夏目漱石 1910(明治43)年 9月17日
   

夏目漱石
修善寺大患日記
1910(明治43)年 9月17日




「文人たちの見た星空」としてぜひ見てみたいものがありました。 夏目漱石(1867-1916)の見た星空です。 漱石はもうあまりに有名で、説明の必要もありませんね。 ここで取り上げたのは1910年の秋の日記「修善寺大患日記」に記された風景です。 この年、漱石は「門」という作品を連載していた時期にもあたります。
「漱石日記」(1)は、漱石全集に収録された「日記及断片」の日記部分を、文庫版として刊行したものです。 その中に「修善寺大患日記」があります。

「修善寺大患日記」
九月十八日〔日〕 秋晴澄徹。
 昨夜は十五夜で美くしき月のよし。
 昨夜東洋城帰京の途次寄る。
 九雲堂の見舞のコップ、虞美人艸の模様のものをくれる。 戸部の一輪挿、これは本人の土産也。
 地方にて知らぬ人、余の病気を心配するもの沢山ある由。 ありがたき事也。京都の髪結某、余の小さき写真を飾る由。 金之助という芸者も愛読者のよし。 東洋城より聞く。

中  略

九月十九日〔月〕 晴。
 昨夜は御月見をするとて妻が宿から栗などを取り寄せていた。 栗がもう出ているかと思って驚いた。

以 下 略

「修善寺大患日記」より(P164-165)

2日分の日記の抜粋があります。 いずれも前夜のことを記していますので、漱石の見た月は1910年9月17日と18日の晩ということになります。 18日については、妻が「御月見をするとて」準備をしていたということで、ここでは17日の晩の方を選んでシミュレートさせてみました。 時刻は20時です。 「昨夜は十五夜で美くしき月のよし。」とありますから、いい御月見の晩であったことがわかります。 また、18日の日記の冒頭で、「秋晴澄徹。」とあることから、17日晩から18日は好天が続いたであろうことが想像されます。
シミュレートさせて調べてみると、日記にある「十五夜」ではなく十四夜(20時における月齢は13.7)であることがわかります。 漱石の用いた十五夜という表現は、真の月齢を言っているのではなく、「ほぼ満月である」といった感覚的な表現だったのかも知れません。 事実、翌18日の晩には妻が月見の準備をしていたとありますから、間違いないでしょう。
この晩の宵の日の入などの時刻を調べてみると、

月の出  17時02分     
日の入  17時51分     
薄明終了 19時15分     
月南中  22時25分     

となっています。 早い時間に薄明は終了していますが、明るい月がほぼ一晩中輝いていますから、星見にはちょっと不適当です。 薄明終了後しばらくすると、10月下旬には衝を迎える土星(0.0等)が東の空に昇り、星のまばらな秋の星座の中に目だっていたはずです。


- 参考文献 -

(1)「漱石日記」平岡敏夫編 岩波文庫(1990)


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