機材のこと

現在使用中機器の解説、あるいは歴代機材への思い入れなど。

■Canon EOSシステム

■OLYMPUS OMシステム

■コンパクト・カメラ
■デジタル機器など
■デジタル・カメラ
 '98年頃妻が「デジタル小道具大好き」な合唱団の先輩から借りてきたリコーDC-1
 液晶画面に光学ファインダー、フラッシュ、ズームレンズを装備して、しかも高解像度、録音もできる…と、 発売当初は画期的であり仕様的には現在も通用すると思うが、なにしろ電池が持たないのと、CCDのノイズが 多いのが難点で、メモリーカードも独自ドライバーが必要など、使い勝手の問題もあり、ほとんど使用しない まま今に至る。ついでに元の持ち主も、FUJI,Nikonとデジカメの乗り換えを続け、今更返却されたくないよう でもある(^^;

 2000年、ついに機は熟したかな?と思い、オリンパスのCAMEDIA C-3030 ZOOM を購入。


■変遷
 小学生('74年)の頃初めてさわったカメラは『YASHICAのレンジファインダー機』でした。
 父親の持ち物ですが、今思えばセレン露出計内蔵で、表示されるEV値に対応して絞りリング を回すと、シャッター速度リングが連動して回り、適正露出をキープするという、洒落た 構造でしたが、小学生には理解できなかったな(^^;
 当時、写真部に入っていたこともあるのですが、目立った活動の記憶は無し。
 中学生の頃('77)は、AFコンパクトカメラ勃興期でわが家にも初代オートボーイなどが ありました。
 高校生になって、初めて一眼レフ『OLYMPUS OM2-N』購入。
 100-300mmのズームで、ポートレイトや、動植物のマクロ撮影をしていました。 しかし、修学旅行の「奈良、京都」というと、35mmのコンパクトカメラに負けて いたような気がします(苦笑)
 大学時代には、OMシステムに24mmF2,100mmF2の二本の大口径レンズを加え、 ポートレイト、ネイチャー、スナップなどなど。

 就職すると、一眼レフをぶら下げて歩くのも減って、『カプセルカメラ、XA2』 などを常に鞄に忍ばせて、特ダネにぶつかると面白いな〜などと思うも、滅多に会わないのが 特ダネという物で…(笑)
 そうこうするうちに、友人に貸したOMシステムがなかなか帰ってこないという、 OMシステム散逸事件が起きます。今も全部戻ってきていないのだな、これが…

 そんなこんなで、一眼レフ離れがあり、さらに視力低下に絶えられず、ついに オートフォーカスコンパクト機『オートボーイLuna』を購入。
 手軽で良く写る名機だとは思うのですが、かつてOMシリーズで、大口径セットを 組んでいた経験からは、開放F値が5.6〜7.8(かな?)などという、とてつもない暗さは いくらフラッシュ内蔵でも辛いな〜と思っていたところに、事件が起きます。
『「写真へた?」事件』
 '96のシドニー旅行の記念写真を見たある人に、そんなことを言われます。
 コンパクト・カメラの「フラッシュ一発写真」が好きでない私は、なるべく発光禁止 で撮影するのですが、海外旅行で三脚も持たなかったため、当然のように沢山のブレ 写真を作りました。数打ちゃ当たるの精神ですね(笑)
 その未整理写真を見ての「写真へた?」発言ですが、当時友人一同に 『コンタックス T2』ブームが起きていたこともあって、その描写性と開放F値の 差にはいかんともしがたい壁の存在を感じました。
 「私の撮りたい写真はオートボーイでは撮れない」というのが結論。  レンズの明るさもさることながら、「ファインダーの視認性」こそが、一瞬のチャンス を逃さない最大の武器ではないかとも思います。
 そして、翌年のスペイン旅行で、シドニーの敵を討つべく(^^; 一眼レフ使いへの復活を 目指します。

 '97年『Canon EOS55』購入。
 なんとなく「おっさん臭いデザイン」ではありますが、購入当時一級のAF性能と、 手ブレ補正(IS)レンズの存在は、まさに「私のため」のシステムなのでした。
 '98年にはたまたま妻が応募した(^^;『東武ワールドスクエア』のフォトコンにも入選。 「写真へた?」の 屈辱(笑)を跳ね返し(本人の気分としては重要(笑))、「旅先のちょっとかわった光景」 を追っかけて現在に至ります。

 決して写真マニアってことではないのですが、『万事凝り性』というくらいの気分が、 今の私のカメラとのつき合いを表現するのにあっている気がします。 


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