ブルーページ


2004.11.21
11月
新潟へ出張。久しぶりに旧交を温めてきた。
まだ、地震の爪あとが至るところに残っている。

10月
モンゴル・中国へ出張
10月11日〜10月24日まで仕事で行ってきた。
ウランバートル〜西安〜青島〜煙台〜天津
中国は世界最大の資本主義国家に変貌していた。
写真はウランバートル市内


8月
東神奈川で開催されたコンサートに出た。
曲順 
1 苦いウィスキー
2 ハロート・トウキョウ・シティ
3 森ヶ崎ブギー
4 酒と涙と男と女
5 ブラック・マジック・ウーマン
6 売れないバンドのバラード


2004.5.5
「また、年を取った」
5月になるとひとつ年を取る。あー、1年間とりあえず生き延びた・・そう実感する季節だ。
3月、4月は年度末で忙しかった。4月から突然の異動で配置換え。慌しい毎日がまだ続いている。

・配置換えになったとたん新しい上司からジェフ・ベックのライブをもらった。
B・B・KING BLUES CLUBでのライブ盤だ。
俺の上司はどんな人なんだろう?

・新潟から親友が同じ職場に異動してきた。毎週土曜日はそいつのために潰れる。
「どっかに連れて行きや〜」と関西弁でせがまれる。箱根、湯河原と温泉三昧だ。
俺も嫌いじゃないから楽しい。金がそれこそ湯水のように消えていく。

・体調の回復と共にバンドが復活した。

「復活したBTP、後姿は影の管理人」
7月、8月とコンサートに出る。自分の意思とは関係なく色々なことが進んでいく。
ふわりふわりと流れに乗って時を過ごしている。

2004.2.21
「アナログ盤の復活」
職場の近くのお店で、カートリッジを購入。
久しぶりにアナログ盤を聴いた。CDの時代になって、もう20年くらいかな。
アナログ盤も700枚ほど所有しているが、カートリッジが消耗していたので、聴いていなかった。
まだ、CD化されていないアルバムもあるし、なにより音がいいよね。
とくにボーカル物はアナログの方がいいな。70年代に買ったブルースやソウルのアルバムには特に想い入れが深い。
何もかもCD化する必要はないよ。アナログのまま消えていく、そんなアルバムがあってもいいんじゃないかな。
ここ数日間アナログ盤ばかり聴いている。幸せだなー。

2004.2.14
新宿まで、CDを買いに行く。開店早々の午前11時の「DISK UNION」を覗いてみた。
まず、ソウル/ブルース館で1枚購入。「THEGOLDWAX STORY」

やっぱりサザンソウルは良いなあー。アップテンポ、バラードの小粒ながらの佳曲がぎっしり詰まっている。
御大、JAMES CARR、SPENCER WIGGINS、OV WRIGHTのお三方を始めとして素晴らしい歌い手さんたちが熱唱している。
続いて「ジャズ館」を覗いてみる。
MICHEI PETRUCCIANIのCDを2枚購入。

ピアノトリオは昔からちょっと苦手としていた。
曲が長いと飽きてしまい、後が続かなかった。
しかし、それを払拭してくれたのがこのMICHEI PETRUCCIANIだ。
特に 「TRIO IN TOKYO」は良いねえー。
その名のとおり東京でのライブで、ドラムは今やエリック・クラプトンバンドに安住しているSTEVE GADD。
MICHEI PETRUCCIANIはすでに故人なので、もうライブを体験することは不可能だ。
もう少し早く、ピアノトリオの良さが分かっていればな・・と後悔している。
こうやって、色々なミュージシャンと出会って、深みにはまっていくわけだ。

2004.2.13
仕事帰りに先輩のOMさんと川崎の居酒屋で飲んだ。
昨年から体調が思わしくなかったので、酒は控えていたが、昨日は二人で焼酎のボトルを1本空けた。
OMさんとはもう20年以上の付き合いなので、若かりし頃の思い出話に話が咲いた。
なんだか、社会人になってからもろくなことをしていないなあーと二人揃って認識した次第です。
しかし、笑いすぎて、涙が出たなんて久しぶりのことだ。


2004.2.8
K御夫妻から対談の続きが届いた。回数を重ねる度に密度の濃いものになっていく。
ビートルズが来日したのが1966年、もう38年前のことだ。あと38年経てばぼくは
80代になっている。この世に生存している可能性は低い。
でも、ビートルズの音楽は確実に生き残っているだろう。

K)対談の続きを始めたいけど、これまでの僕らの話への皆さんの反応ってどうなんだろうか。
まあ、放恣なおしゃべりってことで、続けましょうかね。
今日は、ポールは深刻さを歌えるかっていうのから始めるのはどう?
A)それは今まで私たちの間では度々話題に上ってきたことですね。
彼はプロですから、作ろうと思えば作れるはずなんですがーーそういう歌ってあるんでしょうか。
K) 短調で書かれた名旋律は、沢山あるけど。
A)「絶望」を敢えてテーマにはしない、と。落ち込んだ結果自暴自棄になり、そこいらのもの総てを
敵視するとか、復讐を誓うとかーーこれじゃ、パンクですね。絶対しませんね、ポールは。
「絶望」を自分の中に押さえつけて「皮肉」へと転化させてるのがジョンかな。
K)  うまいこと言うね。ジョンの音楽性について正鵠を得ている名文句だ。
ポールは、いわばbright side を歩いてきた人だからということでもあると思う。
先の日本公演でも、Getting better で「It's getting better all the
time---」と歌い出されるとジーンと来ちゃった。
人生には正も負も、清も汚濁も、陽も陰も、両面があることは分かりきっているけど、
思いっきり正と清と陽とを、高唱するポールには大きな影響をうけたなあ。
A)Getting better では楽観的なポールの主旋律に対してジョンがdark sideのお囃子を
入れてるところ、いつも笑えます。甘みと苦味、その両方がチョコレートという完璧な味の
構成要素であるように。確かにビートルズはおいしい。基本的なおいしさ。
K) この二人の対照がビートルズを彫琢し陰影を深くした。幼少期のリバプールをテーマとしても
ジョンのStrawberry fields foreverと ポールのPenny lane が続いているところは、その象徴だね。
A)そうですね。でもここで話を収めてしまいたくないので、ちょっと小石を投げ込んでみましょうか。
ポールのThe fool on the hill ってジョンのStrawberry fields forever に似てませんか?
それにMichelle とNorwegian wood も似ていると思うんですが。まるで二卵生双生児のように。
K) ふーん。ちょっと難しい。The fool on the hill はポールのなかでもシニカルというか、シニカルとまで行かなくとも
諧謔味があるところは、ジョンっぽいのはわかるけど。そういうこと?Michelle とNorwegian wood というのはどういうこと?
この2曲には、双生児性なんてこと、まったく感じたことなかったな。
A)今挙げてみたのは、「音」のみを聴いた場合の印象なんです。言葉が足りなかったかな。
ジョンとポールの二人の対照から離れて、彼等が違った個性を持ちながら
影響を与えあったと思われる側面にも注目してみたかったんです。
K) 昔、music life に「この曲は、ジョンが作った。この曲は、ポールが作った。」
という衝撃的なジョンのインタビューが載ったでしょう。興奮して読んだけど覚えてる?
A)はいはい、ありましたね。読みましたよ。ビートルズファンじゃなかったけど、
どこのファンでもそういうことは気になるものですよね。気持ちはわかります。
ただ後になってそんなことが問題になって、みんなで大騒ぎしてることに
当時びっくりしてました。やはり大物はーーいろいろ大変なんだな、と。
K)あの驚愕の内容に呪縛され過ぎて来たのかもしれない。確かにジョンとポールの対比は、
いろんな意味で面白いものね。個性の異なる、しかも伸長著しい二人が、共同で、かつ幾つかの曲は、同時進行で作ったのだし、
単純に整理演繹しすぎちゃいけないテーマだよね。
A)そうですね。こういうことは音楽的にも、詩の解釈という面でも研究され尽くしているでしょうし、
深入りせずに楽しめる私などは、却って幸せなのかもしれませんよ。こうしてメンバーがバンドの中で
成長していったのか、なるほど、あれとあれは似てるもんなあーーなあんて、勝手に自由に無責任に。
「詩人は自作の解説などしないものだ。」という意味の言葉が誰のものだったかーー
デイヴッド・ボウイーも嘗て引用してましたが、創作されたものが作り手から発信された後は
もうそれがそれ自体の生命を持ってひとり歩きしたところで、構わないのではないでしょうか。
聴く側は、なんていい歌(曲)なんだろうと思えたらその奇跡との出会いを一生大切にしていけばいいんですから。
でもファンには難しいかな?
K) 意味のないこととわかっていても、それぞれのレベルで分析したくなる。
書かれたもののすべては、一流の科学論文を除いて、感想に過ぎない、なんて言葉もある。
このトークも僕らの感想文。今日は面白い話ができたね。次はジョージについて話そう

2004.1.21
グレッグ・リドレー氏を偲ぶ

元ハンブル・パイのべーシスト、グレッグ・リドレーが亡くなった。
56歳だそうな。
ハンブル・パイは良いバンドだった。その中でも一際、カッコいいのが
グレッグだったな。べーシストとしてものすごくテクニックがある訳じゃ
なかったけど、存在感は抜群だったね。でかい音でカッコいい、コピーしやすい
フレーズを乱発してくれて、ありがたいベース弾きだった。
高校生の頃、「ROCKING AT FILLMORE」をコピーしたもんだ。
70年代に来日したバンドで観る事が出来なくて後悔しているのは
ハンブル・パイ、ジェスロ・タル、レイナード・スキナードだ。
レッド・ゼッペリンなんて3回も観ているのに・・・・レイナードは
チケットまで持っていた。
渋谷公会堂のハンブル・パイは凄かった(らしい)
観に行った奴が自慢していた。「スティーブ・マリオットはツバ吐きながら歌うんだよ、
ステージがツバだらけなんだぜ」(カッコいいなあ、汚ねえなあ)
(ベースはどうだった?)「カッコよかったぜ、あいつ、ベースを低く持ってよ、音がでかいんだよ」((そうか、良かったな・・・クヤシイー!!)
確か、中間試験と重なっていたんだな。試験なんてどうでもよかったのに・・
スティーブ・マリオットに続いて、グレッグが他界したことで、ハンブル・パイは
伝説になった。でも、こうして70年代に活躍したバンドマンの訃報を雑誌の片隅
で見つけると本当に寂しい・・・


2004.1.6
K夫妻「ネイキッド」を語る 第2弾!

新年早々、第2弾の原稿が届いた。相変わらず楽しい対談でなごませていただいた。
皆さんもお楽しみ下さい。

K)明けましておめでとうございます。新春Beatles-nakded対談の続きと行きますか。
A)おめでとうございます。今年もお手柔らかに。
早速ですが、あなたはどうして高校時代に熱心に聴いていたビートルズが今も最高で、
他のバンドには興味がなく聞こうとしないのですか?
そういうビートルズファンはあなたの周りにもおいでのようだし、
知り合いのCD店の店長からもそういう話を聞いていますが。
K)遡れば、中学時代、東芝ボストンの宣伝で初めて見たビートルズの映像が、衝撃的だった。
あの独自の余裕と風格、悠揚迫らない様子という形容が適切だと思うけど、
日本の当時のFolkや歌謡曲にはないものだった。それがLet it be の一部分だったんだよ。
A)うーん。それは答えになっていないように思いますけどね。
音楽の世界も日進月歩進化していて今やビートルズの子孫たちが様々な形でそのspiritを
受け継いでいます。音楽ファンとしてバッハやモーツァルトばかり聴いてはいないでしょ?
シューマンやショパンもいますよね。ポピュラー音楽の分野においては、あなたはバッハ止まりなのでは?
K)生理学的にも初めの衝撃の強さ深さと、その後の繰り返しに規定されるとされているけど、僕もずっと聴いていなかったよね。
でも、この前のPaulの来日公演で一気に戻っちゃった。
A)あらあら。その前からですよ。結婚以来ずーっとあなたは「ビートルズが最高だ!他は聞く価値な〜し。」と
仰しゃっていたんじゃありません?私、びっくりしたので覚えてますけど。
K)我知らず始まり、抑える難く膨らんでいく慕情ーーそれが恋であると言うんだが、
僕のビートルズに対する愛情は、その始まりも、さっき言ったように、しっかり分かっているしねえーー、
じゃ「ビートルズが最高だ!他は聞く価値な〜し。」の主張の由来は、どうしてか分からないね。
ビートルズの先進性や偉大な音楽性は既に分析されているから、今さらここで論じ合っても仕方ないから話題を変えようか。
A)男の人は青春時代の美しい思い出から一生逃れられないってどこかで聞いたことありますけど、それね。
K)結論はそこかーー。
ーーーつづく。


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