狂人扱をされんことを恐れたれば、星覗きは好い加減にして寂然我室に帰り来りて床に入った。 唯目を覚まし居りし青年に余の感を伝へて言ふた「偉かった、実に偉かった。 オライオンだ、湖水の上に光るオライオンだ。 斯んな者を見た事はない」と。 青年は安眠を妨げられしを不平に思ひしと見え「ウーン」と答えし外に何の返事をも為さなかった。

シミュレーションした画像は、3時00分の十和田湖付近における東の空の様子です。 日記の冒頭に予め時間が指定されていますので、簡単に星空を再現することができました。 東北の地、しかも山深い場所での星空は、鑑三にとっても衝撃的な風景だったと思われます。 そのことは、この日記からも明らかなとおり、いたるところで感激した気持ちが率直に表現されています。 最初に北天の空を見、次に東の空へと視点が移動してゆきます。
オリオン座がやはりお気に入りのようです。 この当時、星座名は固定化されていませんでしたので、文献などによりその表記がまちまちでした。 オリオン座をオライオンと呼ぶのもそのためでしょう。 シミュレーションした画面からも明らかなとおり、オリオン座はちょうど昇ってきたところで、すぐに目につくことがわかります。 そしてその2つの1等星のペテルギウス(ペテルギュース)とリゲルに話が及んでゆきます。 鑑三は、ペテルギウスを「黄い」と表現していますが、そのスペクトルはM1、つまり赤色巨星となります。 次の「帯」と「剣」ですが、オリオン座の星座絵などからわかるとおり、「帯」の部分は「三つ星」、「剣」は「小三つ星」と呼ばれる部分を示します。


オリオン座
By StellaNavigator

オリオン座の次は、「帯」である「三つ星」から上に向かって、おうし座のアルデバランを見つけます。 この方法は現在でもよく使われ、さらに延長して「すばる(M45)」までたどります。 また、ふたご座の2星カストルとポルックスも登場させています。 この時間、天の川の左側、縦に2つ並んでいるのがそれで、上の方がカストル(兄)、下がポルックス(弟)を示しています。
アンドロメダ座とペルセウス座(ペルシウス)のあたりに「見慣れぬ星団らしきもの」を見つけたと記してします。 この付近で眼視で確認できる星雲状天体はM31、M33、あるいは二重星団などです。 この他に何か新天体を確認していたのでしょうか?
さらに「大犬星の昇るを待たんと思ひしも」とおおいぬ座、あるいはその1等星のシリウスを見るまで待っていようと考えるあたり、相当熱心な天文愛好家であったことがうかがえます。 この日の夜明けの時間を計算すると、

薄明開始  3時06分
日の出   4時47分

となります。 この日、シリウスが昇る時間は3時45分、といってもその方角に山などがあれば見える時間はさらに遅くなりますが、4時でもう東の空はかなり明るくなり、星を眺めるには不適当な時間帯になります。 従って、「宿の者等に目附けられて狂人扱をされんことを恐れたれば」とあきらめてしまったことが、かえって幸いとなったようです。
ちょうどこの時期は夏の代表的な流星群、ペルセウス座流星群の極大日の直後でもあり、いくつかの流れ星も見ていたこと想像されます。 また、鑑三がこの地を訪れた時期の月齢も1.6(3時)で、きわめて新月に近く、星見に最適な時期であったことも、感動的な風景に出会えた重要なポイントでしょう。

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(1)「天枢天き」の「き」は、正しくは「おうへん(王)」に「幾」と書きます。


- 参考文献 -

(1)佐藤利男著「星慕群像」星の手帳社
(2)日本アマチュア天文史編纂会「改訂版 日本アマチュア天文史」厚生社厚生閣


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