<行政資料 6−1> 21世紀まずこれをやろう(1)

電線の地中化 景観・防災も「先進国」に

 全国にある電柱、その数4,000万本―。日本は国民3人に電柱1本という電柱大国"だ。雑然と入り組み、住宅地の空を覆う電線はすっかり日本の町並みに溶け込んでいるが、先進国の主要都市ではほとんど見かけることはない。20世紀の遺物、電柱がなくなる日は来るのか。

 ●絶えぬ苦情

 「同じ京都でも東山とはえらい違いやなあ」京都・嵐山の嵐山保勝会専務理事、荻野通弥さん(64)は観光客からこんな感想を聞かされる。山桜、紅葉で有名な渡月橋を擁する嵐山地区への観光客はここ2年ほど減少傾向にある。平成9年11月に電線を地中に埋め、電柱をなくした東山地区に客足を奪われているのだ。「観光客がきれいな写真を撮れないだけではない。狭い通りに大型バスも行き来し、電柱は危険。商店の看板が遮られているとの苦情も絶えない」と荻野さんは嘆く。

 日本で地中化事業が始まったのは昭和60年のプラザ合意後の急激な円高がきっかけだ。電力会社が燃料の原油輸入で発生した円高差益を、地中化事業で社会還元することになった。平成10年度までに東京都港区浜松町の国道15号沿道など、首都圏を中心に約3,400キロメートルを整備。11年度からは5年間で約3,000キロメートルを目標とする「新電線類地中化計画」がスタートするなど着々と進んでいる。

 しかし、ほとんど電柱のないロンドン、パリ、ベルリンや、地中化率(電線の総距離に占める地中電線距離の割合)が7割を超えるニューヨークに比べると、東京23区の地中化率は42.5%となお開きがある。

 ●単価は20倍

 「景観の美化、災害時の電柱倒壊防止に加え、高齢者などの歩行の妨げとなる電柱をなくすことでバリアフリーが実現できる」旗振り役の国土交通省は地中化の利点を積極的にアピールするが、事業には思いのほかお金がかかる。電気事業連合会の青柳光広・工務部副部長は「地中での整備費は1キロメートル当たり4億〜5億円と電柱のおよそ20倍です」と指摘する。

 現在、地中化の事業費は、国のガソリン税や道路を管理する自治体の地方税、それに電力、電話など公共料金でまかなわれている。約3割を負担する電力業界は「社会貢献の立場から積極推進の姿勢に変わりはありません」(小田切司朗・東京電力配電部グループマネジャー)というが、その一方で「電力自由化の下で1円でも値下げしなければいけない時期に事業費負担は重い」(他の電力幹部)との本音も聞かれる。財政難の自治体も「計画以上のペースで進めたいが、財政再建プランとのバランスも必要」(木村浩平・東京都建設局道路管理部安全施設課長)と頭を抱えている。

 地中化事業は今、過渡期にある。11年度からは住宅地などにも対象を広げ、地中化への要請に幅広くこたえることにしたが「税金や公共料金の負担で将来どこまで地中化を進めるべきか」という聞いに答えは出ていな。昨年7月、旧建設相に就任した扇千景国土交通相は、道路を中心にした従来型の公共事業を転換する方針を高らかに宣言したが、国士交通省が地中化に積極的なのは「ハコモノ」「バラマキ」といった批判を受けにくいからだ。しかし「選挙前には政治家から地中化を求める圧力がかかる」とのぼやきが電力業界からも聞かれ、道路予算のように"利権化"する恐れがあるのも事実だ。

 ●大震災の教訓

 平成7年1月17日の阪神大震災では、11,000本の電柱が倒れ、地中の電線も液状化により各所で断線した。地震発生直後には260万件が停電した。しかし、震度7以上の地域で電柱の停電率が10.3%だったのに対し、地中線は4.7%と半分以下の被害率にとどまった(資源エネルギー庁の調査)。ただし、復旧作業では「地中線は断線の調査や修理に倍以上の時間がかかった。近くに電柱のなかった地域では応急の電線を張る場所さえなかった」(関西電力三宮営業所に勤務していた松村幹雄・お客様本部ネットワーク技術グループマネジャー)という。エネ庁の調査でも復旧の有利さについては電柱に軍配を上げ、電柱を一部残して防災に役立てる提言が行われた。松村さんは「電柱の全廃にこだわるより、総合的な都市計画作りが大事」ともいう。全廃には、まだ議論の余地はあるが、少なくとも、通行の障害や景観を大きく損ねる場所で電柱が林立している光景は先進国にはなく、自然環境を大切にする国家とは言い難い。  (佐藤健二)

 新世紀に入っても、前世紀から未解決のままのものが、まだまだ目につく。日本が早急に取り組むべき課題を探った。

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<行政資料 6−2> 21世紀まずこれをやろう(2)

国連「敵国条項」の撤廃 常任理事国入りへの障壁

 国連憲章からの「敵国条項」撤廃。悲願である日本の国連常任理事図入りと表裏の関係にあり、今世紀初頭の日本外交の大きな課題の一つだ。

 「United Nations」−。国連と訳されているが、実は第2次世界大戦の「連合国」のことであり、大戦終結の昭和20年(1945年)に誕生した国連が、現在の常任理事国の座を占める米英仏露中の"戦勝国クラブ"を中心として発足した国際組織であることを端的に表している事例だ。そして、日本が「悪者・敗戦国」であることを印象づけているのが敵国条項であり、日本の常任理事図入りの大きなハードルともされている。

 ●すでに死文化

 日本では「なぜ今どきアフリカなのか」など悪評が多かった1月の森喜朗首相のアフリカ歴訪だったが、「戦略的外交」を掲げる首相の歴訪に、ヘラルド・トリビユーン紙やCNNテレビなど欧米の有力メディアは「日本が常任理事図入りの支持獲得を念頭に、本格的にアフリカ外交に乗り出した」と注目した。「日本はなぜ条項の撤廃にこだわるのか。もう死文化したのだから、どうでもいいではないか。それよりも重要なのは安保理改革だ」−。平成2年(1990年)3月に国連大使として赴任した波多野敬雄氏(現・フォーリン・プレスセンター理事長)がドイツの国連大使と条項の撤廃問題を協議しようとした途端、こう切り返された。波多野氏はイタリアなど他の旧枢軸国とも協議したが、「ほとんどが同じような反応だった」という。「中ソ対立を契機とした米中和解、日中国交正常化などの国際情勢の変化が大きかった。経済成長による日独伊の国際政治・経済での地位向上も好影響となった。80年代には加盟国の多くが『条項は死文化した』と見なすようになった」(元日本政府代表部職員)

 ●作戦を変更

 95年12月11日、ニューヨークの国連本部。午前10時から始まった総会では、敵国条項は時代遅れであるとして、削除へ向け国連憲章の改正手続きに入る意思を表明した決議が採決された。決議案はエジプト、ブラジルなど6ヵ国が提出、これに日本やフィンランドなど「旧敵国」の一部が共同提案国に名を連ねた。結果は賛成155、反対0、棄権3。米国、ロシアをはじめとする戦勝国側も賛成し、北朝鮮、キューバ、リビアが棄権に回った。

 ただ、総会決議から5年余りが経過した今も、国連憲章から条項は削除されていない。憲章改正には3分の2以上の加盟国の批准が必要というハードルと同時に政治的障壁も高い。当時、国連で各国との折衝を繰り返した外務省幹部は「憲章改正となると、安全保障理事会の改革もやれというムードになり、安保理改革に慎重な加盟国に警戒感が出た」と、暗に日本の常任理事国入りを快く思わない中国やロシアの厚い壁があると証言する。こうした流れに日本も「安保理改革」に焦点を合わせ、安保理改革時の憲章改正と同時に敵国条項も削除する作戦に切り替えた。だが、安保埋改革の実現の見通しは立っていない。昨年9月に首相も出席した国連ミレニアムサミットで採択された「国連ミレニアム宣言」には、安保理改革も盛り込まれたが、「安保理のあらゆる側面での包括的改革のために努力を集中する」との玉虫色の表現に終わった。河野洋平外相も昨年9月の国連総会で「改革の論点は出尽くした。意見の収れんを図るべきだ」と促したが、「安保理のメンバーを何ヵ国増やすのか。どの国が新たな常任理事国に入るのかなどで各国の思惑は入り乱れており、結論は容易に出ない」(外務省幹部)

という。

 ●自ら行動を

 首相が今月23日、国連のアナン事務総長との会談で「安保理改革が実現せず、国連予算の2割近くも負担していることに国民の不満があるということも分かっていただきたい」と訴えたのに対して、アナン事務総長は「改革が緊急のテーマであることは分かっている。何らかの進展が得られると思う」と応じた。しかし、「改革を決めるのは加盟国だ。事務総長はその環境整備を行うにすぎない」(外務省筋)との冷めた見方もある。一方で、肝心の日本の国連外交の在り方を問う声もある。

 90年代半ばまで国連の日本政府代表部に在籍したあるベテラン外交官は離任する直前に英国の外交官から次のように諭されたことを鮮明に思いだすという。「日本はナイフとフォークを持って黙って座っていれば『常任理事国』という料理が銀の皿に載ってひとりでに出てくる思っているようだが、絶対にそんなことはない。国際的な地位というものは、自分の手で死にもの狂いになって獲得するものだ」  (青木伸行、笠原健)

■敵国条項■

 第2次世界大戦の敗戦国に適用される国連憲章の条項。旧敵国が加盟国の安全を脅かす行為を起こした場合、各国で構成した地域的機構が安保理の許可なく独自に強制行動を取ることを許可している53条と、戦勝国が旧敵国に戦争の結果として結んだ協定などは憲章のあらゆる規定に優越するとしている107条を指す。憲章には国名は明記されていないが、日本、ドイツ、イタリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、フィンランドの計7ヵ国を指すとされている。

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<行政資料 6−3> 21世紀まずこれをやろう(3)

電子投票システム 導入へ向け法改正視野

 ノートパソコンサイズの端末機に電子投票カードを差し込むと、画面に8人の歴史上の人物が小選挙区候補として並んだ。福沢諭吉の名前を指で触れると、写真、略歴、政党名に加えて「人の上に人をつくらず、人の下に人をつくりません」と公約が書かれた画面が登場。「投票」ボタンを押し、一票を投じたら選挙管理委員会の集計用パソコンに瞬時に加算された…。

 IT(情報技術)を駆使した日本独自の電子式投開票システムのモデル。すでに、技術的には本番での対応も可能なのだが、投票用紙に名前を書く「自書式」へのこだわりなど、選挙制度上の問題が導入をはばんできた。開票作業の迅速化や選挙事務にかかる人件費の大幅カットに加え、音声案内なども可能なため、選挙のバリアフリー化への期待も高い。

 ●5分で集計

 このシステムは、通産省(現経済産業省)の委託を受けた電子投票普及協会が10年かけて開発した。機械産業記念事業財団が運営する産業技術の展示場「TEPIA」(東京・青山)に、デモンストレーション用として展示されている。普及協会の幹事会社である政治広報センターによると、ソフトの改良で、複雑な参院選の非拘束名簿方式にも対応できるという。同じシステムが、昨夏の沖縄サミットで、各国の首脳や報道機関に披露されて話題になった。高知市や埼玉県川口市では平成11年4月の統一地方選で、動物などを候補にみたてた模擬投票を実施。結果の入ったフロッピーディスクを開票所に運び、わずか5分で集計結果をはじき出した。

 ●議員の郷愁

 日本の技術力によって開発されたシステムだが、国内では日の目を見ないまま、昨年6月に、l足早く英国政府のモデル事業として有権者約13,000人のノリッジ市の選挙で実用化された。市内8ヵ所の投票所に計16台の専用端末機をセット。コンピューターでの投票終了後、携帯電話で一斉に市役所のコンピューターに送信され、約3分で開票・集計作業を終えた。

 選挙を管轄する総務省は、今夏の参院選で、啓発費用を除く選挙費用624億円を来年度予算に計上している。電子投票導入による経費削減などの試算は行っていないが、導入されれば、開票事務などの要員がほとんどいらなくなり、大幅な人件費削減が見込める。さらに、投票結栗の集計もノリッジ市の例をみるまでもなく、大幅に短縮できるのは間違いない。が、自分の名前を投票用紙に書いてもらいたいという議員の思いが、電子投票導入を妨げる一因となってきた。自書式の投票は、世界広しといえども日本だけといわれる。FAXによる洋上投票さえ、認められるのに10年近くもかかった経緯が「名前」へのこだわりを物語る。

 選挙制度上の課題も多い。総務省の選挙システム研究会が昨年8月にまとめた中間報告では、指定された投票所での電子投票機による投票▽指定以外の投票所での投票▽投票所外からの個人のコンピューター端末による投票―の3つのケースを想定したうえで、今後の検討課題として、選挙人の本人確認や二重投票の防止、投票情報のセキュリティーなどをあげている。いまのところ指定投票所での投票が有力だが、投票結果をフロッピーディスクで開票所などに運ぶのか、オンラインで結びリアルタイムに開票・集計作業をするのか。バックアップ体制や、電子投票を生かした投票のバリアフリーをどこまで認めるかなどさまざまな選択肢があり、公職選挙法改正に向けた作業が必要になる。

 ●広島で実験へ

 「票の判定で混乱した米大統領選と比べれば分かるように、日本の選挙制度は世界一だが、正規の職員が時間外で開票作業をカバーするなど選挙実務に負担がかかりすぎる。エネルギーをかけなくてはならないことはもっとほかにある」衆院議員時代、超党派の国会議員による電子式投開票システム研究会の副会長を務めた広島市の秋葉忠利市長はこう強調する。秋葉市長は昨年12月、首相官邸を訪れ、電子投票を全国に先駆けてパイロット導入する方針を伝え、政府の支援を要望した。広島市は昨年8月6日の「平和宣言」に、科学技術を「人間目的」のために活用するモデル都市としての新たな出発―を盛り込んだ。広島県とも調整し、今年11月に予定される知事選では、市内の選挙区での電子投票導入をめざし、近く電子投票実務研究会をスタートさせる。同システム研究会会長の塩川正十郎・元官房長官は「自書式へのノスタルジアは私にもあるが、投票人口の増加も見込まれ、いつまでも紙を開いて票を数える時代ではないだろう。広島市がやりたいのなら、それをきっかけに各地の自治体で実験が進めばいい。参院選の非拘束名簿方式により、選挙事務がますます複雑化し、機は熟した」と話す。IT化戦略の推進を掲げる森首相も導入に意欲を燃やし、総務省も法改正に向けた準備を始めた。     (大塚昌吾)

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<行政資料 6−4> 21世紀まずこれをやろう(4)

自動翻訳機 言葉のボーダーレス化加速

 日本語で話せば、機械が外国語に置き換えて発音し、逆に外国人の発する言葉を日本語で聞くことができる音声自動翻訳機。国家プロジェクトで開発が進められてきたこの機械が、遅くとも5年以内には完成するところまでこぎつけたという。当初の完成予定は2020年だったが、技術開発のペースは速く、携帯型の翻訳機が数万円で手に入るのもそう遠くないという。インターネットの普及で地球規模の情報ボーダーレス化が進むなか、英語による情報は90%を占める。外国語ブームといわれながら、外国語の苦手な日本人にとっては大きな福音となる。

 ●学生超えた?

 「短大生を抜いたぞ」「けいはんな学術研究都市」にあるエイ・ティ・アール(ATR)音声翻訳通信研究所(京都府精華町)で開発された日英双方向音声翻訳システム「ATR-MATRIX」が昨年春、高度な英語検定「TOEIC(商標登録)」で1,000点満点中550点を取った。TOEICの平均点は大学生で570点、短大生で500点とされている。少なくとも短大生の平均を上回ったのだ。 「ATR-MATRIX」は外国を訪れた旅行者がホテルで必要とする会話のレベルに設定されている。検定試験もこの範囲に限られて行われたが、それでも一般的な会話ではそれほど苦労することはないことを示した。この機械は片方の端末で英語で話しかけると、瞬時に日本語に音声で変換。その逆もまた可能だ。タイムラグははとんどない。例えば日本語で「じゃあ、しようがないですね。えーっと、この170ドルの部屋にします」と話しかけると、英語に変換される。「じゃあ」の部分まで「Well」と忠実に翻訳、言語として意味をなさない「えーっと」という部分も、認識して英語に変換する。もちろん英語から日本語に変換するのも同じレベルで可能だ。

 「ATR−MATRlX」はデスクトップのパソコンサイズ。登録されている音声言語は英語、日本語ともに20,000語。音声翻訳通信研究所から開発を引きついだATR音声言語通信研究所の山本誠一社長は「今でもコンパクトにすることは可能。使用するメモリーは256メガバイトなので、携帯型にすることもできる」という。実際に変換できる言語はまだ少ないが、携帯電話に類似ソフトを組み込んだ試作品もすでにできている。

 ●国家的事業

 ATRが設置されたのは平成元年春。自動翻訳システムを開発する研究所もこのときにオープンした。研究開発費は70%を国、30%を民間企業が負担しており、研究者の多くは民間企業からの出向だ。ATRの開発プロジェクトは民間から提供されたテーマを主に、将来の国家戦略や、技術開発が完成したときのマーケットの大きさなどを検討して決定される。商業的に成功することを前提にしているため、7年間で一定の結果を引きださなければならない。現在、音声言語通信研究所の年間予算は約20億円。7年後にはほぼ完全な形の自動翻訳機を作ることが義務づけられている。経済企画庁(現内閣府)か平成3年に出した報告書によると、自動翻訳機は2020年に完成し、その時には市場が1兆円規模になると予測。10年前から国は将来の一部をこの研究にかけてきた。

 ●あと一歩…

 音声自動翻訳システムはまず音声を1秒の100分の1に分割して言葉を認識し、単語に変換。この単語に続きやすい単語を類推して文章の意味を解析し、日本語や英語に変換する。このシステムはほぼ完成。あとは経済用語や学術用語など、言葉のデータを収集し、登録していくなどの作業を進めればよいだけ。システムは電算化されているため、携帯化するのもそれはど難しくはないという。商品化して売り出すときには「たぶん数万円程度でなければ売れない」(大手電器メーカー)。

 ATRでは、コンピューターと集音マイク、スピーカーがセットになったジャケットの開発も計画している。このジャケットさえ着れば、外国人と話すのに不自由がないという夢の上着で、まるでドラえもんの世界"である。山本社長は「当面は自動翻訳システムがTOEICで800点以上取るレベルまで達したい。800点は一流企業のエグゼクティブクラスの英語力といわれています。そこまでいけばまずまず」。さらに「コンピュータI技術の革新で、あらゆる技術開発はスピードアップしている。2020年に完成するという予測よりは早くなるはず」と自信を示す。ただ、情報の英語支配に終止符をうつ可能性だけでなく、言葉の壁がなくなれば世界のボーダーレス化が急速に進み、活用の仕方によっては新たな問題も出てくる。山本社長は「逆に日本語のアイデンティティーが問われるようになる」と指摘している。 (堀洋)

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<行政資料 6−5> 21世紀まずこれをやろう(5)

通勤地獄を解消 新たな就業形態を模索

 昨年、米国で話題になったポスターがある。混雑した列車内の風景をバックに、「動物なら『虐待』と呼び、人間の場合は『通勤』と呼ぶ」のコピー。ニューヨークの地下鉄の通勤ラッシュ緩和を訴える市民団体が作ったものだが、このポスターを見た目本の鉄道関係者は深いため息をついた。「みたところ、混雑率は150%くらいですかねえ。通勤ラッシュがこの程度なら、日本ではそんなに目くじらを立てられずにすむんでしょうけど…」

 ●一極に集中

 昭和50年、東京圏内の平均混雑率は221%、大阪圏内は199%で、ピーク時には250%以上という路線も当たり前だった。以来、改善が続き、昨年度の平均は東京圏が183%、大阪圏が144%となった。ちなみに混雑度の目安は250%が「身動きできない」、180%が「体が触れ合う」、150%は「新聞が読める」。日本の通勤混雑は、米国の比ではない。通勤ラッシュが登場したのは昭和28年ごろ。戦後の復興期から高度成長期にかけて、政治、経済、文化が東京や大阪に集中する一極依存構造となり、増大する人口は郊外へと広がった。自宅から職場までは1時間以上かかり、バス待ちの長い列とスシ詰めの満員電車で職場に書くころには精根程き果てる「地獄」の状態が続いている。

 通勤地獄解消の第一は、都市部における鉄道インフラの整備だ。東京圏については、平成12年に運輸政策審議会(運政審)から答申された「東京圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画」が通勤地獄緩和の道標となっている。新規着工となっているのは、半蔵門線「水天宮前―押上間」(6.1キロ)で東武伊勢崎線との相互直通が可能となり、臨海副都心線「東京テレボート―大崎間」(10.7キロ)はJR埼京線と相互乗り入れされる。さらに大型新路線として常磐新緑「秋葉原―つくば間」(58.5キロ)も17年3月の完成を目指して整備中だ。このほか複々線化など、答申通りに路線の改良や整備がすべて行われた場合、平成27年の段階で151%にまで緩和されると推計されている。

 ●輸送力の増強

 鉄道各社も輸送力増強で混雑緩和に必死だ。JR東日本は、昨年暮れに発表した「新・中期経営構想『ニュー・フロンティア・21』」で、平均200%を越える首都圏の通勤電車を17年度までに180%台に緩和する方針を打ち出した。山手線などへの対応策として、新型ATC(列車自動制御装置)を導入し、運転間隔を2分30秒から2分10秒に短縮、一時間あたり24本を最大28本にまで増発できる。大阪圏は、運政審が平成元年に答申した「大阪圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画」に従って整備が進んでいる。城東貨物線に旅客列車を通す大阪外環状線「都島―久宝寺間」(14.9キロ)や大阪市営8号線「井高野―今里間」(12.1キロ)など。JR西日本も輸送力増強を図り、京都線や神戸線で快速を増発。阪和線は快速編成を6両から8両へ増強、181%の混雑率が158%に緩和された。さらに混雑が激しかった大阪環状線「京橋―大阪間」は9年の東西線開通で乗客が分散され、8年の混雑率173%が147%にまで下がった。

 米国サンフランシスコのBART(べイエリア高速輸送網)にならって湾岸部に高速交通網を整備したり、地面から40メートル以下の大深度地下に高速鉄道路線を新設するなど華々しい構想も考えられるが、設備出資に膨大な費用がかかるため景気停滞の現段階では実現は難しい。国土交通省都市鉄道課も「現段階での解消策は、列車の輸送力の増強など少しでも効果がある地道な作業を積み重ねること」と話す。

 ●在宅や分散化

 厚生労働省では、定時に決まった場所に出社するという勤務形態を打破することで、通勤地獄を緩和する方法も模索されている。従来のテレワークなどの在宅勤務やサテライトオフィスなど職場分散に加え、今年度から「企画業務型裁量労働制」がスタートした。特定職種の社員が自由で自律的な労働時間で勤務できる制度で、労使委員会の合意のもとで運営ルールを定めて労働基準監督署に届け出れば、自分に合った時間配分で勤務できる。これにより時差出勤への可能性が広がった。また、ソフトウェア開発や広告、企画などのクリエーティブ業務を中心に広がっている自宅や小規模事務所で仕事する独立自営型のワークスタイル「SOHO(Small Ofiice Home Office)」も、通勤のない新しい就業形態として注目される。厚生労働省勤労者生活部企画課の本多則恵課長補佐は「仕事の発注元と受注するSOHOとの間で仕事の取引を行う市場整備が進めばSOHOも定着し、通勤地獄も解消できるのでは」と、社会基盤の整備を訴えた。  (大野正利)

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<行政資料 6−6> 21世紀まずこれをやろう(6)

少子化対策 育児支援企業にも有益

 情報機器メーカー「セイコーエプソン」(長野県諏訪市)の宮沢由香さん(35)は自社のホームページの企画、運営を担当しているキャリアウーマン。小3の長女(9)を頭に3人の子供の母親だ。3人とも、産前産後休暇と育児休暇を取って職場復帰。さらに、満3歳の3月未まで2時間を限度に就業時間を短縮できる制度を保育所の送り迎えに利用した。

 同社でこのような施策がスタートして約10年。延べ800人以上が利用し、休職後の職場復帰寧は90%を超える。上司や同僚への気兼ねはいらない。「3人産んでも仕事が続けられる。社外の友人からもうらやましがられます」と宮沢さんは話す。

 教育関連事業「ベネッセコーポレーション」東京本部(多摩市)の渡辺美冬さん(36)は雑誌の編集者。4年前、英国に赴任する夫に同行するためいったん退社したが、一般応募よりも優先的に採用される再雇用制度で、昨年6月に復職した。英国では、大学院で児童文学を学び、長女=1歳4ヵ月=を出産した。今は毎朝、長女とともに出社。社内の託児所に預けてオフィスに入る。「何かあっても、すぐに飛んでいけるので安心。仕事に集中できる」と満足げだ。

 ●インフラ整備

 働く女性が、みな彼女たちのように恵まれた職場環境にあれば、少子化問題も解消されるはず。保育所などインフラ整備とともに、仕事と家庭の両立を支援する企業努力が欠かせない。だが、企業の取り組みは十分とはいえない。育児・介護休業法では、育児休暇の取得を権利として保障し、育児のための勤務時間短縮を事業主に義務化している。しかし、罰則がないせいか、旧労働省の平成11年度の調査では、育児休業規定がある事業所は30人以上の規模で8割弱、育児のための短時間勤務制度がある事業所も3割弱にとどまっている。厚生労働省では、仕事と家庭の両立を積極的に支援する会社を「ファミリーフレンドリー企業」と呼んで表彰する制度を平成11年から始め、その普及啓発に努めている。これまでにエプソンやべネッセをはじめ84社が表彰された。

 ●欧米で登場

 ファミリーフレンドリー企業の条件とは@1年を超える育児休業制度など法を上回る規定があり、実際に利用されているAフレックスタイム制など柔軟な働き方ができる制度があり、実際に利用されているB仕事と家庭の両立に管理職の理解があり、男性も利用しやすいムードのある企業文化―など。そもそもファミリーフレンドリー企業という概念は、欧米で80年代に登場した。諸外国よりもいち早く少子高齢社会を迎えたスウェーデンでは、労働力不足を女性の社会参加で補うために、育児も介護も社会で支えるという考え方が定着。育児休暇の取得を男性にも義務化、所得も社会保険で保障されている。

 日本人男性と結婚し、横浜市に住むスウェーデン人の今井マドレーヌさん(47)は「スウェーデン人は、負担に見合う給付は、当然の権利として受け止めているから休暇をとるのは常識です」と話す。英米は民間主導で、主に巨大企業が積極的。英国ではファミリーフレンドリー制度を採用する企業の5割以上が「有益である」と回答する調査報告があり、「従業員のモラル、人間関係の改善」「従業員の確保が容易になった」「勤務実績の向上」などを利点としてあげている。

 IBMは99年、ファミリーフレンドリーから「ダイバーシティ(個人の多様性の尊重)」に概念を拡大した。性別、国籍、学歴、身体障害、さらには個人の価値観、働き方、ライフスタイルを尊重した雇用制度を目指している。「多様な人材こそ企業のパワーになる」(小泉曜子・日本アイ・ビー・エム人事・組織労務企画次長)との戦略的発想だ。

 ●ノウハウ課題

 佐藤博樹東大教授(人事労務管理)は「かつて仕事選びの条件は、賃金、休暇、やりがいなどだったが、今は仕事と家庭の両立、将釆は個人ライフスタイルの実現になる。このようなニーズを満足させなければ、人材は集まらず、企業は競争を勝ち抜けない」と日本の企業に改革をせまる。今後の課題として、制度導入でどれだけ効果があったかを数値で立証する研究、制度導入による人事上のロスを最小限にするための工夫やノウハウづくりをあげている。

 国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、日本では2038年(平成50年)に65歳以上の人口比率が30%を突破。総人口は2007年(同19年)にピークを迎え、2050年(同62年)ごろには1億人を切る。

 ファミリーフレンドリーという言葉が、だれもが知っている“日常語”となる日はいつになるのか。(安東義隆)

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<行政資料 6−7> 21世紀まずこれをやろう(8)

理数科教育 ゆとりが産業界脅かす

 「カネカ」で知られる大手化学メーカー、鐘淵化学工業(本社・大阪市)の高砂工業所(兵庫県高砂市)には技術学校が設けられている。ここで数年前、新入社員教育のためにこんなプログラムが加えられた。

 「ドーン」という音とともに炎が広がる粉塵爆発の体験。ノコギリのひき方から教えて、いすなどを作るものづくり実習…といった内容だ。

 「学校では、理科の実験がほとんどなくなり爆発を目の前で見たことがない。工具の名前も知らず、ドライバーの使い方さえ危うい」と、同社の人事担当者は嘆く。

 学校が十分にやってくれないから、メーカーの社員として身につけておくべき爆発の怖さから、ものを作る楽しさまで、企業が自前で教え込まなければならないというわけだ。

 文部科学省が進める「ゆとり教育」に対して「それでは基礎学力が低下する一方だ」と各方面から反対の声が上がっている。小・中・高校での学力低下のつけは大学に持ち込まれ、さらに企業に回ってくる。

 「資源のない日本の経済を支えてきたのは人材なのに、このところ質の落ち込みがひどい。このままでは10年もたたないうちに日本は国際競争で完敗するだろう」。人材が存亡にかかわるだけに産業界からはこんな声が相次ぎ、教育への危機感、不信感は強くなるばかりだ。

 ●米の危機感

 米国は1983年、「危機に立つ国家」と題した報告書をまとめた。副題は「教育改革のための至上命令」。「米国の工業生産力が低下し、急速な技術革新に対応できない原因は、大衆の知的水準の質的低下をもたらした学校教育にある」と分析。新しい基礎教科を指定し、年間授業日数を増やすことや、小中学校で繰り返し学力テストを行うことなどを打ち出した。

 90年には大統領教書で6項目の全米目標を発表。なかでも数学と理科の教育水準向上に国をあげて乗り出した。製造業の振興をはかる大阪工業会で産業政策委員長を務める下谷昌久氏(オージス総研会長)は「それが今、米国のベンチャー企業の隆盛、産業界の活力源になっている」と指摘する。

 こうした米国の危機感とは対照的に、日本はこの間「ゆとり教育」を推し進めた。理科や数学の授業時間は減り、例えば昭和30〜40年代には小学校の6年間に理科の授業時間は628時間あった。ところが平成4年時点では420時間にまで減った。

 また、高校での物理履修率はいまや10%強に過ぎない。大学の受験科目が少なくなっているためで、「物理を勉強せずに大学の工学部に入ってくる学生も増えた」(熊谷信昭・元大阪大学学長)。

 「数学でも証明の問題が減り、自分で問題を発見して、それにどう対応するかを考える力が落ちている。その結果が、企業での指示待ち族の増加」と下谷氏は嘆息する。

 戦後、欧米の経済力に追いつくため、日本企業が求めた人材は組織協調型だった。いま、グローバル化が進み世界的な人競争時代に入って求められる人物像は大きく変化した。

 「数学と理科、国語の基礎がしっかりしていて知識や技術の吸収力があり、創造的な仕事のできる人材こそほしい」(鐘化の人事担当者)。この現実的で緊急の課題が差し迫ってい々のに、文部科学省や教育界にはいまだに「ゆとり」への偏重がある、と産業界をいらだたせる。

 ●企業の自衛

 戦力ダウンは企業にとっては致命傷。座して待つわけにはいかないと人材確保の“自衛策”を模索する企業も多い。三洋電機(本社・大阪府守口市)は主に大学卒業、大学院修了者を対象に1年契約の「オーナーマインド制度」を導入した。起業家精神に富んだ人材を一般の学卒より高待遇で雇用するシステムだ。すでに「特殊なビジネスソフトを開発したい」などという若者7人を採用した。

 「基礎もできていない新入社員を、時間をかけて育てる余裕もなくなってきている」(大手機械メーカー)ことから、ここ数年、中途採用も増加している。しかし、日本の産業界全体でみれば、やはり基礎学力がしっかり身についた人材を公教育の中で育成することが欠かせない。

 産業界の危機感に拍車をかけているのが、平成14年度から導入される新学習指導要領だ。小中学校で学ぶ内容がさらに3割程度削減される。中学の理科の内容は一部が高校に移される。高校では理科の各教科が選択制になるため、ますます不十分になりそう。

 科学的な思考力の養成、強化を求める声は強い。下谷氏は「理数科教育をさらに30%減らせば、日本経済、特に製造業を支える人材など育つはずがない」と断言する。 (寺田泰三)


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