映画館がやってきた! | 映画鑑賞記 |
演出家ザックは、新作ミュージカルのオーディションを行う。 大勢の中から一次選考で残った若者たちに向かって彼は、 「君たち自身のことを語ってくれ」と言う。そして、踊りに情熱を注ぐ 一人一人の、生い立ちが語られていく。 ところが彼らの中にザックの昔の恋人だったキャシーが居た。一度は ブロードウェイ、そしてザックを捨ててハリウッドに出ていったキャシー は何故戻ってきたのか、そして、一からやり直すことは出来るのだろうか? |
オーディション・シーンのの冒頭は、下手な踊り手という設定の人が何人もいるので
下手が目立つ(笑)。
なにしろ踊り手が26人ほど居るので、どこを見たらいいのか分から
ない。見るならうまい人を見たいのだが、入り交じっているわけで、なんだか自分が
このコーラスラインのプロデューサーになったような気分である。しかし、大変だぞ(笑)
第一陣の失格者が帰った後、演出家(ザック)からの「自分について話してくれ」
「踊れなくなったらどうする」という根元的な質問に答えていく形式で、ダンサー
それぞれの人生が語られるというのが、もっとも重要な要素だが、アメリカの話なので
生い立ち、田舎の風土や、芸能界のゲイ文化について等、「アメリカ文化の基礎知識」
が要求されるところもある。
設定は現代ということになっている(例えば生年月日をいうところなど、1970年とか)
のだが、アメリカ文化に暗い素人の日本人が聞いても若干「時代を感じる」
話になってきているのは確かだ。
一番違和感があるのは「貧乏や家庭の不和からはい上がるのにダンスしかなかった」
という暗い流れが多いことで、現代にはもうそういう影の部分があまり無いんじゃ
ないか。としたら、時代設定は昔のままの方が良いんじゃないかという気がする。
最初は「設定上、下手な踊り手が混ざっている」とはいうものの、なぜか話が進んでもあんまり
「うまい!」という踊りは出てこない。特に「全員横並び」のこの話の中で辛うじて
主役級とも言える「ザック」のもと恋人で一度スターの世界(ハリウッド)に足を
踏み込んでから低迷してコーラスからの再スタートのためにオーディションに参加した
キャシー。ルックスは悪くないしいかにも悩める女優って感じですが、歌が致命的に
いかん。声は出ているけれど音程がさっぱりなので、ちと聞くのが辛かった。
そう思ってみると、全員「飛び抜けて光っている」役者は居なくて、最終選考の瞬間
観客に「この人は残るよね」というのがそこに至るまでの動きに込められていると素晴
らしいのだけれど、どうも、光る物に乏しい。最後の全員のラインダンス(?)「One」も、
あまりキリッとしていないし。
…なんてことを考えると、なにしろとなりの劇場で『ライオン・キング』をやって
いるもので「コーラスラインは二軍?」と思ってしまうわけでした。楽しんだけれど、
もう一押し欲しかったなと思う。
ちらっとインターネットの書き込みを見に行ったら、やはりどこでも今回のキャシーは 不評らしい。歌は大切でしょ、やっぱり。
さすが映画だから、オーディションに参加する若者の数が桁違いに多い。
こりゃ〜勝ち抜くのは至難だと思わせる。(考えてみれば四季のステージは
ずいぶん窮屈だった。)
シャープな踊り、複雑な振り付けは、圧倒的に四季のコーラスラインを
寄せ付けないクオリティーで、ラストの"One"の群舞に向かって確実に
テンションを上げていくのが凄い。本場物のダンスミュージカルの
凄さを感じてしまう。
当然のことながら、キャシーの歌もハリがあって聞き応え、説得力がある。
四季のキャシーは「年上」という意味での貫禄はあったが、それ以外の部分
では他のコーラスラインの踊り手の中に溶け込んでしまい、特別な輝きを持つ
スターが再出発のためにオーディションを受ける。という説得力、他者との
輝きの違いが薄かったが、映画のキャシーは動きの一つ一つの中にある
躍動感が確かに魅力的だった。
ただし映画版のキャシーは遅刻してオーディション会場に現れ、あれこれ
ザックとのやり取りがあって実際に踊るのはオーディション終盤戦のこと。
冷静に考えれば、他の踊り手からクレームが付きそうな条件だと思うけど、
実力はあるから無理ないか?という感じ。もっと沢山踊りを見た
かったと思う。
文:唐澤 清彦 | 映画館がやってきた! |