灯は消せぬ、木下君のご健闘をいのって

渋沢利久(前衆議院議員)


 社会党と訣別したあと必死で新しい道を模索しましたが、大政党でなければ生き残れない選挙制度では、出馬を断念せざるをえませんでした。親の地盤をもらったわけでもなく、労組や宗教団体などの組織出身でもない、名も無き青年の情熱だけを買っていただき昭和34年江戸川区議に当選以来、東京都議から代議士5期を務めさせてもらったわけで、葛飾、江戸川の皆さんの長い間のご支援には心から感謝しております。

 健康極めて良好。後援団体は解散もせずに激励を続けており、ご恩返しの意味でも私は、中小企業や地域の世話役活動にかけずり廻っております。

 不幸なことにここ数年国民の政治不信は益々ひろがる気配です。政治の責任を放棄し政治を解らなくした元凶は社会党と「さきがけ」。旧新進党と組んで細川内閣に入ったかと思ったら、仲間も世間も欺いて自民党に乗りかえ村山政権をつくりました。いま彼らが第三の新勢力を作ろうとしている真意は、自民・新進両党の間に立って、少数でキャスチングボートを握りどちらを向いても政権にありつける位置を築こうということで、これが成功するようでは益々政治の不透明が続きます。新進党がもっとまともなら、個性の違う二大政党時代がひらけたかもしれません。これがまた内部がバラバラで、だめですね。強い組織力があるせいか傲慢で暗い印象が消えません。

 私にはいま、支持する政党はありません。然し政治に絶望していいのか。そうはいきません。未来に期待をかけて、少しでも現状を変えてゆくことに貢献しなければと思っています。所属する政党にこだわらず、国の将来を真剣に考え、改革に気力のある人物を選んで応援するしかないと思っています。日本の危機というべき時に選ぶ代表は、知名度ではなく、政治的見識と能力、その可能性が問われるべきです。いい明日を信じて。

 区議選しっかり闘って下さい。成功を祈っています。貴兄のような変革の志ある者が頑張ることに期待しています。老兵はいま静かに内外の流れを興味深く観ているだけです。


 社会党を葬った最後の委員長、村山前首相は「苦渋の選択」というマジック・ワードで、これまでの社会党の主義、主張から、党自体のレゾンデトール(存在理由)まで放棄してしまった。社会党所属の議員達も「政権死守」を唯一の目的にこれを許してしまった。『あなた方の選挙時の主張は何だったのか』と問いたい。それも「苦渋の選択」と言うのか。投票時の公約とこれ程、乖離した政策を為し得るのであろうか。代議制とは言え、これが日本国憲法の許容する範囲であろうか。権力とはかくのごとく、悪魔に魂を売り渡してでも保持したいものであるらしい。(『こんにちは』第27号[96−1]

 樺山都議の新年会で上記の趣旨の批判をした。そのご返事が上掲の激励メッセージである。恐縮!


  • 1ページもどる

  • ホームページへもどる