樋口一葉 1893(明治26)年 1月29日
樋口一葉
日記(よもぎふ)
1893(明治26)年 1月29日
「たけくらべ」で有名な樋口一葉(1872-1896)の見た夜空です。
一葉の残した多数の日記のなかには、月の様子などを記した部分がいくつか残されています。
そんな記述を手がかりに、その夜空をシミュレートさせてみました。
「全集 樋口一葉3/日記編」(1)で、本郷菊坂町住まいの頃を綴った「よもぎふ」期の日記、
「よもぎふ日記」から明治26年1月29日のなかに次のような部分があります。
『よもぎふ』 よもぎふ日記
廿九日 暁より雪ふる。
今日はさきの日のにも増さりて、勢ひよく降りに降る。
芦沢来る。
「今日は九段に大村卿の銅像落成式あるべきながら、此雪故延に成し」など語る。
阿部川もちなどこしらへて、打ちよりてくふほどに、いや降りしきる雪つもりにつもりて、芦沢帰宅ごろには五寸にも成りぬ。
日没少し前にやみぬる也。
夜いたう更けて、雨だりのおと聞こゆるは、雪のとくるにやと、ねやの戸をして見出せば、庭もまがきもたゞしろがねの砂子をしきたるやうにきら(きら)敷、見渡しの右京山たゞこゝもとに浮出たらん様にて、夜目ともいはずいとしるく見ゆるは、月に成ぬるべし。
こゝら思ふことをみながら捨てゝ、有無の境をはなれんと思ふ身に、猶しのびがたきは此雪けしき也。
とざまかうざまに思ひつゞくるほど、胸のうち熱して堪がたければ、やをらをりて雪をたなぞこにすくはんとすれば、我がかげ落てあり(あり)と見ゆ。
月はわが軒の上にのぼりて、閨ながらは見えざりしぞかし。
空はたゞみがける鏡の様にて、塵計の雲もとゞめず、何方まで照らん、そゞろに詠むるもさびし。
降る雪にうもれもやらでみし人の
おもかげうかぶ月ぞかなしき
わがおもひなど降ゆきのつもりけん
つひにとくべき仲にもあらぬを
注:( )は「く」を長くのばしたくりかえしの記号を用いている部分です。
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この日、明け方から雪が降り、日暮れ頃まで降り続いたとあります。
やがて、一葉が「庭もまがきもたゞしろがねの砂子をしきたるやうにきら(きら)敷、見渡しの右京山たゞこゝもとに浮出たらん様にて、夜目ともいはずいとしるく見ゆるは、月に成ぬるべし。 」
と書いているとおり、天候が回復して、付近の右京山も雪景色としてはっきりと見えるのを、「月が出たためなのでしょうか」と、よいお月夜となったこととして書き留めています。
そして、「月はわが軒の上にのぼりて、閨ながらは見えざりしぞかし。」
と書いたとおり、軒上に昇って、部屋からは見えないため、庭におりてみると空は磨かれた鏡のようになり、塵ほどの雲もないことに、胸が熱くなることが素直に語られています。
一葉の日記には、月への愛情ともいえる気持ちや行動が多数出てきて、ついつい共感してしまいます。
さて、この日の22時の月をシミュレートさせてみました。
高度はおよそ80度、「月はわが軒の上にのぼりて、閨ながらは見えざりしぞかし。」と書いたとおり、部屋の中からは決してみることができない、ほぼ真上ともいえる高さです。
この時間の月齢は11.5で、満月を数日後に控えた月が出ています。
また、月の出没時間などを計算すると、
月の出 13時46分
薄明終了 18時34分
月南中 21時33分
月の入 5時20分(30日)
となります。
つまり、月の南中時刻が21時半ごろですから、このことからも(「夜いたう更けて」の時間にもよりますが)月が一番高く輝いていた頃であったことがわかります。
この晩の日記の最後に、歌も詠んでいます。
「降る雪にうもれもやらでみし人の/おもかげうかぶ月ぞかなしき」
と、雪や月を見ては、桃水への気持ちを思い出しているようです。
また、この頃、西の空地平線近くには、-2.3等星の木星と0.9等星の火星が並んで輝いています。
もしも、宵の早い時間から雪があがり、澄んだ美しい空になっていたら、この二つの星も見つけていたかも知れません。
- 参考文献 -
(1)「全集 樋口一葉3/日記編」小学館
(2)高橋和彦現代語訳「樋口一葉日記」アドレエー
(3)「新潮日本文学アルバム 樋口一葉」新潮社
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