フィンセント・ファン・ゴッホ 1890(明治23)年6月16日
   

フィンセント・ファン・ゴッホ
夜の白い家
1890(明治23)年6月16日




フィンセント・ファン・ゴッホ〔Vincent Van Gogh〕(1853〜1890)の晩年の作品「夜の白い家」(1890)における星に関する話題が最近新聞記事に取り上げられました。 アメリカの天文誌「スカイ・アンド・テレスコープ2001年4月号」でも“Vincent Van Gogh's Lost Night Sky"として紹介されていました。 (Sky and Telescopeのページはこちら、ゴッホの生涯のページはこちら、ファン・ゴッホ美術館のページはこちら) 好奇心で新聞記事の内容をあらためて検証してみました。 ・・というのは、絵が描かれたという「1890年6月16日午後7−8時の風景」に作品の舞台となったパリ郊外で星が見えたのか?という疑問があったからです。 つまり6月中旬のパリ郊外オーヴェル・シェル・オワーズ(Auvers-sur-Oise)では、午後8時頃ならまだ日中かも知れないからです。

夜の白い家 1890(明治23)年6月16日


「夜の白い家」をめぐって
「宇宙からのメッセージ」斉藤国治著
「星の位置でゴッホ解く−朝日新聞2001年3月12日夕刊」
「“Vincent Van Gogh's Lost Night Sky"−Sky and Telescope April 2001」
愛用のマウスパッド(ゴッホの「星月夜の糸杉のある道」)


さっそくシミュレーションしてみました。 フランスパリ郊外、1890年6月16日20時の空です。 やはりまだ太陽が出ていました。 明るい金星も出ています。 (ちょっと画像の合成をして星の位置を合わせてみました) 新聞記事では、絵と同じ角度からみた当時の夜空をコンピューターで再現すると、輝く星と六月十六日午後八時の金星がぴったり合った。とし、さらに気象条件も良好であったことが説明されています。 そして、新月に近い夜は暗く、日没後約2時間、「宵の明星(金星)」が西の空にマイナス三・九等星と抜群の輝きを見せていたはずという。と金星の観望条件について説明しています。
問題はここから先の部分にあるオルソン教授の、人物や建物の影は日没前後の午後七時ごろのもので、金星は日没後の午後八時の位置だ。 絵は下から上に向け仕上げられていったに違いないと説明している部分です。
確認するために、この日の夕刻の天文暦を計算してみると、

日の入   20時59分
金星没   23時02分

となります。(1)
金星の没するまでの約2時間というのはよく合っていますが、太陽に関する時間の記述が、実際の時間と1〜2時間ほど食い違いが起きてしまいます。 つまり正しく言い換えれば、人物や建物の影は日没前後の午後八(九)時ごろのもので、金星は日没後の午後九(十)時の位置だ。 絵は下から上に向け仕上げられていったに違いないと説明しなければなりません。
では、どうしてこのような食い違いが生まれてしまうのでしょうか。 一つにはオルソン教授らのグループの使用していた時刻系の問題があります。 通常「地方標準時」(フランスはUT+1)を用いますが、天文学では「世界時(UT)」をよく用います。 つまり、すべてUT表示の時刻とすれば説明がつくわけです。 オルソン氏らの利用したコンピュータの時刻系は世界時だったのかも知れません。

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(1)この時期、太陽は地平線下−18度以下になることはありません。従って天文薄明終了もありません。


- 参考文献 -

(1)「星の位置でゴッホ解く」朝日新聞2001年3月12日(月)夕刊
(2)“Vincent Van Gogh's Lost Night Sky"−Sky and Telescope April 2001
(3)「宇宙からのメッセージ」斉藤国治著 雄山閣刊
(4)「ゴッホの「正しい」鑑賞法」阿部昌幸監修 青春文庫
(5)「ゴッホ巡礼」向田直幹・匠秀夫他 新潮社
(6)「ゴッホの手紙(テオドル宛)中」岩波文庫


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