演劇「鉄人28号」鑑賞(天王洲アイル・銀河劇場)
押井守初の舞台演出作品。
これは去年末頃、秋葉原駅でポスターを見て「この芝居が呼んでいる…」って
感じで、妻と「押井ファン」の友人と三人で鑑賞。
幕が開くと、セイタカアワダチソウの生い茂る湾岸の荒野の真ん中に膝まづく
巨大な「鉄人28号」。風雨にさらされて赤錆びた姿で…
三階席から見下ろす形でも舞台の鉄人は圧倒的な存在感を放っていたのだが、
これは一階席から見上げる形だとさらに印象的だったろうなと思う。
鉄人のデザインは今回の舞台のための特別な物で、オリジナルのつるっと卵型の
概観に比較して、ものすごい重量感と戦車的なディテール。しかも打ち捨てられた
戦争遺跡に感じる哀愁みたいなものも取り込んで、これ一つで物語のテーマを
びしっと主張している。
しかし始まってびっくりしたのは「宝塚歌劇」形式だったこと。
えっミュージカル?! 押井さ〜ん、意外すぎるよ〜(^^;;
ストーリーもオリジナル。
昭和64年、東京オリンピックをきっかけに浄化されていく東京を舞台に、
悪の象徴とされた反体制の活動家や、野犬狩り、立ち食い師などと、彼らを追い詰めていく
警察に代表される国家権力、どちらの言い分にも利はある…という所に
鉄人らしさを含ませつつ、昭和の時代性を描いていく。
鉄人28号がアニメ化されたのは、昭和63年。
企画自体は、幻の「劇場版アニメ 鉄人28号」で原作者にお墨付きをもらった物らしい。
パンフレットで押井は「昭和ノスタルジーは虚構の現代史だ。僕たちは未来に脱出したかった」
と書いている。
東京オリンピックは、私的には物心つくには早すぎる年代の出来事なのだけれど、
最近のNHKの番組などで、戦争の匂いを消し去り、日本の復興・近代化を海外に誇示する
ために色々と無茶をやったことが知られてきた。
「あの頃の日本はよかった」的な映画が大ヒットしているけれど、確かに、
その時代の中では「今はいい時代だ」という感覚は無くて「未来はもっといいに違いない」
というよく言えば前向き、悪く言えば今ここから抜け出したい感覚があった。
都会育ちの妻なんか子供の頃には「駅前で傷痍軍人が小銭を恵んでもらっていた」とか
いうので、時の政府が掲げるスローガンよりは全然「戦後」ではあった。
なので、そういう時代を背景に、
「押井の鉄人」は思い切り社会派メッセージ・ミュージカルだ。
ストーリーは湾岸の野犬狩りシーンから始まる。
「犬」か。押井らしい、さすがだ(笑) 犬関係団体からの花輪もあったな。
野犬狩りというのは史実らしい。戦後的なる物一掃の対象として、野犬も狩られた。
ここで大塚所長としてサンプラザ中野くん登場。歌う。
敷島博士(池田成志)は、研究所で鉄人28号を管理、調整している。
ちなみに池田成志は、最近では『グレンラガン』の螺旋王ロージェノムで
カッコいいところを見せていたが、『THE・有頂天ホテル』では、ちょい役
ダンサー - オイリー菅原として出演していたり、なかなか良くわからない
俳優さんだ。
金田正太郎(南果歩)は、女立ち食い師・ケツネコロッケのお銀との二役。
鉄人は操縦者次第で「正義の味方」にも「悪の手先」にもなる。
だから「戦後的価値観」なるものの中で育った新たな世代の彼が操縦者に選ばれた
という設定だ。
一方、「ケツネコロッケのお銀」は「女立喰師」
「立喰師」というのは押井が作った架空の職業(?)で、
まあ蕎麦屋の食い逃げなんだけれど、店のオヤジとの駆け引きや口上に芸術的な
冴えを見せるもの、と思ってもらおう。
さて、警察は反政府な人間たちも追及しているわけだが、
テロリスト集団「人狼党」の首魁、犬走一直(ダイアモンド・ユカイ)は、
湾岸最後の野犬集団のリーダー「有明フェリータ」を、自由の象徴として
野犬収容所から助け出す。
正太郎君は、野犬を狩ることについて所長や敷島博士の言葉と、犬走りや
お銀の言葉の間で、何が本当の正義なのかについて悩むことになる。
ということはさておき、「人狼党」の本当の目的は、そういう状況のシンボルである
「東京オリンピック阻止」にあった。
開会式妨害の為に「空に五輪を描く自衛隊のジェット機」が飛べなくなる。
開会式を成功させるため、準備不十分のまま鉄人は緊急発進するが、
見事五輪を描いた鉄人は行方不明になる。正太郎少年も帰ってこなかった。
という話。
山場の「鉄人発進シーン」では、それまで舞台で中央でひっそりうずくまっていた
鉄人がぐお〜んと回転し、火を噴きながら立ち上がる。感動的だ…!
(やっぱり一階の前の方で見たいですね〜これは)
芝居として成り立っていたのかというと、それは良くわからない。
「もはや戦後ではない」的ながむしゃらな前進が損なってきた物とか、
そういうテーマについては十分伝わってきたけれど、映画のチケット4枚分もする
料金に見合う娯楽性とか、全体を考えると疑問は有る。
ミュージカル形式にすると必然的に「セリフの量」が限られるので
常なら語りまくりの押井脚本としては詰め込みが効かなかった=語り足りない…
ということも有るのかな。
まあ、鉄人の起動シーンだけで、普通の映画一回分くらいのインパクトはあった
し、そこだけはもう一度見たいとも思うのだが。
あれの終演後の行方が気になる。どこかの美術館に飾ってくれたら見に行きたい。
錆びついた姿はジブリ美術館のロボット兵を思い起こさせるところがあるけれど、
存在感は数段ずっしりしてかっこいいと思うよ。
演劇パルコ・プレゼンツ・古田新太in「リチャード三世」鑑賞(赤坂ACTシアター)
[パルコ公式]
翻訳…三神勲 (角川文庫クラシックス刊)
演出…いのうえひでのり[劇団☆新感線 主宰]
cast:
- エドワード四世 …久保酎吉 [ヨーク家長男]
- クラレンス公ジョージ…若松武史 [ヨーク家次男]
- グロスタ公(リチャード三世)…古田新太[ヨーク家三男]
- アン…安田成美…[エドワーズ未亡人→リチャードの妻]
- スタンリー卿 …榎木孝明[リッチモンド伯の義父]
- バッキンガム公…大森博史[リチャードの腹心]
- マーガレット…銀粉蝶…[故ヘンリー六世の妻(ランカスター)]
- 故ヨーク公夫人…三田和代…[リチャードの母(プランタジネット)]
- エリザベス…久世星佳…[エドワード四世の妻(プランタジネット)]
- リヴァーズ伯…天宮良…[エリザベスの弟]
- ヘイスティングス卿…山本亨…[皇太子エドワード五世擁護]
- ケイツビー…増沢望…[リチャードの腹心]
- ラトクリフ…西川忠志[リチャードの腹心]
- リッチモンド伯…川久保拓司…[ブルターニュからリチャード討伐軍を起こす]
- ドーセット候…森本亮治…[エリザベスの先夫の息子、リッチモンド派]
古田新太が「リチャード三世」を演じる、というので見に行った。
チラシのビジュアルもなかなか良かった。A3の大判にモノトーンで、
スターウォーズの銀河皇帝のようなオドロオドロしい蒼白メイク、世の中を
透かしてみるような視線。
裏面には主要キャストの写真も有って、同じようなローブ姿で渋いことこの上ない。
正統派かつスタイリッシュな香りがする。
というわけで、出かけてみると、本番ステージの衣装は薄汚れた
ブリティッシュパンク(?)だった。おいおい(汗)
赤坂ACTシアターには初めて行ったが、生声の演劇を上演するには
ずいぶんと大きな劇場でキャパは1500程か。二階席最後尾から舞台を見下ろすと、
肉眼では誰がしゃべっているか判別できないほど遠い。オペラグラス必須。
ただ、(隠しマイクで薄くPAが入っているようではあるが)声は小さくても明瞭に
聞こえるし、客席の傾斜が適切な設計で、
椅子は前後で斜め配置になっているため、銀河劇場みたいに前の人の頭で
舞台が欠けるなんてことはない。演目に対して大きすぎるとは思うが、
ホールとしては良い。要するに良いチケットを買えば…(^^;
主役の古田新太は、初シェイクスピア。
演出家も「シェイクスピアは初挑戦」だそうだ。
Webに「いつか古田新太でシェイクスピアをやってみたかった」という言葉があり、
初物コンビという企画だ。
時代設定は小道具として携帯電話やパソコンやTVの取材カメラなどが登場して、
きわめて現代っぽい。しかし、小道具が現代的なだけで、内容まで現代に翻案している
わけではなく、台本はほとんどノーカットに近いシェイクスピアそのもの。
衣装はチラシとは似ても似つかぬ、60〜70年代イギリスみたいな極彩色のナイロンっぽい
プリント柄。分かりやすいんだかふざけているんだか分からない。
音楽はべらぼうに音量が大きいことだけが記憶に残った。セリフにかぶると
何もかもかき消してしまうから、主に場面転換のときにずばばばば…という感じで。
セットは、演出家が『ブレードランナー』をイメージしたとも言う、
全体的に灰色の廃工場みたいな雰囲気で、右に階段、左に二階の渡り廊下があり、
中央の壁に回り舞台とエレベータ。(リチャード三世はト書きに「二階」を使う設定が
書かれていて、こういう立体的なセットは必須だ)
舞台上に一ダースのTVモニタがあり、戦況の報告をする兵士の映像が出たり、
TVニュースが流れたり、登場人物の家系図が出たりと、演出上大活躍。
「市民の噂話」…街の声をニュース映像風にまとめてTVで流す手法はスピード感があって
悪くない。
このTVモニタには、登場人物のセリフ(独白)がテロップで出る場合もあった。
(最後列だと、50インチTVでも視力的に厳しかったが…)
シェイクスピア劇では、独白をどう処理するか工夫の見せ所らしいが、テロップを使う独白は、
携帯パソコンを打ったり、メールの文章だったりの設定のように見える。
リチャード三世は、独白に拡声器を使っていた。*
*後から聞いた情報によれば、リチャード三世が手に持っていたマイクは「ICレコーダー」で
独り言を録音している、という設定だったらしい。残念ながら後ろの席からはオペラグラスを使っても
そういう設定だとは判別できなかったけれど。
その他一般的でない部分というと、
先王「エドワード四世」の末娘「エリザベス」が舞台に登場する。
二人の兄、皇太子とその弟はリチャード三世に暗殺されるため、エリザベスは
即位したリチャード三世と反乱軍のリーダー、リッチモンド伯の間で
「正当な王家の血筋」を主張する道具として取り合いになる重要人物。
彼女は本来の「戯曲」には名前しか出てこないが、この演出では、
序盤にエドワード四世の子供たちがロンドンにやってくるシーンで一緒に登場し、
ラストでは反乱軍の「リッチモンド伯」と行動を共にしている。
しかし戯曲に登場しない彼女にはセリフはなく、登場人物が話しかけることも無いので
「透明人間」みたい。セリフも無くにこにこしているだけなのは変な感じだ。
演出上「彼女がついた陣営が王位の正当性を主張できる」という状況を補強したい
気持ちはわかる。逆に言えば、シェイクスピアが彼女を描かなかったのは不思議だ。
(女王たちが多数登場するので、配役の都合で劇団内の女形が足りなかったのかな…)
では順に感想を。
本編の前に「薔薇戦争」の解説が語られる。(アナウンスで)
『リチャード三世』は薔薇戦争の末期の話なので、ここにいたる状況説明。
イギリス人には無用の一般教養だが、確かに日本人は知らないな。(大学受験生なら
得意か…?)
この解説、紙に書いたものも配布されて、制作側の「親切心」はとても感じた。
芝居は…というと、全体的に前半はとてつもなく長く感じて(実際長いのだが)
気を失いかけた。
後半はまずまず緊迫感が保たれ、ラストはなかなか盛り上がり、終わりよければ
…という感じかな。と言える。
もっとも、前半は水面下の陰謀話で、人間関係も複雑なので
眠くなって当たり前。後半は陰謀は加速し、戦争は起きるし、なので
盛り上がって当たり前の脚本ではあるから、前半に山場を作ってこその、
演出家と役者の仕事という気はする。
冒頭にいきなり主人公グロスタ公(リチャード三世)の独白が来るが、
ここは聞かせどころだ。いい役者がやるといきなり引き込まれる。
グロスタ公は「拡声器」で独白する。独白は「観客に向かってしゃべっている」
という考え方なら有りか。
でも平板で普通に状況説明っぽく聞こえてしまった。第一声は本当に大切だと思うが。
古田新太のセリフは、活舌ももう少し欲しいところだが、抑揚が頭打ちで一本調子かな。
シェイクスピアはセリフの量が多いので全般的に早口の芝居になるのが普通だが、
もっと「セリフの速度の変化」とか「声の高さの変化」とか「声の大きさ」などを
使って欲しい。「声色(こわいろ)」も一つ。「フレーズ単位の"間"」は有ったけれど。
シェイクスピアの長台詞は、英語として言い回しが難しく当時の観客にも
解りにくかったといわれる。むしろ「音楽的に塊で気分が伝わればいい」と
いうことだったらしい。
つまり音楽的抑揚がとても大切、ということだな。これが一本調子は辛い。
もしかすると翻訳の問題も有るかもしれない。今回の翻訳は結構古く
上演に用いられた機会も多いらしいが、「現代口語」っぽい言い回しが案外しっくり来ない。
坪内逍遥までさかのぼると辛いが、もう少し「歴史ロマン」らしさを持った
格調高い翻訳がふさわしいような気がする。
日本で言ったら「時代劇」には当時の言葉そのものではないけれど、時代劇ら
しい言い回しがあるとの一緒で。
つぎの山場は、葬送のアン(安田成美)を口先でたぶらかして妻にしてしまう
ところ。
ここで思わず「うとうとっ」としてしまった。セリフのキレや抑揚がなにか足りない。
もちろん、
劇場が広くてエネルギーが拡散しているということはあるのだけれど、どことなく
もそっとした感じだ。古田新太より安田成美のほうが芝居は上手い気がするが。
演出ではこの後も頻発するが、衝撃的なセリフを言った瞬間に「ガーン」という
効果音が入るのはどうなんだろう。マンガじゃ無いんだから…。
これは後半の、エリザベスを妻にしようと口上を述べる部分の方がずっと
良かったから、古田新太が出来ないというわけでも無いと思うのだ。
相手役との掛け合いの問題なのか、それともエンジンがかかっていないのか…?
ロンドン塔のクラレンス公(若松武史)は、真っ先に殺されてしまうので
出番はほとんどここだけだが、ベテランが当てられているだけあって印象的だ。
ベテランであるからかセリフは、ちょんまげの「時代劇」っぽいイメージを受ける。
殺される間際の大騒ぎは「殿、ご乱心」って感じ。絶対イギリス人
じゃない(笑) でも旨い。目を閉じても「若松武史」という個性が強烈に光っている。
味がある。
ついでに殺し屋1,2も結構上手い。いい掛け合いだった。
二幕から子役登場。
弟、ヨーク公リチャードが上手かったな…。透明な声が心地よい。やばい。
もってかれる(笑)
三幕からは皇太子エドワードも登場。爽やか。ヨークとエドワードが登場する場面は
やけに面白かった。
ヘイスティング(山本亨)は笑い声の奇声が印象的。
この笑い声は「飛び道具」という気もするが、メリハリが出る。後で殺されて
しまうので、楽しげな高笑いからの転落が生きる。
バッキンガム(大森博史)は、もりもりと盛り上がったカツラがやたらと
目だって分かり易かった(目立ちすぎ)けれど、芝居も適切な抑揚があってなかなか良い。
グロスタ公を王位に付けようという猿芝居のあたり、「公の腰巾着」感が
よく出ていた。
しかし、ここでも肝心のグロスタ公のセリフはいまいち単調に響く。
上げたり下げたりするバッキンガムのめまぐるしい声色の変化と比較すると。
…ということでグロスタ公が「リチャード三世」になって第一部終了だ。ふ〜
休憩中は知らないロック音楽がガンガン流れる。
基本的に劇中音楽も全部ロック。
こんなに大音量にしなくてもな。
四幕以降、スタンリー卿(榎木孝明)の出番が多いのだが、
この芝居がベラボウに良い。スタンリーはリチャード三世の下で働きながら、
悪を憎んで苦しむ正義の人、という役どころ。その有るべきところに
ピタリと収まった芝居だなぁ。高潔な人物だということが、身のこなしからも
立ち上ってくる。
王になったリチャードの初登場シーンは、コミカルなピカピカ衣装で会場の
笑いを誘う。でもそれは無いだろ…。
リチャードが「元女王たち」とごちゃごちゃ対話(話が長〜い)しているうちに、
海の向こうで
リッチモンド伯が兵を挙げる。このあたりからストーリーが加速する。
もっとも、ここまでは城の中の話であるのに対して、イギリス全土で
同時多発的に反乱が起きるという話なので、テンポは良いが混乱している。
要するにわけが解ることより勢いの方が大切、ということだなぁ。
そして第五幕からリッチモンド伯(川久保拓司)登場。
はっきり言ってリッチモンド伯というのはこの長い芝居の中で最終幕に
突然現れてイングランド王になってしまうという、外国人には「え〜っ!」
という感じの人物。国外(フランス)に居たのでリチャードの暗殺の手を逃れた
人物らしいが、血筋も説明が無いし唐突だ。
だがともあれ、こいつ(川久保拓司)がめちゃめちゃ美形だ(^^;
妻の言うには「まるで宝塚のオスカルさま」…マンガに出てくる金髪の
王子様みたいだ。正義の味方のアイコンそのもの。
義理の父のスタンリー(榎木孝明)も美形だし、正義の味方は美形に決まっている!
亡霊のシーンは、大音響のロックにのせてボイスチェンジャーを通した
亡霊ボイスでドロドロに。聞き取りにくいのが難点だが、まあ、聞こえなくても
亡霊が言いたいことはわかるから良いか。
一方リッチモンド伯が目を覚まし天幕から出てくると、
エリザベスの娘のエリザベスが付き従っている演出。え〜やりすぎでは?
そしてリッチモンド進軍の演説。
特筆するほど上手いというわけではないが、絶世の美形が正論をまくし立てると
圧倒される(笑)
ここは舞台に配置したTVを利用してニュース映像風に仕立てられていて、
「Yes,I can」みたいな、テロップが流れ、その後のリチャードの演説も
合せて「米国大統領選」のパロディーになっているようだ。
そして戦闘シーンに突入。
リチャードは味方がやられても一人で何人分もの働き。単身敵陣奥地に
乗り込んでリッチモンドと対決する。
殺陣は頑張っている。(シェイクスピアの戦闘シーンでは、形ばかり
二度三度剣を合せて終わりという舞台も有ったなぁ…ト書きもあっさりした
物ではあるが、役者が好きにやっていいという解釈が適切な気がする)
リチャードはこの話の中では「陰謀の人」なのだが、この戦闘シーンは、
本質的には「武人なんだなぁ」と思わせる一瞬だ。
有名な「馬をよこせ、王国などくれてやる」のセリフは、
流れのままに勢いで叫ぶ感じだった。
そして最後のリチャードvsリッチモンドの一騎打ち。
戯曲のト書きには「二人が戦ってリチャードが倒される」としか書いてないので、
ここは演出家の自由だ。で、ラストはリッチモンドのサブマシンガンで蜂の巣
「え〜、きったね〜卑怯者〜!!」(^^;;;;;
そしてスタンドマイクを手にしてリッチモンドの演説。盛り上がっていく
ロックのBGMに合せて歌いだす…かと思ったよ。なんかGactのステージを
見るような気分、ってか大河ドラマ?紅白?(笑)
…というわけで、なんだか美形パワーに押し切られて「主役はリッチモンド?」
みたいな気分でお終い。最後にちょろっと出てきて美味しいところ持って行くな…。
総じて年配の実力派俳優たちはやっぱり上手いと納得した。癖がありすぎる
と思う場面もあったけれど、格の違いがにじみ出ている。
出番がちょっとしか無いのがもったいないくらい。
女性陣は後半女ばっかりでトークバトルのシーンがあるが、セリフに酔わせてくれるほど
上手い人は居なかったかな。
古田新太は、やっぱりコメディーの人なのかと思う。まあ自分の劇団では悪人の役も
なんでも出来るのだろうが、
リチャード三世は重すぎたかな。脇にいくつもの名演が輝いていてもやっぱり
シェイクスピアは、主役のセリフが音楽のように緩急自在に響いてこないと
三時間はもたない。
とはいえ、この長い芝居のセリフを全部覚える俳優たちの才能には感心する。
今回、ちょくちょく引っかかってはいたけれど、極端に不安になるような役者は
居なくて安心して聞いていられたのは確か。