樋口一葉 1892(明治25)年9月5日
   

樋口一葉
日記(よもぎふ)
1892(明治25)年9月5日




「たけくらべ」で有名な樋口一葉(1872-1896)の見た夜空です。 一葉の残した多数の日記のなかには、月の様子などを記した部分がいくつか残されています。 そんな記述を手がかりに、その夜空をシミュレートさせてみました。
「全集 樋口一葉3/日記編」(1)で、本郷菊坂町住まいの頃を綴った「よもぎふ」期の日記、 「につ記」から明治25年9月5日付けの部分は次のように記されています。

『よもぎふ』 につ記
五日 曇天。芝より兄来る。「薩摩陶器の土瓶、かひてあらば売りたし」とて五箇ほど持参。 「我家にても一ツあがなひ度し」などいふ。 日没まで遊びて、帰路、諸共に万世橋まで行く。 兄君はこれより馬車。 おのれと国子は小川町に廻りて焼あとの新築を見、東明館に墨をかふ。 今宵、旧七月の十五夜也。 夕方より一点の雲なく成りて、名月の光り何ともいへず。 お茶の水橋に虫の声きゝながら暫時たゝずむ。 帰路にはがきをかひて、田中君に各評出詠断りを出し、小がさ原君に数よみ出席断りをいふ。 家に帰りても月の光見捨てがたく、板敷のもとで更るまで一人起居たり。

この日記のなかで「日没まで遊びて」とあります。 この日の天体歴を計算すると、

月の出  17時25分     
日の入  18時04分     
薄明終了 19時31分     
月南中  22時40分     

となっています。 従って「遊んで」いた時間は、夕方の6時頃までであったことが推測できます。
そしてこの晩は、十五夜であることが述べられています。 一葉はこの月をとても楽しみにしていたのでしょうか、前日の日記のなかでも「今宵は待宵(=中秋の名月の前夜及び当夜をさす)なれど月なし。」 として、気にしていたことがわかります。
この晩19時の東の空をシミュレートしてみました。東の空には月が昇っています。 19時における月齢は13.9、ほぼ14です。従って暦のとおりの月齢(十五夜)ではありませんが、丸い姿に見えています。 昼間の曇天も、「夕方より一点の雲なく成りて、名月の光り何ともいへず。」とあるとおり、快晴の空になったようです。
月の右上には火星が-2.2等で輝いています。衝をすぎ、やぎ座で逆行から順行に転換したところで、これからしだいに光度を落としてゆくところです。 この晩21時前には-2.8等の明るい木星が昇り、よく見えていたことでしょう。
最後に、「家に帰りても月の光見捨てがたく、板敷のもとで更るまで一人起居たり。」とありますが、月を愛好していた一葉の気持ちがよくわかる部分です。


- 参考文献 -

(1)「全集 樋口一葉3/日記編」小学館
(2)高橋和彦現代語訳「樋口一葉日記」アドレエー
(3)「新潮日本文学アルバム 樋口一葉」新潮社


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