樋口一葉 1891(明治24)年 4月11日
   

樋口一葉
日記(若葉かげ)
1891(明治24)年 4月11日




「たけくらべ」で有名な樋口一葉(1872-1896)の見た夜空です。 一葉の残した多数の日記のなかには、月の様子などを記した部分がいくつか残されています。 そんな記述を手がかりに、その夜空をシミュレートさせてみました。
「全集 樋口一葉3/日記編」(1)で、本郷菊坂町住まいの頃を綴った「よもぎふ」期の日記、 「若葉かげ」から明治24年4月11日のなかに次のような部分があります。

『よもぎふ』 若葉かげ
卯月十一日 吉田かとり子ぬしの澄田河の家に、花見の宴に招かるゝ日也。 友なる人々は、師の君のがりつどひて共に行給ふもおはしき。 おのれは、妹のたれこめのみ居て春の風にもあたらぬがうれたければ、「いでやともに」などそゝのかして誘ひぬ。 花ぐもりとかいふらんやうに、少し空うち霞みて日のかげのけざやからぬもいとよし。 「上野の岡はさかり過ぬとか聞きつれど、花は盛りに月はくまなきをのみ愛るものかは。 いでやその散がたの木かげこそをかしらめ」といへば、 「ならびが岡の法師のまねびにや」といもうとなる人は打ゑみぬ。 さすがに面なくて得いわず成るもをかし。 我すむ家より上野の岡は遠きほどにてもなかりければ、まだ朝露のしげきほどに来にけり。 聞きけんやうにもあらず。 清水の御堂の辺りこそ大方うつろひたれど、権現の御社の右手の方など若木なれどまださかり也き。 さと吹朝風のひやゝかなるに、ぬれたる花びらのふゞきと計散みだるゝはいとをしくて、「おほふ計の袖もがな」といはまほしけれど、「例の」と笑はれんがうしろめたくてやみぬ。

中  略

 折しも日かげは西にかたぶきて、夕風少しひやゝかなるに、咲きあまりたる花の三ツ二つ散みだるゝは、小蝶などまふやうにみえてをかし。 酔ひしれたる人の若き君たちにざれ言などいひかくるは、ろうがはしくもいとにくし。 やう(やう)日の暮行まゝに、それらの人はかげもとゞめず也にたれば「今は心安し」とて花の木かげたちめぐり、おのがじゝざれかはすほどに、いつしか名残なく暮はてゝ、川の面をみ渡せば、水上はしろき衣をひきたるやうに霞みて、向ひのきしの火かげ計かすかにみゆるも哀也。 「いでや、まかりなんよ。月だにあらばよかるべきよなんめるを、中々にうしろめたければ」と師の君のゝ給ふも実にことわり、若き君たちのみなれば也。 今しばしともいはまほしけれど、供の男子なども来てそゝのかせば、いとをしけれど木かげ立はなれて車ものする折から、春雨少し降りそめぬれば、「別れの涙にこそ」との給ひかはす。

以 下 略

注:( )は「く」を長くのばしたくりかえしの記号を用いている部分です。

この日の宵、うす曇りから春雨が降り出した描写がありますから、温暖前線の通過により天候が崩れはじめたところだったようです。 従って、この日のシミュレーションは晴れていたら、という前提になってしまいますが、月にかかる表現が2箇所ありますのでみてみたいと思います。
最初の部分は、「上野の岡はさかり過ぬとか聞きつれど、花は盛りに月はくまなきをのみ愛るものかは。」というところで、一葉の月への思いが感じられる部分があります。 これは、「上野の丘(の桜)は、もう盛りは過ぎてしまったと聞いていたが、花は満開のときだけを、また月は満月だけを見なくてもよいでしょう。」(高橋和彦訳)とあるように、満月だけでなく、欠けた月にもこだわりがあることが感じられます。 もっと一葉がこう言ったあと妹に「兼好法師の真似ですか」と言われ、恥ずかしくなってしまったともあり、なかなかほほえましかったりします。 月の良さは満月だけではない、という部分は、他の日にも引用されていますので、一葉の口ぐせのようなものでしょうか。
次の部分は、隅田川にお花見に出かけ、吉田かとり子の家を夕方になって出るときに、 「もう帰りましょう。月でもあればもっとよいのに。しかし女ばかりではかえって心配で」と先生が言う場面です。 「月でもあればもっとよい」というのは、月があれば趣のある風景になるという意味と、夜道を帰るのに月が出ていれば、もうすこしゆっくりしていけたのに、という二つの意味が感じられます。 一葉の日記の他の部分に、月明りを頼りに外出することなどが書かれています(1891(明治24)年10月17日など)から、光害のない当時としては月夜なら遅くなっても比較的安心して夜道を歩くことができると考えられていたのでしょう。
シミュレーションした画面は日没1時間後(19時11分)の西の空です。 月齢2.5の月と1.5等の火星が接近していますが、火星は北側を通過し、掩蔽は起こさないようです。 晴れていれば地球照がきれいに見えていたことでしょう。


- 参考文献 -

(1)「全集 樋口一葉3/日記編」小学館
(2)高橋和彦現代語訳「樋口一葉日記」アドレエー
(3)「新潮日本文学アルバム 樋口一葉」新潮社


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