私自身の「政治的スタンス」について

(About "political stance" of I myself)

葛飾区議会議員   木下しげき


 先の衆議院議員選挙で自民党公認候補の平沢勝栄さんを支援したこと、また4月27日の「拡大三水会」の案内ポスターにゲストとして同氏の写真が入っていることから町で「自民党に入るのか?」を聞かれる。自分を最大限生かせるポジション(自らの保身などといった狭い視野ではない)に置くにはどういう立場にあるべきなのか、いまだに結論は出ていない。迷いの過程を辿ってみたい。

平成5年の夏休みに同年秋の解散などユメにも思わずに平成7年4月の区議選向けのパンフを作っていた。それに次のように書いた。

   『議員』としての姿勢&お約束

 政治家のハナシは祖父が衆議院議員を応援していた関係上、幼いころからよく聞いていた。ヤクザがはだしで逃げだしそうな県会議員や、飲んだくれていつも赤ら顔の村会議員が、『勇気、実行力、皆様の声を代弁』とか言っていた。『出来もしないこと、やる気もないことを、よくもシャーシャーと言えるもんだ。』と思っていた。政治家と称する人種のハナシは真面目に聞かない人間であった。が、新自由クラブ旗上げ直前の河野さんの熱気ほとばしったハナシは別格として、次の二人のハナシは感動を持って聞いたことを覚えている。

 江戸川区の区政モニターのころの中里区長のハナシ。

『暇があったら区内を歩き、できるだけ区民に会って苦情や注文を聞くこと。自分の背丈に合った出来る約束をして一つずつ実行すること。これを信念にしています。』

 新潟出身の友人に連れられて田中角栄さんの目白の家に行ったとき聞かされたハナシ。

田中角栄さんはこう言った。(同内容なので、早坂茂三著『オヤジとわたし』より引用)

『政治とは何か。生活である。政治とは国民の暮らしをよくするためにある。わが国は発達した議会制民主国家であり国民の知的レベルは高い。こうした国で政治が国民の手の挙げかた、足の運びかたまで指図する必要はない。政治の仕事は国民の邪魔になる小石をたんねんに拾って捨てる。国の力でなければ壊せない岩を砕いて道をあける。それだけでよい。いい政治というのは、国民生活の片隅にあるものだ。目立たずつましく、国民のうしろに控えている。吹きすぎて行く風、政治はそれでよい。』

 議員を指向するにあたって、私はこれらお二人の『ハナシ』を座右の銘にしようと思っている。[田中角栄さんの、晩年の『数は力、力はカネ』には賛同しかねるが。]

 純粋無所属で(会派に加わるかどうかは解らないが)1年生議員に何が出きるであろうか。何期やっていようと誰にだって1年生の時代はあったはずである。どういう議員になるか、その1年生時代こそ重要であると思う。この大事な1年生時代を、私は次のようにしたいと思っている。

1、他の自治体で実施されていることで「いいな」と思われる例を集め、同じことが葛飾  では、どのようになっているかを調べる。(出来ていないとすれば、どこに問題があ  るのか。何故出来ないのか。など)これらの『いいな』はTTSCの会員から情報を  提供してもらいたいと考えている。月2件くらいのペースで年間25件くらいを調査  したい。

2、2年目からは、1で調べた「いいな」の件を実施できるように、行動に移る。実現の  ためには、どの会派にもはたらきかけ協同する。

3、『一隅を照らせ』繁栄の中に、自力でやれる人はいい。この世を、この社会を呪うご  とく繁栄から置き去りにされている人に行政の光を「たぐり」寄せたい。

4、自分の力で出来ることは少ない。出来ること、出来ないことを本音で語ること。しか  し、常に全力投球で行動したい。

5、葛飾区の抱える案件はおいおい解ってくるであろう。素人感覚の強い1年生の時代   は、その素人感覚を大切に問題点を吸収する方が重要であろうと考える。

 私が政治の道を志したのは「自分とその家族の住む地域を地域に住む誰にとっても住みよい、誇れる、そして子供たちが何処に行っても故郷として懐かしめる場所にしたい。」そして「寂しい高齢者、病気の子供を医者に診せられない親など繁栄から置き去りにされている人々に行政の光を手繰り寄せたい。」との思いからであった。基本的にはその思いは全く変っていない。変ったのは財源獲得に関する手法であろう。どんなに優れた施策であっても財源の裏付けを必要とする。住民にとって耳障りのよい施策を並べ立てても「大企業や大資産家の優遇課税をみなおして」と十年一日の如く唱えてもはじまらない。「大企業や大資産家の優遇課税をみなお」せばそのツケは結局一般住民、一般勤労者に来るのである。(*)
 自治体はサービス業とみなしてその中で経営効率で割り切れる部分は徹底して民間を導入すればよかろう。自治体や行政が住民を指導するという時代は終わったのである。区民税や交付金を口を開けて待っているのでなく、自治体自ら(法律上の制約があれば民間との3セク方式でもよかろう。)価値を創造し雇用機会を増大し、自治体自体の富の増大を図るべきである。財源の確保が自治体の長に課せられた使命である。クロ猫でもシロ猫でもネズミを良く取る猫がいい猫なのである。

(*)(1)課税制度が今のままでよいという訳ではない。国税、地方税の在り方も含め課税制度の根幹から問い直すべきであると考えている。当然その前提となるのは国の権能の整理、統合、縮小である。(国境のボーダレスが叫ばれて久しい今日ナショナリズムを助長するような形での国家の在り方は疑問である。)徴税権の主体を国から地方に移行し、国には必要最少限度の権能のみを残しこれは各地方の分担金の拠出で運営すべきである。また、中二階的な都県も不要である。テレビの天気予報の画面に出て来るくらいの規模の広域自治体を市区町村の上に創設し現在の国および都県の機能を集約させればよかろう。(後述の「自由葛飾連合」の“理念”の中にもあるが、私はこれらを革命的スピードで断行せよというものではない。100年か200年か後のあるべき日本社会あるいは世界社会の姿として描くものである。)

  (2)税制の検討には次の視点もある。(「男女共同参画社会」の話であるが税制の部分のみ引用)

   夫婦「別税」で進む自立

 税制も大きい要素。「北欧は女性の社会参加が進んでいるので有名だが、それを先導したのは税制だった」と、税制の在り方が女性の社会進出と深くかかわっていることを強調した。スウェーデンでは、1971年に夫婦合算の所得税方式から個人別納税に変え、経済的に自立した税制によって女性の社会参画が進んだという。日本と極端に違うのは、高齢化対策だった。「スウェーデンでは自分の親の介護は他人に任せ、自分は他人の親を介護する。そうすれば、二人のヘルパーが生まれ、二人の納税者ができる。集まった税金を福祉に回す。ところが日本は、親が寝たきりになったら会社を辞めて介護をする。所得者が一人減り、納税者が一人減り、夫が払った税金を控除で回収している」と岡沢教授。/東京新聞(96.10.6)の記事より

 私は言葉通りの意味の「自由」と「民主主義」は政治の最大の価値であると思う。この自由とは全てからの自由である。権威からも権力からも前例からも富からも宗教からもイデオロギーからも。(この主張自体ひとつのイデオロギーであるとの批判は成り立つ)

 最近、学校の後輩達から講演会の案内をもらった。今書いている内容にフィットするので一部紹介したい。

 『……かつて政治は君主の手に握られていました。神という概念を持ち出した君主からの利己的関心に人民の生活は規定されていたようです。 昨今でも二世議員や、一部、地方の盟主とでも呼べるようないわゆる「ヂバン・カンバン・カバン」を持った人達の手に占められているといった状況が続いていました。また、官僚出身議員の存在も大きなものがありました。出身省庁の利権のために政治家という立場を利用するなど、政と官のための政治とでも呼べるような事態が見受けられました。このような中では、市民にとっては政治は無縁のものとならざるを得ません。政治に期待しなくなり、自分の生活とは関係のないものと受け止めるようになったのも無理はありません。先の総選挙では、投票率55.6%と、衆議院議員選挙としては過去最低のものとなりました。また、国政のみならず地方政治においても政治に対する不信、無関心というものが、日々増大していると思われます。ところが今や君主からも共同体からも解放された分、都市型社会の中、主に核家族、あるいは一人暮らしという社会に常にされされた形態で日々の生活を営まなければならない市民には、その生活を保証するものとして、地縁関係などのかわりに、政府が必要になりました。その帰結として、我々の日常生活は、政策・制度のネットワークの中に組み込まれており、市民の感覚、一般常識を議会に反映させることは、この社会状況においては必須の要請なのです。この両者間の断絶を埋め合わせる存在として大いに期待されるのが、地方議会の議員さん達なのです。 ……   』   中央大学学術連盟政治学会

 平沢さんの選挙の中で会った氏の応援団は「自力でやれる人」ばかりであった。自民党の支持者が全てそうだとは思わないが自分自身そういう層の代表であっていいのかの疑問は持つ。(階級社会の消えた現代の日本にあってこういう発想は無意味かも知れない。)

 私は自民党支持者は自由権的人権の擁護派であると短絡的に解している。自民党・社会党のいわゆる55年体制崩壊後の対立軸は20<世紀型と言われる社会権的人権の擁護、21世紀の命題になるであろう地球環境への配慮の度合のそれぞれの濃淡によるものであろうと思う。私は単なる自由権よりも後者に力点を置きたいと考える立場である。

 自分を中流以上とする日本人が80%を越える中で現在の日本の繁栄は成長率数%を前提にしておりバブル景気の去った後も人はなお右肩上がりの景気回復をユメ見る。しかしそうした繁栄は地球的規模でみれば地球滅亡のプロローグでしかない。

 一方こうした繁栄も一家の働き手が倒れればたちまち崩壊するガラスの繁栄である。かつての日本は大家族か一族か地域が支え合う柔構造の典型的アジアの農村型社会であった。が今日、大家族制度は崩壊し、地方からの移入民の多くは都市にさまよう「核家族」なのである。我々の周りには交通事故、薬害、天災などの危険が溢れ、我々は誰しも明日にも「自力でやれない」層になる可能性があるのである。こうしたことを前提に地域で支え合う構造を構築することが緊急の課題であると信じる。(先に紹介した後輩達も別の表現ではあるがこのことに気づいているようである。)

 非議員の自民党葛飾支部の役員さんから「自民党にこれまでなかった血を入れたいから」と入党のお誘いも受ける。大臣を経験した菅さんの理想実現のための体制内改革のハナシも理解出来る。確かに政治を「学」として机の上で論ずるならばあくまで自分の理念で且つ独創的な考察が可能であろう。しかし議員は有権者がなにがしかの期待を持って自らの一票を投ずるのである。従って議員には自らの理念の前にその一票一票の付託に応える義務があるのである。(そうした判断から私はかつて否定したハズの自民党の官僚出身候補を支援したのである。)「木下」を区議会に送った一票一票がそれぞれ何を託したのか私は今一度静かに振り返ってみなければならない。

 私はこれまで自分の取り得る立場の選択肢をありていに述べてきた。未熟者の誹りを受けるかもしれないが、勉強、地域活動、人生経験その全てが足りない現時点においては結論を出しあぐねている。

 私は「現時」においては、かつての日本新党の仲間と

『われわれは「保守主義」に立脚するのであるが、これは復古主義を意味しない。われわれの認識する保守主義とは、問題の解決にあたっては現行制度、伝統を尊重しつつ、部分的、漸進的なアプローチを行うとするものである。解決策が大規模、急進的であれば場合によっては制御不可能な事態を招来し社会を破壊する可能性を秘めると危惧するからである。衆議院議員の選出方法は多様化する価値観を無理矢理ねじまげて集約するという小選挙区制に変えられたのであるが、それぞれの地方では逆にこの多様性がそのまま反映するような政治団体が求められている。われわれは葛飾区に住まう者として葛飾区選出の議員として、葛飾区の地域代表あるいは地域ニーズの把握の役割を担わなければならない。そのためにわれわれは、いかなる常識からも社会的拘束からもイデオロギーからも中央政党からも、自由な立場を保持し自由に考え自由に行動し、21世紀の葛飾の持続的な発展に寄与したいと思う。』

の理念の下に結成した『自由葛飾連合』を大切にしたいと思っている。地方議員の集まりとして日本国全体の価値は片目でにらみながらも葛飾区民の固有の利益を優先するローカル・パーティー(区民党)として活動して行きたいと考えている。

 仲間が別の選択をした場合、自分はどうするのかという難問が残っている。が、それは今は考えまい。4年前、1年半後のためのパンフの印刷完了のまさにその日の突然の解散は亡き父に言わせれば『“しげき立て!”の天命』であった。自分の人生の中でもっとも大切なコアの部分の40代後半をただ選挙ということだけに捉われず、残る任期を日々精一杯働くことにしたい。その中で自分の行くべき道は天の声で示されて来るであろう。


  • 1ページもどる

  • ホームページへもどる