映画館がやってきた! 映画鑑賞記

娼婦ベロニカ

■DATA (1998年・米)
キャスト:

Story

 1583年ベネチア。女性は男性の所有物としてしか扱われなかった時代。
 ベロニカ・フランコ(キャサリーン・マコーマック)は青年貴族マルコ (ルーファス・シーウェル)を愛していたが、彼は持参金も用意できない 彼女を人間として対等に扱うことはなく、父の用意した政略的縁談に 嫌々ながらも応じ彼女を捨てる。
 尼になるしかないと嘆くベロニカに対して母パオラ(ジャクリーン・ビセット) はただ一つ彼の心を捉える道があると教える。それが「高級娼婦」。
 あんまりな母の言動に耳を疑うベロニカだがとにかく経験してみなさいと 薦める母に従って修道院を覗いてみるとそこはまるで女の墓場。それよりは 高級娼婦の道の方が良いと悟る。そして、なんと母も没落した実家を支える ためにかつては高級娼婦として生きてきたのだという事実を知らされる。
 高級娼婦とは、日本で言えば芸者や花魁のように芸を磨き、あらゆる 場面で男性を盛り上げ心身共に満足させるプロ。そしてこの時代には唯一 の女性の知識階級とも言える存在だった。
 たちまちのうちにベロニカは高級娼婦会の頂点に上り詰め、 (椿姫のヴィオレッタの館のような)彼女の娼館には、ベネチア中の貴族、 政府高官etc.が集まり、当代一の詩人と対決してその才気溢れるシニカルな 詩で彼の人気までさらい、逆上した彼と剣で戦っても互角以上と言える 戦いを披露する。
 そんな彼女にマルコは大いに嫉妬し「自分だけのものになれ」と言い 寄るが、やっと彼の心を掴んだ彼女は「そうなった途端に、男の心は離れる もの」と、じらし二人の関係に勝利する。
 華々しく活躍する彼女だが、時代は確実に高級娼婦に逆風だった。 キリスト教徒の抗議活動、戦争そして妻たちの嫉妬。疫病の流行を 引き金におきた教会の魔女狩りが彼女の身に迫るのだが…

感想

[2001.9.2] 鑑賞(レンタルVHS) ★☆
 1593年のロンドンを舞台とした『恋におちたシェイクスピア』。その プロダクションが姉妹編として制作した同時代(1583年)のベニスの風俗 は、緻密でリアリティーに富み、衣装も音楽もきちんとして、時代 ロマンとして優れている。
 ベロニカ・フランコは実在の女性で詩人としてもイタリア文学史に 名を残しているが、当時のイタリアでは女性の地位は男性の所有物であり、 持参金もない娘には、恋も出世もないという時代。それを才能だけで 大臣、貴族とも台頭に渡り合える「高級娼婦」の道に入り名前を残した 彼女の半生は、とにかく刺激の連続。
 邦題はちょいと刺激的だが、多数の男性と関係を持つ高級娼婦の 話にしてはベッドシーンは『恋に落ちたシェイクスピア』より少ない のではないかと思うほど、映画はベロニカの知性に光を当て、男性の 心全体を満たすことの出来る女として描いているので、史劇の好きな 人には是非にものお薦め。
 『恋に落ちた…』のようにはヒットしなかった本作だが、その美術 音楽の素晴らしさはもちろんのこと、脚本もかなりのものだ。
 彼女がこの世界に入ることになるエピソード、変身の過程などは あれよあれよという間に通り過ぎ、華麗な社交界をたっぷりと描くし、 彼女のこぼれんばかりの才能の数々には、スクリーンのこちら側の 我々もため息をつくこと必死。現代の価値観、キリスト教的世界観 からすれば、彼女がその才能と共に体をも売っていることに対する マイナスイメージは、画面からはほとんど感じられないように見える。 だが、ほのかに真実の愛に対する葛藤もきちんと織り込まれている。 その二つのバランスが絶妙なのだ。
 トルコとの戦争に勝つため、フランス王を接待するシーンから始まり 後半の彼女の運命が大転換していくストーリーのスピードの速さ、 ピンチと成功、陰謀と正義、愛、どんでん返しの連続、隙の無さ。 緩急をたくみに 盛り込んだ脚本の上手さに翻弄される快感が得られる。

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文:唐澤 清彦 映画館がやってきた!