映画館がやってきた! | 映画鑑賞記 |
動乱の戦国時代、山の神(もののけ)と、人のなわばり争いに巻き込まれた、 少年(アシタカ)と少女(サン)の物語。 |
作品について、劇場で見たときにはなんだか尻切れとんぼ、竜頭蛇尾な感じが して、それは、前半の人間ドラマの緻密さに対して、後半のもののけ、でいだら ぼっちとの戦いが、主人公たる「アシタカ」の手に負えない世界に行ってしまっ た無力さが、観客にも釈然としない気分を残したのだろうと思うのです。これは、私が見たジブリ作品の中では、「紅の豚」に匹敵する繰り返し耐久度だと思い ます。作品の重量感は全然違いますけれど。
しかし、今回繰りかえし見て「何度も見るにふさわしい面白さ」が確かにある と感じることが出来ました。
「でいだらぼっち」の暴走で何もかもぶちこわして、後にはただ緑の山だけが残される。 実に、空っぽな気分になるエンディングも、繰りかえし見れば「ゼロから出発しよう」 という気持が沸いてくるのかも知れません。
ただ「緑が美しい」という優しい気持になれるかどうかが、この映画を見た人の 評価を分けるのか。…そこで一枚の絵の持つ訴える力が問われるのかも知れません。
・『もののけ姫』特典の英語版を鑑賞。
ナレーションとか、途中の登場人物のせりふの追加で世界観を補足しているようだが、
やっぱり一神教であるキリスト教世界と「八百万の神」の世界はなんかしっくり来ない
ものが残るな。
・見返して気がついたこと
アシタカって実は死んでるんじゃないの?
銃で撃たれたアシタカをシシ神様に治してもらう下り。Chp.14でアシタカの顔に滴が垂れて
波紋が広がるが、ということは彼は水没しているのだ。てことは、死んでないか?
水没シーンで血のようなものが流れ出しているところを見るとまだ心臓は動いているの
かもしれないが、真夜中から朝まで何時間もあの勢いで血が流れ出て生きていられるとは
思えない。そう言うことなのだろうか。
英語のサンは"going back life again"といっているようにも聞こえるし。
乙事主にシシ神の池に案内させようというストーリーになっているが、
ジゴ坊たちは前の日に山の上からダイダラボッチからシシ神に変化する場所を確認して
いるはず。案内させる必要は全然無かったのでは?
乙事主のどろどろに巻き込まれてサンが生きていたのは何故だろう? 怒りの対象にしか
効果がないのかな?
モロはいつ首だけになったのか?
おトキさんが鉄砲を修理する病気の女から食べ物を手渡してもらって食べるシーンは
意図的に挿入したと思うが、タタラの中でもエボシさま以外近寄らぬ隔離された一角に
住む彼らに、おトキもまた偏見がないのか、それとも非常時の中で全体と融和したのか
どっちなんだろう?
シシ神の首桶、閉めるときと開けるときで閂の形状が違う。ま、いいけど(^^;
ダイダラボッチの倒壊の後、緑が蘇るのと同時に病気の女が「完治した」ように
見えるが、「生き物すべて」が元気になるとすると病原菌も元気になるdかもしれない…。
■『もののけ姫』クロマずれ問題、その2
もしやと思い、『となりのトトロ』も改めて見たら、やはり輪郭線1本分ほど遅れあり。
まとめて、アニメを調べちゃう
これまでの色ズレソフトの代表格というと『レオン』だが、あれは「色信号が進んでいた」 ので、プレイヤーの「クロマディレイ」で補正できるのだが、DVP-S9000ESは、進める方向への補正は 出来ないので「色信号が遅れている」ディスクはちょっと困るぞ。
文:唐澤 清彦 | 映画館がやってきた! |