映画館がやってきた! 映画鑑賞記

セブン・イヤーズ・イン・チベット

■DATA

Story

 1939年、オーストリアの登山家ハインリヒ・ハラー(ブラッド・ピット)がヒマラヤ登頂中に 英独戦争の余波に巻き 込まれ英国軍捕虜になる。
 数年の捕虜生活の後脱走に成功し、外国人を排斥する遊牧民や盗賊団から逃げ延びて チベットにたどり着き、ダライラマを中心とする政府の役人の一人に助けられ、そこで 暮らすことになる。
 一緒に脱走して生き延びたもう一人の男は、現地の女性と結婚するがプラピは、 祖国に残してきた妻と子供を思い続けるが、離婚届にサインして欲しい、子供にも 手紙を書かないで欲しいというという便りが届き、孤独に苦悩する。
 そんなとき、まだ少年のダライ・ラマから僧院に招かれ、世界のことを教えて欲しい、 映画館をつくって欲しいと頼まれる。二人は年齢も背景も違いながら、友として 親交を深める。
 だが、中国政府がチベット併合の戦争を仕掛けてきたことで、穏やかな暮らし は一変。平和を愛するチベットの民はあっけなく敗れ、ハラーは祖国に帰る。 チベットで得た何かを息子に伝えるために。

感想

 インターネットを検索すると、膨大なリンクが出てくる。それだけでこの映画の人気が うかがえる。

 映画に描かれるようにチベットは中国との間で政情不安であるため、ロケは アルゼンチンの高地に巨大なセットを建設。なんと本物のラマ僧100人をエキストラ に招いての撮影であったそうだが、ともかくアンデス(チベット)の空の美しさが 目に浸みる。
 登山家ハラーの生き方を描く前半部分は、西洋人の「競争して勝ち抜いて一番 になることが素晴らしい」という思想。悪く言えば我が儘で、自己中心的で、勝てば官軍 と言わんばかりのスタンドプレーが、ヒマラヤ登頂のチームプレイさえ脅かすような、 嫌な男の物語だ。子供が生まれると分かると、見届ける優しさもなく山に逃げてしまう ような卑怯者でさえ有る。だから、服装が古くさくて暗い雰囲気なことを差し引いても、 ヒマラヤの白く清浄な峰に似つかわしくない男だ。
 イギリス軍の捕虜収容所でも、一人で脱走に失敗しては戻ってきて、仲間から 「お前の脱走のおかげで警備が厳しくなった」と非難される。
 だが、仲間の脱走に混ぜてもらい立った二人落ち延びたことで、大自然の中で 一人では生きられないという感覚が徐々に芽生えてくる。
 チベットに落ち延びてから、映画は一気に晴れ上がる。前半の我が儘な西洋人 を描く部分はもっと短くても良かったのではないかと思うが、ラマ仏教を信じて 生きる人々の善意には心を洗われる。
 そして、この映画の印象を強めているのは、ダライ・ラマを演じた少年の 陰りのない笑顔だろう。人の形をした善意といっても良いくらい、暖かなオーラ を発している。
 少年ダライ・ラマを取り巻く大人達は一国の指導者としての彼を、古くからの しきたりに従って厳格に扱っているが、それで本人の優しさが隠れることもなく、 ミュージカル『王様と私』で「蛙みたいで格好悪い」と言われた平伏の礼も、 このダライ・ラマの前では少しも不自然ではない。
 そんな穏やかで和と命を尊ぶ価値観の世界の中で、ハラーは少しずつ癒され、 西洋の競争原理から解き放たれ、永住までも考えるが、そこにチベット同化政策を掲げる 中国からの圧力が掛かり、戦い、敗北、そして中国の支配、宗教弾圧が始まる。
 この作品は、実在の登山家ハラーの手記を元にした作品で、ハラーが祖国に 戻るまでの軌跡を描くには中国のチベット侵攻も重要な事実であったろうが、 西洋文明の権化であったハラーがチベットの経験の中で変わっていくという テーマを描くだけなら、無くても済んだかも知れない。
 実際、映画からは史実のチベット侵攻がどのような物であったか推し量るには 情報が足りず、近代史の知識は自分で仕入れる必要も有ろう。
 一方のダライラマとチベットの民族を描く目的からは、この戦いは絶対に はずせない物だろう。
 映画の主題はハラーの生き様だと思うが、チベットの信仰と風物、そして政治 をもっと見せて欲しいと思った観客は少なくないに違いない。
 ともあれ、自然と人の心で癒されるハラーと、政治の圧力による厳しい現実 の両方を見せられて後に残るのは、高い山々と澄んだ空への憧れのような感情だった。
 中国で上映禁止になったからといって、この映画のメッセージは政治を 主眼にした物ではない。しかし、現在進行形の政治問題がこれだけ大きく 描かれている以上無関心でいられないのは当然だろう。

●事実のチベット/ダライ・ラマ

 チベットの独立国家としての歴史は千数百年。そのうち中国の元と清の時代に 支配を受けた歴史があるが、逆に現在の四川省あたりまでチベットが支配して いた時代もあり、決して現在の中国政府が主張するほど、中国の内部にあった わけではない。
 堅い鎖国政策を採ってきたが、それだけ確かに独立国家として の歴史ははっきりしていると言える。

 完全に中国軍(人民解放軍)の軍事管理下に組み込まれたのは1950年。ダライ・ラマ 14世のインド亡命は1959年。以来亡命政府は非暴力の平和を訴え続け、1989年、 ダライ・ラマはノーベル平和賞を受けている。

 現在まで戦いの犠牲になった人は国民の1/5にあたる120万人。素人の 目からすれば、陸の孤島のチベットに大きな軍事力を投入して 支配することにどのような意味があるのか分からないが。一刻も早い解決を 願いたい。

●画質のこと

日本ヘラルド製作、松竹ホームビデオ発売。
茶色っぽいくすんだ色と灰色な黒。もうちょっと画質、頑張って欲しいですね。

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文:唐澤 清彦 映画館がやってきた!