樋口一葉 1892(明治25)年9月7日
   

樋口一葉
日記(よもぎふ)
1892(明治25)年9月7日




「たけくらべ」で有名な樋口一葉(1872-1896)の見た夜空です。 一葉の残した多数の日記のなかには、月の様子などを記した部分がいくつか残されています。 そんな記述を手がかりに、その夜空をシミュレートさせてみました。
「全集 樋口一葉3/日記編」(1)で、本郷菊坂町住まいの頃を綴った「よもぎふ」期の日記、 「につ記」から明治25年9月7日付けの部分は次のように記されています。

『よもぎふ』 につ記
七日 晴天。午前の内つとめて小説に従事す。動坂より師君手紙を賜ふ。 小笠原家の数よみなるに、我れ断りて行かざりしかば也。 「今日は田中も伊東も不参にていと淋しく、清書にもことかけば、是非参り給へ」となり。 やがて支度して趣く。人々すでに詠じ終りたるのち成し。 清書しながら四題詠ず。師君、「用事あり」とて直に帰宅。 残りて点数のしらべをなすに、長齢子ぬし高点成けり。 是よりいとま乞して帰る。日没少し前成し今宵の月ことに清かり。

この日記のなかで、一葉が帰宅した時間でしょうか、「日没少し前成し」とあります。 この日の天体歴を計算すると、

日の入  18時01分     
月の出  18時30分     
薄明終了 19時27分     

となっています。 従って、一葉が帰宅した時間は、夕方の6時の少し前頃であったことが推測できます。
この晩は、十五夜から数えて2日後、すなわち十七夜(立待月)と呼ばれます。 立待とは、「眠らずに成すのを待つ」という意味があります。 この日は、日の入時間からおよそ30分後には東から月の姿が見えています。シミュレーションした画面は、日没後約1時間後のまだ薄明の残る空のものです。 一葉はこの月を「ことに清かり。」と賞していますから、たいへん澄んだ光だったのでしょう。


- 参考文献 -

(1)「全集 樋口一葉3/日記編」小学館
(2)高橋和彦現代語訳「樋口一葉日記」アドレエー
(3)「新潮日本文学アルバム 樋口一葉」新潮社


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