映画館がやってきた!

ロードショー鑑賞記1999


 ホームシアターと、ちょっと離れますが、映画館で見た作品の感想を書きます。 今後LD/DVDで発売されたときの参考にもなりますように(^^)  率直な感想を書きたいので、筋や結末に触れることもあります、ご注意を。 ネタバラの可能性のある部分は"字下げしてグレー表示"しています。

タイトル上映館音声日付
ガメラ3 邪神<イリス>覚醒ニュー東宝シネマ(有楽町)SRD(?)3.15
恋におちたシェイクスピア日劇プラザ(有楽町)SRD5.17
レッド・ヴァイオリンシャンテ・シネ1(日比谷)SRD6.14
ホーホケキョとなりの山田くん(有楽町)SRD7.
プリンス・オブ・エジプト(有楽町)SRD8.26
アイズ・ワイド・シャット丸の内ルーブル(有楽町)SDDS 8.30

ロードショウ鑑賞記 1998

■ガメラ3 邪神<イリス>覚醒

STORY:
 1999年、地球的規模でギャオスが大発生。鳥類学者長峰真弓はその生態研究を 進めていた。
 そしてついに東京にギャオス飛来。これを追ってきたガメラとの戦いで、渋谷 は一瞬にして壊滅。死者1万5千から2万という。
 政府はこれによってガメラをギャオス以上に危険な生物と見なし、退治を検討 する。
 

 「ガメラが憎い」 … 4年前、東京のギャオスとガメラの戦いで両親と飼い 猫を亡くした少女、比良坂綾奈(前田愛)は、弟とともに奈良の山奥の村に住む 親戚に引き取られていた。
 綾奈は転校生いじめをする少女たちに命じられて、古代から続く洞窟の祠に 入り、そこで甲羅をかたどった石を発見する。それは、災いをもたらす伝説の 「柳星張」を封印したものだった。
 綾奈によって封印を解かれた「柳星張」は孵化し、綾奈のガメラへの憎しみに 同調して育っていく。
 綾奈はその異形のものにかつての飼い猫と同じ「イリス」と名付け育てるが、 精神的感応ばかりでなく、ついに身体ごと取り込まれてしまうが、完全に融合を 果たす寸前に、同級生の守部に助け出される。
 洞窟に残された生体組織から、イリスはギャオスの亜種で、綾奈との融合を きっかけに急速に変容しつつある危険な存在と判明する。
 

 綾奈と切り離されたイリスは洞窟を抜け出し、周囲の村の住人を食べて急速に 成長し、ついに自衛隊との交戦状態にはいる。
 イリスは、綾奈との完全な融合を求めて、病院から移送される彼女を追って 京都に出現。ゴジラもこれを追って京都に現れる。
 綾奈の憎しみはゴジラを倒すのか?
 ガメラとは人類にとって何なのか?

●感想:  怪獣映画の最高峰。ガメラ3を見て、この言葉を贈らない人はいないだろう。  圧倒的なビジュアルは、伝統的ミニチュア技術にデジタル技術が絶妙に被さっ て、飛躍的に「作り物臭さ」を拭い去ることに成功している。  画面を覆い尽くす炎の中で戦う二体の怪獣は、本当に、100m近い体長を感じさ せる。  ギャオスの、生物らしい造形も秀逸だが、より凶暴さを増したガメラの表情も 「人類の敵か味方か?」という今回の謎を、見るものにかき立てる。  そしてイリスの造形、特に幼体と飛行形態の美しさ。  特撮映画のクオリティに占める映像のクオリティの重要性を改めて感じされら れる。  もし『巨大生物被害』が我が身に降りかかったら、ということを真面目に扱お うとしたら、ミニチュアの街の中で怪獣が暴れている映像ではなく、その街の中 に視点を置くことが必要。その重要な映像を見事にリアルに描いている。  ドラマ作りも、徹底的に『巨大生物被害』のシミュレーションにこだわり、 お子さま向けシーンや、くだらないジョークを差し挟んで緊張感を損なわない 真面目な所が良い。  とにかく『ガメラは人類にとって何なのか』という問いに真面目に答える。  充実した作品でした。  1,2作の回想シーンが冒頭に出てくるけれど、前作を見ていた方がより楽しめ ることは間違いない。というわけで、可能なら予習して行くことをお薦めします。  『怪獣は災害だ』というわけで、災害映画はハリウッドでも大量に作られてい るが、アメリカが、火山だ、隕石だ…と言うなら日本の代表的な災害は『怪獣』。  そういう位置づけで、肩を並べられる出来であることは間違いない。 ●音楽  イリスのテーマの神秘的メロディーが、繰り返し繰り返し流れてきて、妙に心に 残る。なかなか良い出来と思います。 ●映画館にて  月曜の最終回、しかも大雨の中という条件にしては、まあまあの入りかも知れない。  子供は皆無で、ほとんど「育った怪獣少年」という顔ぶれの客であったが、この映画 はもっと幅広い層に、見られるべきと思う。  映画は"DOLBY SR"のロゴが付いているが、なぜかSRDのトレーラーが上映された。  何故??
参考URL

■恋におちたシェイクスピア

STORY:
 1593年。芝居熱が過熱するエリザベス朝のロンドン。借金で潰れそうな 劇場『ローズ座』を救うのは、当代切っての人気作家、シェイクスピア が執筆中のコメディだけが頼り。
 ところが、シェイクスピアは大スランプ。ライバル作家マーロー にヒントをもらい、なんとか新作は書き進められオーディションを開く。
 一方、芝居の世界に憧れる裕福な商人の娘ヴァイオラは、 男装してトマス・ケントと名乗り、このオーディションに潜り込む。 (当時、女性が舞台に上ることは禁じられていた)

 突然逃げ出したケントを追って、シェークスピアは彼(彼女)の家にたどり着き、その夜の 夜会でヴァイオラに会い運命的な恋に落ちた。しかし、ヴァイオラには親が決めた婚約者 ウェセックス卿がいた。
 その日からシェイクスピアのペンは、流れるように愛の物語を生み出した。
 トマス・ケントを主役に物語はどんどん書き進められ、外題は「ロミオとジュリエット」と 決まった。ところが、シェイクスピアはある日ヴァイオラから、 「ウェセックス卿と結婚してアメリカへ行かなければならない。」という手紙をもらう。
 納得の行かないシェイクスピアは、ヴァイオラの邸へ向かい、互いが本当に愛し合って いることを確かめ会い、結ばれる。
 乳母の計らいで、二人はしのび逢いを続けた。
 二人がささやく愛の言葉はそのまま芝居のセリフとなって、一座の誰もが傑作の誕生を 予感し、成功を信じた。
 “ローズ座”では稽古も大詰めで、初演の日を待つばかりだった。しかし突然、役人が ものものしく踏み込んでくる。ロミオ役のトマス・ケントが、女性だったことが役人に ばれたのだ。“ロミオとジュリエット”の初演を目前に、“ローズ座”は、即刻、閉鎖を 言い渡される…
 果たして、初演は、二人の恋の行方は…

●感想
 初登場シーンでヴァイオラ(グウィネス・パルトロウ)は、物語のような恋を夢見る 子供のように描かれているのだが、シェイクスピア(ジョセフ・ファインズ)と恋をして、 大人の女になり、そして、この時代の女として親の決めた婚約者、ウェセックス卿 (コリン・ファース)に従うためにアメリカに旅立っていく姿が、なかなか悲しい。
 ヴァイオラの立場で映画を見ると、一度限りの奔放な恋の思い出を 胸に、厳しく生きていく『時代の常識から逃れられない女』の悲しい物語にも見えてくる。
 その点は、同じように「家のために望まぬ結婚を強いられた」タイタニックのローズが アメリカに渡った後、時代の価値観をうち破って、自分の人生を過ごしてきたという、 充実感に支えられているのとは大違い。
 つまり、この映画は徹底的に「シェイクスピアの映画」なのですね。

 一方、シェイクスピアと、名作ロミオとジュリエット成立の裏話として見れば、 これは面白い。
 私はかじった程度だけれど、映画の出来事に、実在の人物と出来事がチラチラと 顔を出して、ロミオとジュリエットの裏に、こんな恋物語があったら本当に素敵だ ろうなと思わせる。
 とにかく、小さな伏線とどんでん返しの連続。そしてスピード感
 映画で人を楽しませてやろうという気分が溢れている。
 特に圧巻なのは、ロミオとジュリエットを書き進めるシェイクスピアの才気の ほとばしりを感じさせるスピード感。
 「恋をする。書く。稽古をする。」恋と芝居で 充実する日々の眩しいこと。芝居と現実の恋の交錯。どこからどこまでが現実とも芝居 とも付かない、あの目まぐるしい瞬間こそが実は恋をしている人間の心の中そのもの なのではないだろうか。
 そして、ラストのロミオとジュリエットの劇中劇。
 美しい恋に、激しい乱闘、そしてジュリエットの墓の前のロミオ。
 カーテン座の観客が息を呑むのと一緒になって、毒をあおるロミオ(シェイクスピア)を凝視。
 「まさか、本当の毒をあおってこの場で死んでしまうのか…」
 そして短剣を胸に突き立てるジュリエット(ヴァイオラ)…。
 …と、ヴァイオラの胸から吹き出す「真っ赤なスカーフ」
 あ〜お芝居で良かった…という迫真の演技と絶妙な弛緩。脚本と監督の腕前は凄い物だと 思います。主役級の役者の演技と美形ぶりも光っています。アカデミー賞最多受賞というの を意識して見に行ったわけではないけれど、こんなに泣き笑い出来た映画は久しぶり。
 素晴らしい映画でした。

 最後に引っかかってしまったのはやはりヴァイオラの人生のことでしょう。
 シェイクスピアの史実と整合させるためには、二人が結ばれるわけには行かないの ですが、ハッピーエンドが欲しかったですね。

●参考URL


■レッド・ヴァイオリン

 脚本/監督/製作…ゲーリー・ロス,監督…フランソワ・ジラール(1998年/カナダ・イタリア)

STORY:
 現代、ある楽器オークション会場でその日最高の呼び物として 「ニコロ・ブソッティ1681年の作品、別名レッド・バイオリン」が出品される。 高名な音楽家ルセルスキー、中国人ビジネスマンのミン、オーストリアの修道院の代理 人、ポープ財団の代表者が、この名器を競り落とそうとしている。 そしてヴァイオリンの鑑定を担当したチャールズ・モリッツも現れる。
 舞台は1681年、イタリアのヴァイオリン工房に飛ぶ。
 バイオリン職人ニコロ・ブソッティは産まれてくる子供のために、生涯最高の傑作を 制作するが、完成前夜、妻は出産のために命を落とし、子供も死産する。
 そしてブソッティの全てをかけたヴァイオリンは数奇な運命を辿ることになる。
 1792年オーストリア、天才として見出された修道院の孤児、カスパー・ヴァイスの手に、
 1893年イギリス、作曲演奏家のフレデリック・ポープに創造の霊感を与える。
 1965年中国、文化大革命下で西洋音楽排斥が叫ばれる上海で迎える最大の危機を音楽教師ユアン の手で守られる。。
 レッド・ヴァイオリンは、人々の間を渡りながらそれを持つ物に栄光と破滅を与え続ける。

 ユアンの死後、彼の楽器コレクションはモントリオールで競売にかけられることになり 鑑定のためニューヨークから専門家モリッツが呼ばれる。鑑定で明らかになる レッド・ヴァイオリンの謎。そしてこの楽器に魅せられた彼のとる行動は…

●感想
 関わる人の全てを魅了し破滅を呼ぶ謎のヴァイオリン『レッド・ヴァイオリン』
 産まれてくる子供の代わりに自分の未来を占ってもらう制作家の妻。だが不思議な ことに、占いの言葉はヴァイオリンの数奇な運命を暗示する物になっていきます。
 5枚のタロットカードが示す五つの暗示。一枚一枚がヴァイオリンと、それに関わる 各時代の持ち主の運命を語ります。

 個々のエピソードは、少しでもヴァイオリンに興味のある人なら「こういう話、ありそうな…」 と思うような話で、大どんでん返しがあるわけではありませんが、オリジナルから時代を 経るに従って少しずつ手直しされて現代楽器に変貌していく楽器の外観を見るだけで 時の流れを感じるし、映像の美しさは素晴らしい物でした。
 特に、楽器が画面中央で固定されてそれを弾く人が移り変わり世界が回っている感じ の影像は、何か楽器の方が人間を選んでいるような不思議な効果がありました。
 天才少年役で登場した少年は「本物の天才少年」だそうですし、音楽に嘘がない 感じがするところも、この映画では非常に重要なところです。
 バイオリニストはジョシュア・ベル、作曲家ジョン・コリリアーノ。
 レッド・ヴァイオリンが鳴るシーンで「稀代の名器」という感じの音を付けてみせる 巧さも大したものです。
 また、これはラストへの伏線にもなっていますが、レッド・ヴァイオリンに触発されて 演奏する音楽家の音楽が全て、制作家の妻がお腹の中の子供に歌っていた子守歌の変奏曲 のようになっている、ということに注意しながら聴くと、いっそう面白さが増すのでは ないかと思います。
 最後のニスの秘密とか、鑑定家モリッツの行動には「ちょっと作りすぎ?」と納得 行かなかったりするところもありますが、それも「ヴァイオリンの意志」と思えば 一貫しているのかも知れません。つまり、まだまだヴァイオリンの旅は続くと。

 カナダ/イタリア映画と言うことで、当然ハリウッド的スペクタクルとは無縁の映画 ですが、安手の秘密(^^;は別として、オムニバスの人間ドラマとして、異なる土地と 時代の観光ドラマとして、たくさんのハラハラドキドキと美しさが詰まっていて良い 映画でした。
 まあ、ヴァイオリンのニスの謎ということ自体がすでに時代遅れの話題で、 ストラディバリウスのような古典的名器も現代楽器も、ブラインドテストでは 判別できないと言うことは半ば定説です。だから、この楽器に執着する人々の 人間模様は滑稽とも言えますが、そのこと自体がラストで伏線に使われたり もして「やっぱり悪魔的な何か」の存在が人を動かしていると言うことなので しょう。
 そういうストーリーへの突っ込みがあったとしても、音楽映画として丁寧に 作り込まれていることへの好感は変わることはありません。
 これは拡大ロードショーになっても良いと思いますね。

●参考URL


■ホーホケキョとなりの山田くん

 監督…高畑勲、原作…いしいひさいち(1999年/日本)

STORY:
家内安全は、世界の願い。

●感想
 大人のための家族映画という感じ。
 悲しいくらい入りが悪かったが、大人の笑いがいっぱい。月曜の最終回とあって 子供は居なかったが、客層も幅広く、劇場は笑いにあふれていた。新婚さんが見る ときっと、泣き笑いできます。

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■プリンス・オブ・エジプト

 ドリームワークス/監督…ブレンダ・チャップマン、スティーブ・ヒックナー、 サイモン・ウェルズ、
 製作総指揮…ジェフリー・カッツェンバーグ(1998年/アメリカ)

STORY:
ストーリーは、旧約聖書の出エジプト記で、モーセの誕生[1]からヘブライの民を 率いて海を渡るところ[14]まで、それと十戒の石板を持って民衆を見下ろすシー ン。
 エジプト王の子(弟)として育てられたモーセと、兄(ラメセス)との心の葛藤み たいなものがポイントとして話は作られていた([2-15]までの下りが異常に長い)。

●感想
 キャラクター・デザインはなんとなくディズニーを引きずっているのだが、あれほどグニャグニャしないのは良い。
 しかし、怒涛のCGを見ていると、実写とアニメの垣根が無くなっていくのを 感じるが、絵的な違和感を感じることも所々有った。

●参考URL


■アイズ・ワイド・シャット

 監督…スタンリー・キューブリック(1999年)

STORY:
 ニューヨークに住む医者(トム・クルーズ)は、その妻(ニコール・キッドマン)が 旅先で見かけた自分以外の男とのSEXを夢見たことがあるという告白を聞いて、

●感想
 私は面白い。妻はつまらない〜。と感想の割れた作品。
 キューブリックは狂気を描いて名を成した監督であると思うし、2001年もコンピューターの 狂気は描かれている。それはそれとして、今回は「嫉妬と性的倒錯」だ。
 妻の精神的浮気体験の告白をきっかけに焦ってしまった夫が、街角の娼婦に 引っかかったり、もやもやしてしまった揚げ句、怪しげな秘密パーティーに 紛れ込んで、散々怖い思いをする。という、言ってしまえばシンプルな話。
 18禁と言っても不道徳な描写があると言うだけで、そんなに猥褻感はないし、 なんといっても、ほとんど妻の話にカッと来た夫の妄想が原因のどたばたなので、 「シャンとしろ、トムクルーズ!」と声をかけたくなるほど、登場人物は弱い。
 ただ、音楽の使い方や、クリスマスの町並みの絵の美しさ、女性の美しさ などなど、美学はたっぷり。
 キューブリック・シンパは当然押さえるべきだが、他に見たい映画があれば 後回しでも良い。でも早くしないと公開が終わるけど。…というような位置づけの 映画だった(^^;;
 テクニカルな展で印象に残ったことは、「映画のための照明」をせずに、 室内の薄暗い人工光で大幅な増感撮影をして、ざらざらとしたフィルムの 質感を出していたことが、なかなか良い味わいを出していたということがある。

有楽町・丸の内ルーブル
 スクリーンは、座席数に対して大きいから、SF&アクション向けかも。 椅子がゆったりして楽なので、前の方で見上げるような姿勢になっても そんなに苦ではない。カップホルダーがないのが残念。
 音響はSDDS対応との表示で、明瞭ではあるが、サラウンド感は強くない。

●参考URL


STORY:


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文:唐澤 清彦 映画館がやってきた!