亡くなった被爆者を追悼し、クスノキに献水する「葛友会」のメンバー
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東京都葛飾区に住む被爆者でつくる「葛友会」(畠岡義人会長、180人)のメンバーが6日、17年前に広島市中区の平和記念公園内に植えたクスノキに水をささげた。水を欲しがりながら亡くなった被爆者たちを追悼し、一人ひとりが献水した。
献水式には「葛友会」の八人のほか、平和祈念式に参加した同区の学生、交流を続けている広島被爆援護会(宗田勝会長)の20人など計百人が参加した。
畠岡会長が「被爆者が高齢化する中、年々大きく育つクスノキは私たちの心のよりどころになっている」とあいさつした。
1980(昭和55)年「葛友会」は広島市の木でもあるクスノキの苗木を植えた。広島被爆者援護会が葛飾区の高校生の平和学習を引き受けたのを機に、4年前から献水式を合同開催している。
1997・8・6『中国新聞』夕刊より
クスノキに合同献水式 東京・広島の被爆者
東京都葛飾区の被爆者でつくる「葛友会」と広島被爆者援護会の合同献水式が平和記念公園であり、被爆者たちは17年前に葛友会が植えたクスノキに水をささげた。
葛友会のメンバー八人のほか、葛飾区から毎年、平和祈念式に派達している学生など約百人が参加。葛友会の畠岡義人会長が「被爆者が高齢化する中、年々、大きく育つクスノキは心のよりどころになっている」とあいさつ。水を欲しがりながら亡くなった被爆者を追悼して、一人ひとりが献水した。
1980(昭和55)年、葛友会は身元の分からないまま亡くなった被爆者の墓代わりに」と、クスノキの苗木を植えた。今では高さ7mにまで生長している。広島被爆者援護会が葛飾区の高校生の平和学習 を引き受けたのを機に、四年前から合同で献水式を開催している。
1997・8・7『中国新聞』朝刊より
52年目の夏 建設省
建設省(旧内務省)原爆殉職者慰霊式は、原爆ドーム前で遺族やOB、職員など約百人が参列。犠牲者52人を追悼した。
同省は原爆で一瞬に消えた街、広島市猿楽町の県産業奨励館内にあり、中国四国土木出張所には92人が勤務していた。
職場で編成した建物疎開で被爆死した石丸サツキさん(*)=当時(20)=の弟で、会社員石丸貢さん(**)(69)=廿日市市阿品台四丁目=が遺族代表で献花。「悲しみの象徴だった原爆ドームが世界遺産化され、爆心地の元住民たちが街を復元するなど今年は新たな思いで参列しました」と話していた。
* 木下しげきの(*)叔母(**)叔父
1997・8・7『中国新聞』朝刊より
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