樋口一葉 1891(明治24)年10月17日
   

樋口一葉
日記(よもぎふ)
1891(明治24)年10月17日




「たけくらべ」で有名な樋口一葉(1872-1896)の見た夜空です。 一葉の残した多数の日記のなかには、月の様子などを記した部分がいくつか残されています。 そんな記述を手がかりに、その夜空をシミュレートさせてみました。
「全集 樋口一葉3/日記編」(1)で、本郷菊坂町住まいの頃を綴った「よもぎふ」期の日記、 「蓬生(よもぎふ)日記 一」から明治24年10月17日のなかに次のような部分があります。

『よもぎふ』 蓬生日記 一
十七日 稽古日なり。晴天成し。題例のふたつ。一題十点の一ツあるけり。い夏子君二ツ、鳥尾君ふたつあり。 松井節哉君入門せらる。

中  略

 今宵は旧菊月十五日なり。空はたゞみ渡す限り雲もなくて、くずの葉のうらめづらしき夜也。 「いでや、お茶の水橋の開橋になりためるを、行みんは」など国子にいざなはれて、母君も、「みてこ」などの給ふに、家をば出ぬ。 あぶみ坂登りはつる頃、月さしのぼりぬ。 軒ばもちつも、たゞ霜のふりたる様にて、空はいまださむからず、袖にともなふぞおもしろし。 行々て橋のほとりに出ぬ。 するが台のいとひきくみゆるもをかし。 月遠しろく水を照して、行かふ舟の火かげもをかしく、金波銀波こも(ごも)よせて、くだけてはまどかなるかげ、いとをかし。 森はさかさまにかげをうかべて、水の上に計一村の雲かゝれるもよし。 薄霧立まよひて遠方はいとほのかなるに、電気のともし火かすかにみゆるもをかし。 「いざまからん(らん)」と計いひて、かくもはなれ難きぞ、いとわたりなき。 「またかゝる夜いつかはみん」など語りつれつゝ、するが台より太田姫いなりの坂を下りてくるほど、下よりのぼりくる若人の四たり計、衣はかんにて出立さはやかに、折にふれたるからうたずんじくる。 「哀、おの子ならましかば、我もえたえぬ夜のさまよ」とて国子のうら山しげにいふもをかし。 馬車のいとろうがはしきに、小路につとはしり入て、「神田の森に月みんよ」とて、坂のぼるほどいとくるし。 のぼりはてゝふとみ返るに、月はいつしか空高う成りて、二本ある杉のかげにかくれて、さしのぞかざれば、みることうとし。 うたよまざらんとはいとくちをしうて、さま(ざま)におもひめぐらせど、月のかげにやけをされけん、ふつに趣向もめぐらぬこそ、「猶よむなてふこと成べし」とて、打笑ひつゝやみぬ。 大路をかへりくるほどいと(いと)をしう覚ゆれど、母君のまたせ給はんなんいとうしろめたうて、いそぎかへる。 八時前成しかど、時計只こゝもとに取寄て、さしのぞきゐ給へりし。

以 下 略

注:( )は「く」を長くのばしたくりかえしの記号を用いている部分です。

「今宵は旧菊月十五日なり」とあるように、満月の日だったのでしょう、お茶の水橋の開橋に伴い、見物に出かけた時のことが記されています。 この宵の月齢は14.3(18時)となりますから、ほぼ丸い月が出ていたことになります。 日の入1時間後(18時5分)の空をシミュレーションしてみると、東の空、地平線近くには月が見えています。 この時期、金星は明け方にまわっていますから、一番星は木星だったことでしょう。
行く途中、「あぶみ坂登りはつる頃、月さしのぼりぬ」とあるように、この日の宵の月の出の様子が描かれています。 この日の天体暦を計算すると、

日の入  17時05分     
月の出  17時05分     
薄明終了 18時29分     
月南中  23時32分     

となっています。 偶然でしょうか、日の入の時間と月の出の時間が一致しています。ですから、この日一葉たちは日没近い時間に菊坂町の自宅を出て途中で月の出を見たことになります。 また橋のほとりでは水面に映る月の姿をも見ています。
神田の森(お茶の水橋の西側一帯の森とされる)に登り、ふり返って見た月が「月はいつしか空高う成りて」と表現されています。 これは高台から見下ろす位置から月を見たためでしょうか。いずれにしても日周運動でゆっくりと昇りますから、時間とともに見やすい状態になるはずです。 この月夜の光景がだいぶ気に入ったようです。 一葉たちが母親を気づかって帰宅した時間は「八時前成しかど」ということから、この時の月の高度をみると、およそ34度になっています。 辺りを明るく照らしていたことでしょう。 やはりこの時代の夜歩きは月夜の晩がお決まりだったようです。


- 参考文献 -

(1)「全集 樋口一葉3/日記編」小学館
(2)高橋和彦現代語訳「樋口一葉日記」アドレエー
(3)「新潮日本文学アルバム 樋口一葉」新潮社


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