堀口大學 1919(大正8)年10月17日
   

堀口大學
獅子宮
1919(大正8)年10月17日




堀口大學の詩集「水の面に書きて」に収められた「獅子宮」に描かれた星空をシミュレートしてみました。

詩集『水の面に書きて』 獅子宮
十月の空澄めり。    
あけ方の獅子宮を見しか。
うす闇の天鵞絨幕のかげ 
白き金星        
赤き火星と       
慇懃を通じたり。    
遠く土星        
尚とほく木星と     
その上に弦月かかる。  
十月の空澄めり。    
あけ方の獅子宮を見しか 

まず、この詩の時期は10月、そして獅子宮が見える夜明けがたの空であることがわかります。 便宜上、獅子宮をしし座として解釈(星占術上の区分を宮といい、星座である「しし座」とは別の概念としてとらえるのが正しい)してみました。 また、「金星」「火星」「土星」「木星」の4つの惑星が見えること、そしてその上には弦月がかかる風景を見つける作業が必要です。 この詩集は大正8年、すなわち1919年とありますから、1919年の10月の夜明けの空をシミュレートさせ、月の位置を勘案して一番近いと思われる情景を見つけました。 これが上の画面です。
月が木星の上に見える位置関係になることから、10月17日または10月16日の夜明けであったことが推測されます。 詩の風景の時間としては、まずこの日の天体歴を計算すると、

金星出   2時45分     
薄明開始  4時21分     
日の出   5時46分     

となっています。 「うす闇の天鵞絨幕(びろうど)のかげ」という表現に注目すれば、薄明が始まりつつある時間でしょうか。 実際には4時30分前後が適当でしょう。
また、興味深いのが、惑星の注目した順番です。 まず一番明るい金星(-4.6等)、次に赤い惑星の火星(1.6等)、そして土星(0.8等)、木星(-2.0)等と取り上げています。 最初に色の対比(白と赤)、そして距離の対比(近いと遠い)が行われています。 ここで注意しなければならないのが、土星と木星の距離の問題です。 詩のなかでは、「土星より木星が遠い」とされていますが、実際にはこの逆となります。 事実、この日の地心距離を調べると、木星が5.57AU、土星が9.95AU(AU=地球太陽間の平均距離でおよそ1億5000万キロメートル)で土星の方が遥かに遠方にあることがわかります。 視覚的認識からも明るい方が近くに感じると思いますが、なぜ木星を「尚とほく」としたのでしょうか?
惑星の次に「弦月」が登場します。 「木星の上にある」という位置関係から、この詩の原風景の日にちを特定することができました。 候補としては、先に書いたように10月16日の夜明けも木星の上に位置していますが、その距離が離れていることから、翌17日の方がより適当と思われます。 18日になると月は木星の右隣に位置し不適当となります。月齢をみると、17日4時30分では22.6で、ちょうど弦月にふさわしい形となります。 「弦月」は宮沢賢治の作品のなかでも取り上げられており、詩集「春と修羅」の「原体剣舞連」 では剣舞踊りの様子と月夜の風景が巧みに組み合わせられています。
この詩の制作年の決定のために、大正8年から堀口大學の生年まで遡り検証しましたが、しし座付近にこれらの惑星が同時に集合する10月はこの年のみであることがわかりました。 従って、この詩の原風景の日はこの日が一番妥当だと思われます。(1997/1/29)


- 後日談 -

このページを公開後、偶然にも横浜にある「県立神奈川近代文学館」で開催(昭和62年7月11日〜8月23日)されていた「堀口大學展」のパンフレット(4)を入手することができました。 その中に、「獅子宮」の実筆の部分の作品帳の写真があるのですが、大學によるスケッチと日付もあることが確認できました。 日付は、「17.Oct.1919.5h15 a 5h.45」とあり、シミュレーションしたものに間違いがないことが証明されました。 ただ、時間が5時15分(5時45分)となっていたことが予想から外れてしまいました。 原因は、作品帳が外遊中のものである(4)ことや、スケッチにある城壁を思わせる前景のイラストから、海外で創作されたことによるもののようです。 従って時間もその土地の地方標準時などを用いていたことでしょう。
興味深かったことを2点あげておくと、第一にこの作品のタイトルにもなっている「獅子宮」は、はじめは「獅子星座」であったのを修正したということ。 これは、スケッチがしし座の全景を捕えていないことにも関連するのでしょうか、あるいは「宮」とすることで、別の効果を狙ったものでしょうか。 第二にはスケッチに描かれた「しし座」(スケッチ上では"LION")に、恒星のバイエル名が記入されていたということです。 通称「ししの大鎌」と呼ばれる部分の恒星が結線され、さらに各恒星に「ε、μ、ζ、γ、π(これは誤りで「η」が正しいように思われます)」の記号が付されています。 また、1等星のレグルスには「Regulus」と固有名が記入されています。 このことは、大學が星座に関する知識を持ち合わせていたことを裏付けるものでしょう。(1998/3/30)


- 参考文献 -

(1)草下英明著「星の文学・美術」れんが書房新社
(2)梅原猛編「日本の名随筆30『宙』」作品社
(3)恩田逸夫著「【新装版】宮沢賢治論2」東京書籍
(4)神奈川文学振興会「堀口大學展 詩の宝石箱」県立神奈川近代文学館


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