潜入!「ウエスト・ロード・ブルースバンド」ファーストレコーディング
1974年も押し詰まったある晩、先輩の林 豊(はやしゆたか)氏より電話がありました。
その中身はウエスト・ロード・ブルースバンド(以下WRBBと略)が東京で現在レコーディング中である。
場所は林氏の自宅のある目黒のモウリスタジオというところ。
明日、見学へ行かないか等・・・・・

1974年、ブルース元年のような年でした。京都を中心として日本のブルースシーンは燃え上がりその
その最高峰のバンドがWRBBでした。わたしもその時点で彼等のライブは2回ほど観ていました。
そのバンドのレコーディングが見れる、なんてラッキーな・・・しかしホンマかいな?
ここで林 豊氏とはだれか?ということになります。林氏とわたしは大学の軽音サークルで知り合いました。
わたしより2つほど年上の林氏はブルース・ハープをプレイしわたしのブルースの師匠となりました。
林氏は「ジューク・ジョイント・ブルースバンド」といういかしたブルースバンドでハープとボーカルを
担当していて、WRBBとも何度か共演しています。林氏はヒジョウにオープンな性格というか、親しみ
やすい人柄で、どこへでもスイスイと行き、だれとでも友達になってしまう奇特の人でした。
WRBBのメンバーともすぐ仲良くなったようです。
しばらくしてからわたしは「林 豊とナイト・ホークス」というバンドでベースを弾くことになり、
シカゴスタイルのブルースにどっぷり浸ることになります。

さて、林氏からの電話の後、何人かの友人に連絡をとり、林氏を含め全部で4人でいくことになりました。
しかし、突然押し掛けて迷惑じゃないかとか追い出されるんじゃないかとか危懼の念は消えません。

当日、目黒駅で待ち合わせをして徒歩でモウリスタジオへ向います。危懼の念を林氏へ話ても
「大丈夫、大丈夫!問題なーい!」でお終い。こうなりゃあとは林氏を頼りにするだけです。
やがて、モウリスタジオへ到着。きれいなスタジオです。林氏は我が家のように入っていきます。
喫茶室のようなところがあり、そこでWRBBのメンバーが打合せをしていました。
わたしたちもコーヒーを飲み、レコーディングを待ちます。林氏は山岸さんを始めメンバーとべらべら
話していました。
やがて、メンバーはスタジオへと入っていきました。しばらくして我々も恐る恐るスタジオへ入りました。
レコーディングスタジオは初めてだったので、興味津々です。でも覗き回るわけにもいかないので、
スタジオ内のイスにじっと座っていました。スタジオ内には多分前日の録音だと思われる「NOBODY 'S
BUSINESS」が流れています。その中でセッティングが進んでいきます。おっウィ−ピング・ハープ・妹尾氏
の姿もあります。メンバーの緊張感をほぐすようにジョークを飛ばしています。
音決めを順番に済ませるとホトケさんが「ワイ・アイ・シング」でもやろうや!といって肩ならしの演奏が
始まります。メンバーはヘッドホーンを付け、それぞれつい立に囲まれての演奏です。ようするにアイ・
コンタクトはとれないわけです。微妙なアンサンブルは取りにくそうです。しかし、さすがWRBB! まだ
午前中だというのに、ご機嫌な演奏です。そして、見知らぬ我々がスタジオ内にいても怪訝な表情すること
もなく接してくれます。我々がいる所はミキシングルームではなく、メンバーが演奏している同じスタジオ
内です。だから、大声を出せば録音されてしまいます。つまりWRBBはスタジオライブ方式でレコーディング
に取り組んでいたわけです。限られた予算と時間、そしてブルースバンドとしてのレコーディングとしては
最良の方法でしょう。
肩ならしも終わりいよいよ本番です。緊張感がスタジオ内に漂います。最高のライブを繰り広げるWRBBも
やはり、緊張感は隠せません。観ている我々にも伝わってきます。まず最初はロウエル・フルソンのナンバー
「トランプ」です。テレキャスターを持った塩次さんのイントロで始まりました。いい感じです。1回、2回
と続けて演奏します。終わるごとにモニターのチェックやら打合せをしています。プレイバックを聴き直す
ことはしません。3テイク目の演奏が終わって休憩。タバコを吸うために外に出る際、塩次氏が「いまひと
つやなあー」とつぶやいていました。結局3テイク目が採用されたと記憶しています。塩津氏はギターソロ
を3テイクとも違うソロをとっていました。バントの核はこの人なんだなあという感じです。
休憩の後、次は「DROWN IN MY OWN TEARS」のレコーディングが始まります。レイ・チャールズの名曲
をホトケさんが切々と歌い上げていきます。タイミングがずれて「ゴメン・スンマセン」と中断、すかさず
ドラムの松本さんが「慣れてまーす」塩次氏がスタジオ内のみんなに「もっと盛り上げてくれや!」
緊張感も薄れてきました。「DROWN IN MY OWN TEARS」のラストでホトケさんが「イェ−っ」と連呼
して我々も「イェ−っ」と続きます。「キムチ!」「イェ−っ」「タオル!」「イェ−っ」・・・・・・
いまでも、この曲は大好きです。なぜならわたしにとってもファーストレコーディングなんですから・・
この後、所用があったわたしはスタジオを後にします。残った友人からこの後「FIRST TIME I MET THE
BLUES」を録音したと聞きました。
翌年、「BLUSE POWER」というタイトルでリリースされました。74年、19才の思い出です。

ウエスト・ロード・ブルースバントのアルバム紹介