アムネスティ会員との意見交換

≪オリジナル メッセージ≫

『私は神にはなれない』    木下しげき

 学生の頃、「全ての人に全ての権利を」という「アムネスティ・インターナショナル」の運動に参加していたことがある。良心の囚人の釈放や拷問、死刑の廃止、政治的殺害や失踪、難民などの重大な人権侵害をなくすという活動の中から、いつの頃からか「死刑の廃止」が優先順位を上げて議論されてきた。「人の人権をないがしろにした結果自分の人権が否定されるのは当然の帰結である」と主張し味噌も糞も一緒にした「死刑の廃止」の運動には同調できないとして脱退した。その「アムネスティ・インターナショナル」のホームページには次の記載があった。かつての仲間へのメール。

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「アムネスティ・インターナショナル日本」代表殿

「人を殺したのだから死刑になってもしかたないのでは?」死刑をめぐる議論は結局ここに集約されると思われます。そしてアムネスティ・インターナショナルは、「たとえ人を殺した人間であっても、死刑にしてはならない。」と考えており、死刑制度の廃止を訴えて活動しています。

・・・・・・・・・・・・・・

 あんた方は、大阪教育大付属池田小の教室に乱入して児童8人刺殺した宅間守にも上記のように言うのか。宅間守は「死刑にしてほしい」というのだから、ヤツの望みどおり「超法規的」に最大限の残虐な方法で死刑執行してやればいい。もし、自分の子供が犠牲者の8人の中にいたら間違いなく自分の手で「死刑執行」する。今日の日本では一人殺しても死刑にならないおめでたい国なのだから。

≪参考≫

(社)アムネスティ・インターナショナル日本

   メール   :アムネスティ日本 amnesty@mri.biglobe.ne.jp

   ホームページ:http://www.amnesty.or.jp/

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『アムネスティへの手紙』   アムネスティ会員のO

木下さん

こんにちは

 アムネスティ会員のOと申します。会員といっても熱心に活動しているわけではなく、普段はなにもしていません。死刑廃止の月例集会にも出席できないことのほうが多い、ほとんど幽霊会員といっていい状態です。

でも昨日の集会ははたまたま仕事の空き時間があったので、出席できました。そのときもらった資料の中に木下さん他の方々からのメイルが含まれており、お返事をどうしようということも議題に上りました。

 普段返信を担当している人が今日ストラスブールの死刑廃止国際会議に出発するので準備に忙しく、他の人はそれぞれ思うところはあるものの、納得していただけるように説明しようとするとものすごく長くなってしまうし、それでもどっちみち誤解されてしまうのではないかと心配していました。アムネスティに寄せられるご意見の中にはかなり人格攻撃的なものも多く、事務所の人たちは疲れているようです。

 そこで普段何もしていない罪滅ぼしといっては何ですが、いま勝手に私の判断でお便りしているわけです。このことは他の人はまだ知りません。

アムネスティの組織としては、何らかの形で後日返答があるかもしれませんし、個別に対応しきれないということであればホームページなり月刊の通信なりに何かのコメントが載るかもしれません。

 木下さんのように「人を殺せば死刑になるのが当然」と考える方は少なくありませんが、実際は殺人にもいろいろ事情があり、一筋縄ではいきません。殺人事件の大多数は家族の手になるものと犯罪白書で読んだことがあります。また間接的な大量殺人を犯しながら法律の不備のために罰せられない場合もあります。他人を自殺に追いやる人もいますし、右翼テロの犯人(たぶん暴力団員)がなぜか懲役7年ですむ場合もあるといいます。木下さんのお子さんが奥さんを殺害した場合のことを想像してみてください。お子さんの死刑を望まれますか。できれば子供さんを悔い改めさせ、少しでも奥さんの死を無駄にしないような生き方をさせてやりたいと思われるのではないでしょうか。

 また、これは私の個人的な偏見なので、アムネスティの立場とは違うかもしれませんが「一番悪い人たちは直接人を殺したりしないし、刑務所に行くようなへまはしない」という考えが私の頭のどこかにあることは事実です。戦時中の残虐行為がまだ十分に裁かれていないことも影響していると思います。中国で人体実験や生体解剖をしていた人たちは戦後みな出世したといいますし、エイズ事件の阿部さんも無罪になっています。各国諜報機関の政治的暗殺を命じている指導者たちは極端な例ですが、卑近な例では故意の手抜き工事で大勢の犠牲者を出しても責任を問われない人たちがいます。裁判で負けても懲役2,3年がせいぜいではありませんか。また、これから地球温暖化のために起こる自然災害で数え切れない犠牲者が出ると思いますが、現在かりに気象情報を操作している人たちがいるとすれば、その人たちの責任はどうなるのでしょうか。

 今回の事件の悲惨さは、犯人が社会のいわゆる敗残者で、すでに崩壊した人間であること、憎んでもしょうがないような相手であることからくるやりきれなさだと思います。私にも死んだ子供がいるので少しは池田事件の親御さんの気持ちもわかるつもりですが、犯人を死刑にしても子供は帰ってきません。犯人を死刑にすることで親の悲しみを少しでも解消できると考えるのはどんなものでしょう。人にもよるかもしれませんが・・・・・やはり理想を言えば「少しでも償ってほしい。死んだ子供の分まで懸命に、良心的に生きてほしい」それがだめなら「犯人個人に責任を取らせてよしとするのではなく、同じような犯罪が起こらないようにきちんと予防措置をとってほしい」のが本当の願いに近いのではないでしょうか。子供が戻ってくれば言うことはないのですが・・・いずれにせよ親はショックのために適切な反応のできない状態なのだということをまず理解し、精神的なケアを優先してほしいと思います。

 人を殺せば厳罰に処せられるということは誰でもわかっていますから、実際に行為にいたるまでにはずいぶん迷いがあるし、今回の犯人も何度も止めてくれるように周囲にSOSを出していたといいます。精神病院が収容能力を超えていたこと、自宅訪問観察が行われていなかったことは大変問題だと思います。言うまでもないことですが、責任能力のないものに責任を取らせてよしとすれば悲劇は何度でも繰り返されます。2、3歳の幼児が外で一人赤信号を渡ってトラックに轢かれたとしましょう。「子供本人の責任だ」「運転手の責任だ」といえば事故の予防になりません。本当に子供を守る気持ちがあるのなら、誰かが手を引いていなければならないはずです。最近の報道では、犯行の計画性が強調されていますが、数日前のNHKでは「取調官の質問に対し、うなずく形で答えている」ということでした。あんな事件を起こした後ですから、取調官の話を本当に理解しているかどうかも怪しいものだと私は思ってしまうのですが、木下さんはどのようにお考えですか。尿検査の結果は発表されたのでしょうか?いずれにせよ日本の精神医療や犯罪者の更生システムの充実にこの事件がつながっていくのでなければ、子供たちも浮かばれないと思います。子供たちの写真を法務省や矯正局、厚生省の各部屋に飾ってほしいという気持ちです。

 なんだか長くなってしまってすみません。これは私個人の意見ですので、木下さんにはご迷惑だったかもしれません(もしかしたら他のメンバーの人にも)。7月7日に早稲田の日本支部事務所で誰でも参加できる集会がありますので、よろしかったらご参加ください。Kさんという素敵な女性が当番で死刑入門セミナーをします。違った意見が聞けてご参考になるかもしれません。いろいろ出版物もありますので、できれば目を通してみてください。

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『アムネスティ会員のO様』    木下しげき

こんにちは

 長文のご意見をたまわり、まずそのことに感謝致します。

基本的に「アムネスティ会員」諸兄姉の活動には小生のメール中にも書いた理由で敬意を表しております。

 いま直ちにご返信するより暫く考えさせて下さい。(別にどういう風に反論しようかという姑息なことを考えてではなく、私が各掲示板で発言したこと、そしてそれに対する反論ないし同意等を取りまとめ・・・と考えています。)

 基本的に本テーマは確信犯的な部分が存在し、決して説得しよう等と大それたことを意図している訳ではありません。世の中には知性や理性に依拠して行動する人と感情の赴くまま行動する人がおり、大多数はその両極の間を適当にバランスをとりながら日々を生きているのが現状ではないでしょうか。私は先述の「知性や理性に依拠して行動する人」は尊敬しますが、そうかといって「感情の赴くまま行動する人」を軽蔑することはできません。それも弱い人間の一面と考えるからです。

暫くのご猶予をお願いして、とりあえずのお答えとさせて頂きます。

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『アムネスティ会員のOさんの「個人的」ご意見に答えます』    木下しげき

 アムネスティ会員のOさんの「個人的」ご意見に木下しげきの「個人的」考えを述べたいと思います。その途中で単なる思い付きからどういう方向に飛躍するか解かりません。こういう考える機会を与えて下さったOさんにまず深甚なる感謝を表します。

≪はじめに≫ 私自身も学生時代、刑法の授業で「目には目を」の応報刑から犯罪者の更正に主眼をおいた教育刑は素晴らしいものだと純粋に考えていました。(それでアムネスティにも加わったのでしょう)しかし、齢を重ねるにつれ、かつ「人権は、生まれながらの権利で、否定することは不可能」という近代西欧の文明以外の価値観を説く文献にも接しているうちに<途中の思考の遍歴は省略すると>「人の人権をないがしろにした結果自分の人権が否定されるのは当然の帰結である」に立ち至ったのです。極論すれば犯罪者に更正などしてもらわなくてもよい。つまり被害者にとっては何人の加害行為であれ自らの人権侵害がなされることには差異はないのです。「目には目を」ですが今風に言い換えれば「外形標準課罰」でしょうか。一定の罪を犯した者は社会から排除すべきと考えます。

【Oさん】 木下さんのように「人を殺せば死刑になるのが当然」と考える方は少なくありませんが実際は殺人にもいろいろ事情があり、一筋縄ではいきません。殺人事件の大多数は家族の手になるものと犯罪白書で読んだことがあります。

≪木下≫ Oさんは「殺す」と「死に到らせる」を混同しているように思います。死と言う結果を生じさせた場合は全て死刑にせよと言っているわけではありません。世の中には危険ではあるがそれ以上の利益性のゆえに「許された危険」という概念もあります。

≪木下≫ Oさんの指摘のなかにも人を「死に到らせる」場合にも次の類型があります。

(1)間接的な大量殺人を犯しながら法律の不備のために罰せられない場合。

(2)他人を自殺に追いやる人。

(3)右翼テロの犯人(たぶん暴力団員)。

(4)木下さんのお子さんが奥さんを殺害した場合。

(5)一番悪い人たちは直接人を殺したりしないし、刑務所に行くようなへまはしない。

(6)戦時中の残虐行為、中国で人体実験や生体解剖をしていた人たち。

(7)エイズ事件の阿部さん。

(8)各国諜報機関の政治的暗殺を命じている指導者たち。

(9)故意の手抜き工事で大勢の犠牲者を出した人たち。

(10)地球温暖化のために起こる自然災害で数え切れない犠牲者が出ると思いますが、現在かりに気象情報を操作している人たちがいるとすれば、その人たち。

≪木下≫ 私に刑法改正権限が与えられたら次のようにしますね。

【第199条の2】

(1)第200条ハ削除スル。

(2)自ラト何ラ接点ノナイ人ヲ殺シタル者ハ死刑ニ処ス。

ソノ行為ニ起因シテ死ニ至リシ場合モ又同ジ。

(3)前項ノ場合ソノ行為ノ判断デキナイ者ハコレヲ罰セズ。タダシ自ラノ意思デ行為ヲ判断デキナイ状況ヲ現出シタル者ハコノ限リニアラズ。

(4)前項前段ノ者ハ終生遠島ニ処ス。

(5)第1項ノ場合ト雖モ、自ラ公共ノ福祉ノタメト思惟シテ人ヲ殺シタル者ハ終生遠島ニ処ス。

具体的には今回の池田小の犯人、オーム事件の犯人、ホームレスを襲撃して死に至らせた犯人、北海道のサラ金強盗、東京浅草の通り魔犯人ですね。その他にも枚挙にいとまがありませんね。

今、これを書いているときにも、

◆19日午前9時40分ごろ、東京都文京区本郷3の9階建てマンションの8・9階に住む上野巌さん(78)の8階の部屋で、上野さんと母親の富子さん(97)が倒れているのを同じマンションに住む長男(47)が見つけ、119番通報した。上野さんは頭など7、8か所を殴られ死亡しており、富子さんも肩などにけがをしていた。9階のベランダに面した窓ガラスが割られており、室内には物色されたような跡があった。警視庁捜査一課と本富士署で捜査していたところ、同日午前11時過ぎ、同じ8階の隣の部屋のベランダにひそんでいた埼玉県川口市安行藤8、配管工松崎彰容疑者(28)を発見、殺人容疑で緊急逮捕した。(読売新聞 ON LINE

◆19日午前8時15分ごろ、東京都杉並区大宮2、私立「高千穂幼稚園」(酒井よし子園長、園児数約200人)の中門に女が近づき、「開けてくれ」と女性教諭(23)に声をかけた。女が門越しに灰色の荷物を渡そうとしたため、女性教諭が受けとろうとしたところ、女は突然、隠し持っていた文化包丁で同教諭に切りつけ、包丁を持ったまま逃走。同教諭は両腕の手首から約5センチ上部を軽く切られ、近くの病院で治療を受けた。(読売新聞 ON LINE

 見ず知らずの人間を殴ったり切りつけたりすることをこれほど安易に許す社会が何処にありますか。それだけのことをすれば、確実に死刑に処せられることを幼児期から徹底的に教えこむことですね。少子の時代とやらで幼児期から子供時代に是非善悪の区別を教えず勉強ばかりすれば良い子とチヤホヤするから、バカな子供が出来上がるのでしょう。

≪木下≫ 昔(学生時代)、高校の先輩で当時の法務大臣に同窓会で『死刑判決の確定した死刑囚の死刑執行命令書に残らずハンコ押しちゃってはどうですか。』と言ったことがある。当の先輩は笑って答えませんでしたけどね。職を離れた後に聞きましたが、辛い選択、苦渋の選択だそうですよ。その先輩の下で死刑の執行があったかどうかは調べていませんが。

【Oさん】 お子さんの死刑を望まれますか。できれば子供さんを悔い改めさせ、少しでも奥さんの死を無駄にしないような生き方をさせてやりたいと思われるのではないでしょうか。

≪木下≫ えらく具体的でお答えするのに抵抗がありますね。「奥さんの死」なんていわれると、「あ〜、あいつ死んじゃったのかあ」って気になりますね。「さて、次のピチギャルを探すか。」なんていうと、ぶっとばされそうですね。

 私の改正案ではこのようなケースでは死刑になりません。(「ずるい!」って声が聞こえた。)

【Oさん】 今回の事件の悲惨さは、犯人が社会のいわゆる敗残者で、すでに崩壊した人間であること、憎んでもしょうがないような相手であることからくるやりきれなさだと思います。

≪木下≫ 仮にそうだとして、では、彼のような境遇に置かれた人間が全て同様の犯罪を犯していますか。大多数は歯をくいしばって、時に自棄酒を飲んで、じっと耐えています。いつか花の咲く日の来ることを信じて。(これは詭弁であることは承知しています。)

【Oさん】 私にも死んだ子供がいるので少しは池田事件の親御さんの気持ちもわかるつもりですが、犯人を死刑にしても子供は帰ってきません。犯人を死刑にすることで親の悲しみを少しでも解消できると考えるのはどんなものでしょう。

≪木下≫ こんどは、Oさんが詭弁です。しかし、親はどのような理由で死んだにせよ我が子の死は辛いものです。貧しく医者に看せられなかった私の弟妹の死に、先年逝った父は最期のそのときまで悔やんでいました。(それで、父の墓の隣に二人の子供を抱いた地蔵を造って建てました。)

「犯人を死刑にしても子供は帰ってきません」それはその通りです。しかし、犯人を抹殺すればその犯人による被害者は二度と出ません。哀しい遺族も作られません。一度殺人を犯した、人間として道徳的ブレーキの壊れた人間の再犯率は、そうでない人間よりも遥かに高いと思います。

【Oさん】 人にもよるかもしれませんが・・・・やはり理想を言えば「少しでも償ってほしい。死んだ子供の分まで懸命に、良心的に生きてほしい」それがだめなら「犯人個人に責任を取らせてよしとするのではなく、同じような犯罪が起こらないようにきちんと予防措置をとってほしい」のが本当の願いに近いのではないでしょうか。子供が戻ってくれば言うことはないのですが・・・いずれにせよ親はショックのために適切な反応のできない状態なのだということをまず理解し、精神的なケアを優先してほしいと思います。

【Oさん】 人を殺せば厳罰に処せられるということは誰でもわかっていますから、

≪木下≫ 「厳罰に処せられる」ではダメなのです。必ず死刑になる。自らの生命をもって罪を贖うことになるという確信を国民のコンセンサスとして定着させねばダメなのです。

【Oさん】 実際に行為にいたるまでにはずいぶん迷いがあるし、今回の犯人も何度も止めてくれるように周囲にSOSを出していたといいます。

≪木下≫ 人権派と称する学者や弁護士がいわゆる「保安処分」に反対していました。彼らは自分の観念的な学問的信念でそれに反対し、その結果として今回の事件のような無辜の子供が殺害された責任をどう取るのでしょうか。取れはしませんね。あなたのように『精神病院が収容能力を超えていたこと、自宅訪問観察が行われていなかったことは大変問題だと思います。』と言うだけでしょう。

【Oさん】 言うまでもないことですが、責任能力のないものに責任を取らせてよしとすれば悲劇は何度でも繰り返されます。

≪木下≫ 「責任能力のない者」が、そういう加害行為を起こすことを放置していた側の責任が問われるべきです。噛み付き癖のある犬は鎖で繋いで置くのが義務付けられているように、「責任能力のない者」は「鎖で繋いで置け」とまでは言いませんが、それなりの対応をしておくべきではないでしょうか。放し飼いにしておいて、責任の面だけ「責任能力のない者」を持ち出して議論することは卑怯で無意味です。

【Oさん】 2、3歳の幼児が外で一人赤信号を渡ってトラックに轢かれたとしましょう。「子供本人の責任だ」「運転手の責任だ」といえば事故の予防になりません。本当に子供を守る気持ちがあるのなら、誰かが手を引いていなければならないはずです。

≪木下≫ 当然です。そういう状態にたち至ったのが故意か過失かの議論はあるにせよ、保護の責めにある者の「遺棄致死」で立派に殺人罪の構成要件に該当します。運転者には赤信号であろうとそこが横断歩道である以上ある程度、道交法上の過失割合はありましょうが、少なくとも「殺人罪」にはならないでしょう。

【Oさん】 最近の報道では、犯行の計画性が強調されていますが、数日前のNHKでは「取調官の質問に対し、うなずく形で答えている」ということでした。あんな事件を起こした後ですから、取調官の話を本当に理解しているかどうかも怪しいものだと私は思ってしまうのですが、尿検査の結果は発表されたのでしょうか?

≪木下≫ 薬物の摂取によって一時的な錯乱状態に陥ったのなら「責任能力」の問題を問う必要はありませんね。未必の故意で十分です。

【Oさん】 いずれにせよ日本の精神医療や犯罪者の更生システムの充実にこの事件がつながっていくのでなければ、子供たちも浮かばれないと思います。子供たちの写真を法務省や矯正局、厚生省の各部屋に飾ってほしいという気持ちです。

≪木下≫ なぜ、犯罪者の更生システムに被害者の無辜の子供たちが寄与しなければならないのですか。犯罪者に与えられるのは更正ではなく自らの生命でのみ贖える罪の贖罪なのです。構成員を殺害したのですから構成員たる資格を失い排除されることは、共同体である社会の根元的な掟でありましょう。

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アムネスティ会員 O

木下さん

お忙しい中を丁寧なご回答ありがとうございます。

 先に私から木下さんにお出ししたメイルとこの下さんのご回答を掲示板に載せてくださることは一向に構わないのですが、私としては木下さん個人にお出ししたつもりでしたので、公開ついでに少し付け加えさせてください。

 これはあくまでも私個人の意見なのですが、死刑執行には社会の残虐性を刺激し、凶悪犯罪を誘発する効果があると私は思っています。犯罪白書などで凶悪犯罪発生件数の推移を見ると、死刑執行が中断されていた頃はずっと凶悪犯罪が減りつづけていたのに、細川内閣が執行を再開してから増加に転じ、以後は増えつづけています。単なる偶然なのかもしれませんが・・・・

 日本は世界の先進国の中でも飛びぬけて凶悪犯罪の発生率の低い国だったと思いますが、違いますか?これには日本の警察の人命尊重の精神も大きく寄与していると思います。凶悪犯が人質をとって立てこもっていても、諸外国のように簡単に射殺したりせず、時間をかけて根気良く説得し、逮捕に結びつける姿勢は「すぐに切れない」人間を育てるための最高のモデルだと思います。

 木下さんが、わざと錯乱状態を作り出して犯行に及ぶ人を罰しようと提案されていることには、どちらかと言えば賛成です。でも、死刑によって罪を贖えると考えるのは、失礼ですがあまりにも安直だと思います。犯罪を抑止するどころかかえって逆効果ではありませんか。矯正局の人が「犯罪者の更生に税金を使うのは、泥棒に追い銭だ、という考え方もある」と話していましたが、とんでもない話だと思います。排除は排除を生む、というのが私の実感です。死刑に対して慎重な国の姿勢そのものが安易に人殺しをしない生き方につながるのだと私は確信しています。

 「自らと何ら接点のないものを殺したるものは死刑に処す」ことを提案されていますが、これはヘンですよ。顔見知りのお隣さんの子供を殺せば無期懲役、隣町の子供を殺せば死刑、と言うわけにはいかないでしょう。

 それから正当防衛による殺人のことを前回は忘れていました。これも殺人のうち、かなりのパーセンテージにのぼるのではありませんか。酔っ払って殴り合ったら相手が死んでしまった、というケースも無視できないと思います。

 いずれにせよ、人を殺してしまうというのは過失にせよ故意にせよ大変な悲劇です。とにかく予防に努めることが先決だと思います。逆効果にならないように・・・

 これは本当に個人的な偏見で世間には通用しないと思いますが、私は「殺さなかったことにできる」未必の故意にむしろ怒りを感じます。日本で狂牛病が発生する恐れはないと言い張っている厚生省の役人は、たぶん起訴されることすらないのでしょう。でも「どうせ責任を問われることはあるまい」とお役人が思い込んでいるのでは、国民の命は保証されません。せめて新聞紙を丸めて殴ってやりたい・・・木下さんはどのように思われますか。

 「少し」と言いながら長くなってしまいすみません。HPの運営は大変なご苦労だと思いますが、お体に気をつけて頑張ってください。

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O様     木下しげき

転載のご了解感謝致します。結論はともかく議論を喚起したいと考えます。議論しているうちに自らの無知に到達できるでしょうから。

一点だけ、弁明させて下さい。

>「自らと何ら接点のないものを殺したるものは死刑に処す」ことを提案されていますが、これはヘンですよ。顔見知りのお隣さんの子供を殺せば無期懲役、隣町の子供を殺せば死刑、と言うわけにはいかないでしょう。

>>≪木下≫ 私に刑法改正権限が与えられたら次のようにしますね。

【第199条の2】

(1)第200条ハ削除スル。

(2)自ラト何ラ接点ノナイ人ヲ殺シタル者ハ死刑ニ処ス。ソノ行為ニ起因シテ死ニ至リシ場合モ又同ジ。

(3)前項ノ場合ソノ行為ノ判断デキナイ者ハコレヲ罰セズ。タダシ自ラノ意思デ行為ヲ判断デキナイ状況ヲ現出シタル者ハコノ限リニアラズ。

(4)前項前段ノ者ハ終生遠島ニ処ス。

(5)第1項ノ場合ト雖モ、自ラ公共ノ福祉ノタメト思惟シテ人ヲ殺シタル者ハ終生遠島ニ処ス。

の前には、第199条があります。こちらの方で「顔見知りのお隣さんの子供を殺」しても死刑に出来ます。Oさんのおっしゃる齟齬は生じないと思います。「顔見知りのお隣さんの子供」を殺害する場合と全く縁もゆかりもない「隣町の子供」を殺害するのでは、周辺住民に与える恐怖感は全く異なります。前者の場合、我が子に危害が及ぶことを案じることはないからです。

その余の点については暫く考えさせて下さい。


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