精進湖ロック−ン  1971.8.8−8.9

GFRの後楽園コンサート、箱根アフロディーテと大規模なコンサートが続いた
1971年の夏、富士五湖の1つ、精進湖で日本のロックバンドが多数出演した
コンサートが開催されました。当時、高校1年生だったぼくは友人と2人で
毛布1枚持って行ってきました。

■出演バンド
「モップス」「エム」「スピード・グルー&シンキ」「頭脳警察」「安全バンド」
「トゥ−・マッチ」「カルメン・マキ&ブルース・クリエイション」
「ブラインド・バード」「ガロ」「ハプニングス4+1」その他・・忘れました。
■予定されてて来なっかった人・バンド
「内田裕也」「村八分」「麻生レミ」「かまやつひろし」
会場内は開演前からシンナー・ボンドの臭いがプンプンしていて異様な
雰囲気でした。ヒッピーというよりフーテン族(死語ですね)が悪乗りを目的に
集まってきたという感じでした。
カンパと称して小銭をたかりに我々のところにもバカがきました。
「無い」と答えると「このガキが!」と捨てぜりふを残して
行ってしまいました。おれは絶対こんな奴等みたいにはならないぞと
固く心に誓った16歳の夏でした。
■印象に残ったバンド
「ブラインド・バード」・・・ギターが上手い。ステージで転げ回って弾いて
いました。「キック・ザ・ワールド」という名曲が良かったです。
「エム」・・・サンタ−ナ、フリーのナンバーを格好よく決めてました。
「トゥ−・マッチ」・・・ボーカルの人、良かったです。
「SONGS FOR MY LADY」なんてバラード歌えるボーカルは当時、なかなか
いませんでした。
■その他
「エム」の演奏の時、トラブルがありました。一部の悪乗りがステージに
石を投げスタッフにぼこぼこ命中、演奏が中断しました。
「危ないことは止めてくれ!」とメンバーがアナウンスして収まりましたが
とにかく非常識な連中がこれでもかというくらい集まっていました。
「ガロ」はボーカルの人だけ来て、客からギターを借りて、CSNY数曲やって
帰りました。
こういう手作りのコンサートがけっこう当時開催されていましたが
状況はどれも似たようなものだったのかもしれません。
「精進湖ロック−ン」も2日間で800円という入場料でした。
これでは、バンドにギャラ払えないですよ。でも、当時の風潮では高い入場料
なんて取れる雰囲気じゃなかったのかも。みんなが理想を掲げて進もうと
していました。帰りのバスの中で誰かが「主催者は100万の赤字らしいぜ」
と笑いながら話していました。1971年の日本のロックの状況はこんなもんでした。

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