映画館がやってきた!

構築日記・不定期便
- What's NEWを兼ねた日記のような読み物 -
2005年 4月
[先月|目次|翌月]

2005.4.30
  • 江ノ島水族館
     GWのプチ旅行として江ノ島へ。
     目的は江ノ島水族館。
     水族館は大好きなのだが、最後に江ノ島に行ったのは20年近い昔のことで、最近は水族館も ずいぶん綺麗になったらしいと聞いて、長らく機会をうかがっていたのだ。
     江ノ島水族館の目玉は、「くらげ」「相模湾大水槽」「イルカショー」 の三つだと思う。
     「イルカショー」は、一般的なイルカのジャンプやアシカのキャッチボール などのショーと別に「ドルフェリア」という名前の「ミュージカルショー」がある。
     これは、調教師(4人)が衣装をつけて舞台で踊ったり、泳いだりする合間にイルカがジャンプ するなんとも微妙な癒し系タイム。
     人間の振り付けは踊りと言うほどのものでもないけれど、良く考えると、この演目のあいだ、 イルカたちは通常のショーで良く見る「御褒美のエサ」をもらわず20分間一緒に泳いでいるの だから、普通のショーより高度に訓練されているのだろう。
     通常のショーは「イルカの御紹介」という流れで、良くある「輪くぐり」とか、 「ボールを標的にしたジャンプ」とか、道具を使った演出は無い。しかし、人間を 空中に投げ上げたりの大技もあり、フィナーレには4〜5頭の同時ジャンプが見られて、 結構派手だ。
     入り口付近で一番大きな水槽が「相模湾大水槽」
     目の前の海に生きる魚たちを集めた水槽だから、鰯やアジなど食べられる魚が多い。
     熱帯魚のように派手ではないけれど、鰯が群れになって泳ぐのは、キラキラ光って結構 飽きないものだ。
     この水槽で行われる「餌付けショー」はほんの5分で終わってしまい、あっという間なのだが、 えさに群がるアジ(?)が面白いといえば面白い。エサは「オキアミ」のようなものらしいが、 不思議なことに、アジ以外の魚は全然集まらない。案外エサの好き嫌いが激しいのか?
     「くらげ」は昔から江ノ島水族館の目玉だったけれど、今は広い空間にゆったりと 展示されている。まさに癒し系。
     海水浴場に浮いていたら迷わず「逃げろ」だが、予想外に妻も楽しそうに見ている。写真も 撮って携帯の待ち受けに設定するほど。
     面白いことに「毒のあるくらげ」は、一目見て「毒が有りそう」に見えるし、無害なくらげは なぜか「のんびり」と見える。ふわふわ漂うこいつらを見ていると飽きない。
     昔のクラゲ展示は「学術研究」みたいだったけれど、時代は変わった。
  • 赤い魚(えぼし茅ヶ崎駅前支店)
     妻が「生しらす」が食べたいというのでネットで調べて茅ヶ崎へ。
     肝心の「生シラス」は、先日築地の「じげ」のお通しで食べたものに比べると 「ねっとりとした甘み」があまり感じられず、「ほろ苦い珍味」に留まっていた(連休中なので 仕入れが難しいかもしれない)
     しかし、刺身の盛り合わせ(\3,000)は、非常にレベルが高かった。
     赤貝の刺身はコリっというのかプリっというのか、まずその食感の軽快なことに驚く。 タコもイカも、普段「よく噛んで食べる」イメージの食材がどれも軽やかな食感で、 それぞれ単独ではこういう旨さ未体験ではないにしても、居酒屋の刺身盛り合わせが 隅から隅までこれほど鮮度抜群の旨さだったのは例が無い。
     食感だけでなく、新鮮な魚介類は甘い。
     魚系では中トロ、タイ(?)、アジ(?)と、赤白青の三系統の盛り合わせで、どれも 高度に旨い。相模湾の恵みなんだろう。(マグロは近海じゃないかもしれないが)
     ウニは、一匹の殻をわったそのまま。
     それ自体は大きくも立派でもないが、新鮮さは文句無く、身にハリがあって甘い。
     鰯のとても小さいように見える魚(キビナゴかな?)は、青魚独特の臭みが一切無くて、 これも素晴らしい。小さな身を綺麗に刺身に下ろしてくれる板前の技量も感じる。
     何か料理したものをと思って、焼きハマグリと、サバの味噌煮を頼んだが、サバは まあ普通。ハマグリは大きくて立派なものだった。
     この店は客席数が多く、普通の居酒屋料理も沢山あるが、今回はせっかくなので 魚中心に攻めた。
     日本酒が厳選された銘酒で構成されているのも感心だ。
     何もかも完璧とは言わないが、わざわざ出かける価値は有る。特に刺身盛り合わせの 味を思い出すと、今後はその辺の居酒屋で刺身を食べるのを躊躇するだろう。
     そういう意味で、「罪な店」ではある。休日の晩なのに地元のお客さんで大繁盛 しているのにはちゃんと訳があるのだ。
2005.4.29 2005.4.28
  • HV版『スパイゾルゲ』鑑賞 ×
     このテンポで三時間も有るのかと思うと耐えられない。
     …ので15分で降参
  • HV版『サイン』鑑賞 ×
     テーマ曲とクレジットで始まるのだが、この曲がいまイチ乗らない。
     乗らない気分のまま本編。乗れない。10分でギブアップ…。
2005.4.27
  • HV版『ゼブラーマン』鑑賞 ★
     ストーリーは力作、脚本、編集は疑問という印象。
     家族に隠れてコッソリヒーローのコスプレをするのが唯一のストレス発散法と言う 冴えない小学校教諭。彼の勤める小学校が本物の宇宙人の侵略の拠点になってしまい、 先生も本物のヒーローになってしまう。
     …こういう話なので、ストーリーの「辻褄」や「根拠」はヒーローものレベルで 仕方がない。ガメラやゴジラほどSF的でなくても「あえてヒーロー物のレベルで作った」 という言い方も出来る。
     世界征服をたくらむ悪の秘密結社が、なぜか小学校ばかり襲うのだとしても、 それを言ったらヒーロー物が成り立たないのと同じレベルである。
     逆に、「子供の頃夢中になったヒーロー物の世界で、大人になった主人公が改めて 活躍する」という筋書きは、まさに「大人のためのヒーロー物語」で秀逸である。
     実は、「打ち切りになったヒーロー番組」と 「何故小学校が襲われるのか」という謎は 「数十年前のUFO墜落騒ぎ」を軸にきちんと繋がっていて、ある意味ただのヒーロー物より ストーリーの流れはきちんとしている。
     しかし映画の流れは良くない。
     アクションとセリフの芝居がバラバラで、宇宙人に追いかけられて学校を全力疾走した 次のカットで、延々ととセリフ芝居が続き「敵は今何しているの?」と思ったり、全体に 流れの不自然な部分が目に付く。テンポが悪い。
     「ヒーローおたくが夢を実現する」という企画が素晴らしいので、細かいところには 「昔懐かしい特撮もの」のレベルで見れば許せる。けれど、アクションとセリフ芝居の 溶け合わなさ、不自然さは捨て置けない。
     この映画を作ったのは「東映」なのだから、何故脚本を「怪獣映画」や「戦隊物」 のベテランに任せなかったのか。それが問題なのだと思う。
2005.4.26
  • 兵庫の電車脱線事故
     約100人の死亡者が出た事故の割には、重機を持ち込んで本格的に救助を始める までにずいぶん時間が掛かったように思う。
     人海戦術で車体をバラす必要もあるが、レスキュー隊の人数より、周辺で手持ち無沙汰 にしている警官の数が多すぎる。
     ありったけのリソースを投入して統率するリーダーシップが足りない ように見える。
     他の大災害でも同じことだが、車内には「迅速に救助すれば助かった人」は何人も 居ただろう。そのことを考えれば、もっとやる事があったと思う。国土交通省なのか、 警察なのか、官邸なのか、誰が責任を持つのか分からないけれど。
     あるいは、こういう非常事態に「誰が責任を持つのか分からない」という現状が 問題なのか。
2005.4.25
  • HV版『クリムゾン・リバー2黙示録の天使たち』鑑賞 ☆
     残念ながらイマイチだ。
     第一弾『クリムゾン・リバー』は映画館で鑑賞し、なかなかのホラーであったが、 こちらは「リュック・ベッソン」が脚本を書き、話の連続性も無い。
     ローマの教会の隠し財産をナチスの残党が奪う話。と紹介してしまうと ものすごい陳腐な話に聞こえるかもしれないが、陳腐だ。
     何しろキリスト教系カルトの構成員を対象とした連続殺人が起きるのだが、 結局何のために殺していたのか、はっきりしない。お宝の「鍵」を奪うため らしいのだが、直接持ち主を襲えば良いだけであり、よしんば全員殺す必要があったとしても、 聖書をなぞった連続猟奇殺人とするだけの根拠に乏しい。趣味なのか?
     結局これは、ホラーというのは「刺激的な映像」だけでは成立しないものなのだという ことが良く分かる作品である。
  • 抗日チェーンメール
     「噂」を研究している大学のHPにそんなものが報告されていた。5/1-6/1の間に 集中して徹底的な日本製品の不買運動をしようと呼びかけるメールだ。
     しかし良く考えると、「対象になる日本製品の多くが中国製」だろう。
     中国の日本メーカー工場が閉鎖されるということになると、、メーカーは困る と思うが、中国で作っているものが中国で買われなくても、即座に大きな ダメージは無さそう。中国人の関係者の方がもっと直接的に困るだろう。
     破壊された日本料理店だって、従業員は中国人のはずだし、観光業界だって 困っているし、学生のデモはピントがボケている。
  • 兵庫で最悪の電車脱線事故発生
     カーブで脱線して沿線のマンションに側面衝突。
2005.4.24
  • ベルリンの至宝展
     ベルリンには「博物館島」があるが、その複数の博物館から「至宝」を持ち寄った 展覧会。
     どれも面白いのだが、企画の性質から、あまりにも展示に幅がありすぎて 散漫になった印象は拭い きれない。
     地中海やイスラム圏の遺跡の出土品なんか見ていると、「遺産」というより 国家の威信を賭けて探検に行き、他国から「勝手に持ち帰った」という気がする のも確かだ。
     これらの展示物は、英仏独の「博物館競争」の結果なんだよねぇ。
     結果的に「ドイツの物」のがあまり無い。
     まあ、メソポタミアの遺産なんか、確かに西洋人が収集しなければ散逸して いたのかもしれないのではあるけれど。
  • ウィルスバスターが誤爆
     パターンファイルのミスで無限ループとか。我が家のPCはノートンなのでセーフ。
     しかし「フリーズしたので秋葉原に持ち込んで何もかも初期化してしまった」という人のニュース は泣けた。普通セーフモードで起動してファイルのバックアップくらいしてから 初期化するだろう。住所録とか失ったのは販売店のせいだなぁ。
  • ディズニーランドの噂
     都市伝説として以前からこんな話がある。
    東京ディズニーランドのアトラクションの一部には、安全性を図るために、 身長などの規制を設けてある。「ビッグサンダー・マウンテン」の場合も、 身長規制以外に、足の不自由なゲストへの利用を断っている。
    だが、車椅子に乗ったゲストが、「どうしても乗せて欲しい!」と 訴えたことがあった。「私は、これに乗りたくてわざわざやってきたんだ。 死ぬまでに一度、『ビッグサンダー・マウンテン』に乗りたいんだ。あなた に迷惑はかけない。何が起きても、私の責任だから、乗せてほしい」 その ゲストは、一生懸命お断りするキャストの言葉にも、頑としてあきらめよう とはしなかった。やがて、キャストは、目に涙を溜めて訴えるゲストの顔を 見て一つの決断をする。 自分の責任で、このゲストをお乗せしようと。
    体験したことのある人なら知っているだろうが、「ビッグサンダー・マウンテン」 は、長い階段を上ったところにアトラクションの乗り場がある。 そのキャストは そのゲストを背中に背負い、一段ずつ階段を上った。そして、安全の注意をもう 一度して、出口でそのゲストを待ち構えた。
    足が踏ん張れないために、ゲストは少し擦り傷を負ってしまった。キャストは 慌てて治療し、平身低頭で自分の浅はかさを詫びた。「やはり、私は、どんな ことをしてもお止めするべきでした」  だが、その態度にゲストは「何を謝ることがあるんですか。私が無理を言って 乗せてもらったんです。ああ、楽しかった。これで一生の思い出ができました。 本当にありがとう!」と感激して、キャストの手を離さなかったという。  安全性を何より重視する東京ディズニーランドにとって、このキャストの行為は、 単にマニュアル違反ではすまない危険な選択だった。 だが、彼はそれを承知で、 ゲストの思いに賭けたいと思ったのである。 もちろん、そのキャストの経験から、 そのゲストの体の障害がどの程度のものだというチェックはされていた。 結果的に、 そのゲストが少しケガをしたことを考えると、このキャストは、やはり乗せるべきでは なかったのかもしれない。 だが、このキャストもまた叱責されることはなかった。  逆に、彼の勇気も同様に社内報を通じて称えられ、評判となった。
     …お台場ではこの噂と同じようなシチュエーションで死亡事故が発生。
     事実は都市伝説より奇なり、である。
     まあ、「サービス業」の世界ではこういう話が講習会のツールとして利用されたり していたのかもしれないが、現実の死亡事故を体験すると 「やっぱりマニュアルは絶対だ」ということになる。
     今回はサービス業だけれど、「バケツでウラン」の臨界事故だって マニュアル遵守の精神があれば防げた。「回転ドア事故」だって、安全規則を 拡大解釈して現場の判断で回転速度を上げた事が批判された。
     つまり、大切なのは現場の判断ではなく「完全なマニュアル/準備」なのだ。
     …て言うと、人間味が無いとか、判断力が無いとか、そういう批判もあるだろうが、 失敗したらやり直しがきかない分野での「現場の判断」には、どれだけのリスクが あるかきちんと考えなければならない。
2005.4.23
  • GPC定期演奏会鑑賞(恵比寿・麦酒記念館)
    • F.プーランク Francis Poulenc(1899-1963)
    • ・Gloria グローリアミサ
    • Quatre petites prieres de Saint Francois d’Assise    アッシジの聖フランシスコの4つの小さな祈り (男声合唱)
    • Petites voix    小さな声 (女声合唱)
    • F.マルタン Frank Martin(1890-1974)
    • Messe fur zwei vierstimme Chore   二重合唱のミサ
     妻の合唱団の演奏会。
     久しぶりに、純合唱の演奏。全体に調子はしり上がり。
     面白かったのは、マルタンのミサと、プーランクのミサ。
     先週N響で骨太な「ベートーヴェンの荘厳ミサ曲(ミサソレ)」を 聴いたばかりなので、 ジャンル「ミサ曲」として比較してしまうと、マルタンは 「技巧に走った小粒な作品」という印象なのだが、確かに 技巧は凄い。
     プーランクはマルタンより伸びやかであるが、ベートーヴェンほど ストレートな情熱は感じない。もちろんベートーヴェンは「ほとばしり過ぎ」 という気もするのだが、祈りの感情は理解でききる気がするのだ。
2005.4.22
  • 「グインサーガ ハンドブック3」
     こちらも本編100巻記録で登場。
2005.4.21
  • 『Shall we ダンス?』DVD鑑賞 ★★☆
     レンタルで初見。その後TV放送の録画で時々繰り返し見ていた作品の待望のDVD化。 でいうか、待ちすぎて些か旬を外したのでは?と思うくらいだが、ハリウッドによる リメイク版の公開がようやくきっかけになったということだろう。
     特典として、LD時代に録音された「副音声解説」がある。
     それによると、映画では西武線沿線になっているが、当初のイメージは「総武線沿線」で、 「千葉の新興住宅地」の設定だったけれどJRで撮影許可を取るのが不可能だったから 私鉄の沿線になったのだとか。
     主人公の勤めている会社は「隅田川のほとり」のようだが、確かに総武線の両国駅あたりには 駅から見えるダンス教室もあるし「ガード下の焼きトン屋」など、実際に監督の語るイメージの 元になる店など色々有る。
     総武線の沿線住民としては、JRでの撮影が実現しなかったのはちょっと残念だ。
2005.4.20
  • 『スウィングガールズ』DVD鑑賞 ★★☆
     本編は★★かもしれないが、特典映像で☆おまけ、って感じのDVD
     監督の前の作品『ウォーターボーイズ』と同じく、「高校生が意外な部活をやる」 という話だが、「男のシンクロ」があくまで「イロモノ」だったのに対して、 「女子高生のビックバンド・ジャズ」というのは、これは「本物」だ。
     いかにもジャズとは無縁な主要登場人物のキャラも面白いし、漫画的な笑いが満載で あちこちで笑えるのだが、「数学の補習授業をサボる口実」で始めたブラスバンドの 助っ人が、ジャズの魅力にはまり、スポコン的努力の末大舞台で拍手喝采を浴びる という、そのストーリーが面白くないわけが無い。とにかく、最後の曲が素晴らしければ 全てはOKなのだ。
     そして、出演者が実はド素人で、この映画のために猛特訓した…といえば、 ある意味「トゥルーストーリー」の要素もある。感動しないわけが無い(笑)
     頑張って成功する。王道の感動だ。
     ラストの演奏会のシーンで、驚くほど上手い演奏にも感動するが、中盤で 「ジャズのノリを会得して踊りながら通学路を行進する」シーンが、また感動的だ。
     ジャズって楽しいんだってのがビンビン伝わる。
     この映画の良くないところは、初めて楽器に触るシーンで、楽器に対して あまりにも粗雑な、惨い扱いをするところかな。ここは音楽好きなら胸が痛むと 思うな。
     トランペットでシャボン玉を吹くくらいならともかく、トロンボーンが分解して 床に落とすとか、楽器でボールを打つとか、チャンバラごっことか、もぅ泣きそう(^^;;
     もちろん、学校の音楽室の備品の楽器は、リアルでぼろぼろではあったけれど。

     特典映像には、普通のメイキングやインタビューだけでなく、本編に つながるサイドストーリーがある。これが面白い。
     「弁当屋が間に合わなかった理由」とか、「ギター娘のバンドが解散した経緯」とか、 なかなか面白い。

     部活物では『がんばっていきまっしょい』(ボート)、 『シコふんじゃった』、 『ピンポン』 などなど、まだまだマイナーな世界が色々有りそうだ。
     「フィギュアスケート」なんか、遠からず映画化されるのではないかなぁ。 これは「部活」では無いかもしれないけれど。「川原泉」のスポコンものは良い よなぁ…。だれかこの原作で映画にしないのか。

  • HV版『コンタクト』鑑賞 ★(HV★★)
     DVD初期に(当時としては最大の)特典映像満載で発売され、何度も見た作品を ハイビジョンで見直す機会。
     すでにDVD画質は心の中で純化されているので、ハイビジョンだからどうだ… ってことはあまり無くなっていた(笑)
     冒頭の「宇宙空間の無限ズーム」は絵的に見せ場であり、確かに美しい。
     でも「明るい屋外の遠景」みたいなハイビジョンらしさを発揮しやすい絵柄が 相対的に少ないので「ハイビジョンで新発見してしまった」というような 出会いは無かった。
     もちろん、最後まで一気に見てしまったのであるが。
     ところで、ストーリーの大きな流れに文句は無いが、主人公のエリーと神学野郎が いきなりくっつくところとか、風来坊の神学野郎がいつの間にか大統領の宗教顧問に 登りつめている所とか、どう考えても納得の行かないところはやはりある。
     原作では、納得がいくように出来ているのだろうか…
  • 色温度調整ふたたび
     VW10HTのランプが(また)2000時間を超えてしまった。
     総ランニング時間は8,000時間超え。
     ランプが古くなると、全白画面では、同心円状の色むらが見えたりしてなかなか 厳しいが、仕方ないので再調整して凌ぐ。
     どのみち「輝く白」とか難しいので、思い切り色温度を低く「名画座」風 にしてみた(^^;
2005.4.18
  • 寝込む
     腹痛で寝込んでしまった。普段飲む整腸剤がまるで効かない。ウィルス性なのか…?
2005.4.17
  • グインサーガ第100巻「豹頭王の試練」
     読了。後書きまで読了。
     う〜む。作者はもはや100巻で完結することは放棄して「終わらない物語」を書くことに 気持ちが行っているらしい。
     トールキンも「指輪物語」について「この話しの欠点は短すぎることだ」と言っている くらいで、長い話に魅入られた人間と言うのは「これで十分」ということが無くなるのか。
     それにしても、一読者として「完結するカタルシス」も感じたい気はするのだが…。
     と、作者がそんな調子なので100巻付き合った読者の気持ちとしても全然区切りがつかず、 早く101巻をだしてくれという感じではある(^^;;
  • HiVi 2005/5
     MORE 5.1chという特集。
     ようするに9.1ch再生だ。
     こいつは端的に言って「SONY TA-DA7000/9000ESに参ってしまった人」が、 編集部内外に大勢居るということだろう。(デノンのアンプも対象であるが。)
     既に9.1chを導入している我が家でも「妻が驚く大迫力」なのだ。
     無駄遣いに厳しくAVマニアでもなんでもない妻が5.1chシステムとの違いを 高く評価しているのだから、全てのホームシアター・オーナーが9.1chに 走っても不思議は無いと思うね。
     HiViのメーカー・インタビューを見ると「未対応」のメーカーは 「9.1chは5.1chより難しい」と言う論調だが、真実は「9.1chにしたら5.1chの セッティングで苦心惨憺していたのが嘘のように解決した」という、まさに 百聞は一見に如かず(?)である。
     とにかく9.1chの素晴らしさは項目を数え上げるとこんな具合になる
    • 1.ラフなセッティングでも高い臨場感
    • 2.最適リスニングポイントが広い
    • 3.部屋の音響的な癖の影響を受けにくい
    • 4.各チャンネルの隙間が無い。繋がりが良い
    • 5.画面の外に音が広がる
    • 6.バス・マネジメントに頼らない豊かな低音再生(小口径でも低音が出る)
    • 7.EQ.を使わない鮮度の高い音(個別の音量が小さくなるのでスピーカ固有の キャラクターが目立たない)

     全ての利点の理由は、サラウンドチャンネルを三つのスピーカーで分担することと、 これが、映画館の基本的スピーカー配置と同一であることから来る。
     サラウンドのセッティングに関しては、「耳より高く置く」ことと 「出来るだけ全チャンネルを等間隔にばら撒く」ことを目指せば、多少の誤差は 互いに補完して紛れてしまう。
     個々のスピーカーの音量が小さい(1/3)ので、リスナーの位置が最適ポジションから 偏ると、音像が偏るという現象がほとんど起きない。
     部屋の癖の影響も足して三で割ったことになり、目立たなくなる。

     今も昔も劇場のサラウンドスピーカーはサイドの壁に並んでいる。
     ドルビーサラウンド(3/1ch)の時代は、画面の中のステレオ音像と、 画面の外の音という関係。ホームシアターのサラウンドスピーカー(2本)は なるべく曖昧に鳴ることが正しかった。
     ドルビーデジタル/dts(3/2.1ch)の時代は、実は映画館の音と ホームシアターの音はかなり食い違っていた。
     映画館のサラウンドスピーカーが本来は「サイド」に有るのに、家では 斜め後ろにあるのだから当然だが、奥行き方向の移動感はサラウンドスピーカーが 後ろの方が出る。
     映画によっては、むしろそちらの方が面白い作品も出てきた。
     サラウンドチャンネルの使い方に、作品ごとのばらつきの生じた時代だと思う。
     ところが、ドルビーデジタルEX/dts-es(3/3.1ch)になると、 奥行き方向の表現は「リア・センター・チャンネル」に任せ、サラウンドチャンネル は、再び「サイド」の広がりの表現の役割を担うようになった。
     だから、部屋を縦長に使って、背後の壁にスピーカーが固まっているレイアウトでは 映画館の音は再現できない。どうしてもサイドにスピーカーが必要だ。
     だから、基本の5.1chでも、サラウンドスピーカーを「リア設置」でしか 使ったことの無い人は「うそ〜」と思っても真横に置いてみると驚くと思う。

2005.4.16
  • N響でミサソレ(ベートーヴェン/荘厳ミサ曲)鑑賞(NHKホール/渋谷)
     ミサ曲関係は妻が参加している合唱団の関係で聞くことが多いのだが 「これは聴いた事が無いなぁ」と思ったら、妻も歌った事が無いらしい。
     率直に言って、他のミサ曲とは全く異なった「ベートーヴェンらしい」曲。 エネルギッシュで体育会系の祈りである。
     学生の頃はベートーヴェンなんて教室の退屈なイメージが強くて、興味なかったのだが、 自分で音楽をやり始めて色々聴くようになってから「やっぱり凄いかも」と思うようになり、 ついには「ロックンロールの方法論とベートーヴェンの類似点」なんかが聴こえるように なってきた私だが、このミサソレは、もう一度聴いてみたい、深みを覗いてみたい と思わせる。

  • EOS20Dのシリアル番号が消える話
     うちのカメラは対象外だった。ほっ。
  • ランプを交換してくださいメッセージが出てしまった
     このランプが燃え尽きる頃にはフルHDのプロジェクターに買い換えようと誓っていたのに、 さっぱり新製品が出ないのだものなぁ…。ハイビジョンのアナログ出力にけちをつけている ハリウッドのせいなのではないかと疑っているのだが
     しかし、ランプを買い換えるか、繋ぎのプロジェクターを導入するか…、悩むところだ。
2005.4.15
  • 秋葉原を探索
     仕事帰りに妻と生まれ変わった秋葉原周辺を見て回った。
     まだまだ工事は続いているが、綺麗な広場や今まで秋葉原には絶対数の少なかった飲食系の ビルなど、ずいぶんの変わりよう。
     駅構内も、「秋葉原駅にこんな大空間があったなんて…」と驚くような変わりよう。
2005.4.14
  • 築地の「串じげ」に行く
     友人と定例飲み会。
     「串じげ」は約一年ほど前にも来たけれど、同じ通りに「串じげ・バラクーダ」という 新店が出来ていて業務拡張していた。
     串コース\2,500円と、前回挑戦することの出来なかったマグロの中落(1,000円) に挑戦。
     これはマグロのでっかい中骨から貝殻を使って自分で身をかきだして食べる趣向で、 スーパーの偽物の中落なんかとは全然違って、生の上等な赤身が食べられる。
     恐らく、単純に赤身の刺身として考えても一人前千円の価値は十分にあるが、 おまけとして「寿司飯」が二貫ぶんついて来る。要するに寿司の台の部分だけの半完成品。 これに、自分で剥がした中落を載せて寿司として楽しめる。
     食べやすい部位を取った後で一旦店員さんが下げに来て、残りの細かい身を 集めて味噌味にしてたたき「なめろう」を作ってくれる。
     自分ではがす中落ちに、寿司となめろうのおまけ。三つの演出で千円なのだから、 頼まなければソンである。
     昨年来訪した時に見られた「来る他人事に別々のお通し」は、今回は各席 共通だったようだ。
     それは「生のシラス」を生姜醤油で食べるもので、甘くねっとりした食感が 最初に来て、ほろ苦い後味が残る逸品だった。
     串コースはアスパラの一本焼に始まって一通り鶏が出た後、サラダとホタテの グラタン(貝殻に入って一人用の炭火に乗っている)で締め。
     これも演出間が有ってgood.
     お酒のバリエーションがやや高級で、つまみも平均価格1000円弱なので、 今回は一人7,500円(酒3000円/料理4500円)。マグロ+串コースだけなら 料理3000円+酒二杯で2000円=5000円で収まるが、それだともう一つ飲み足りない かなぁと思ったり(苦笑)
     そういうわけで、高めだが楽しさいっぱいの店だ。
     マグロや串や、手を使う料理が多いためか、途中でおしぼりを交換してくれたのも 気が効いていると思った。でも料理の運び間違いが多かったような(^^;
  • ところで新店舗「串じげ・バラクーダ」
     『未来少年コナン』に登場する船の名前でもあるバラクーダ。これは、 骨が多くてとっても食べにくく、かつマズイ魚の名前だそうな(^^;
     昔は「サワラの代用魚」として魚屋に並んでいたけれど、あまりにも不評なので 現在は扱う魚屋はないそうだ。
     コナンに登場する「バラクーダ号」にはぴったりの名前だと思うが、 お店の名前としては挑戦的かな(笑) ある年代以上には懐かしい響きが あるのかもしれない。
2005.4.13
  • 月島の「魚仁」に行く
     妻の「マグロが食べたい」というリクエストに答えて、マグロで有名(らしい)居酒屋 「魚仁」を訪ねる。
     古い建物が多い月島だが、「魚仁」の店構えは単に古いというのではなく、山小屋風とでも いうか、木造の骨組みにベニアと波トタンを打ちつけただけの簡素な建物だ。
     しかも、非常に細長い構造で、調理スペースと平行して奥へ奥へと細いテーブル席が 一列にあるのだが、お運びの店員さんが通るのにお客さんと接触せずに通れないくらい 狭い。
     狭いが満員御礼大盛況なので、まだ寒いのに店の外にテーブル席もある。 とにかく活気は凄い。
     メニューは魚を中心に300〜500円が中心。
     ビールは一番絞り。サワーや飲みきりの焼酎もある。
     特に印象に残った美味しいものは、マグロのブツ切り、マグロのカマ焼、この二つは 次に来た時にも是非頼みたい逸品。マグロ以外ではしっとりしたポテトサラダと、 「煮豚のブツ切り」と呼びたいようなボリューム満点のチャーシューが印象的。
     肉豆腐はさっと煮系で普通。
     何はともあれ、「マグロのブツ切り」のむっちりとした食べ応え、これだけでも 再訪したくなる旨さだった。
     平均一品400円で激安。
     しかし今回二人で8000円以上は高いなと思ったのが、良く考えると相席の 隣の四人組の支払いをしたような気がする。(頼んだのは飲み物も合わせて12品。 あとで検算したら約5000円しか飲んでないハズ)
     支払いの時に明細の提示が無いから、事故防止のため一応自分で検算して おくことをお薦めする。今回は自分でも「すごいな〜そんなに飲んだのか」と 感心して払ってしまったが、どれも大盛りなのに二人で20品も食べられるはずが 無い(苦笑)
    (こういうザックリした居酒屋を中心に飲んでいると、年に一度はそういうことも 有るから、けち臭いが確認は必要だ)
2005.4.11
  • HV版『クレヨンシンちゃん・モーレツ!オトナ帝国の逆襲』鑑賞 ★★
     ストーリーの解説はもはや不要だろう。
     1970年「大阪万博」を経験した世代は、 「二十一世紀は科学技術の発達が、世界を平和で豊かにする」と 疑いも無く信じていた。
     チューブ状の道路をエアカーが走り、銀色のスーツを来てテレビ電話を使い、 壁掛けTVがある。コンピュータはあらゆる質問に答えてくれる…
     いつの間にか未来像の多くが現実になったけれど、「平和で豊かな世界」か… というと現実は否であるし、なにより「未来に対する夢」が失われたような気がする。
     それが『オトナ帝国』の発端であり、現実に1970年を生きた人の共通の実感では ないだろうか。だから、一部世代で熱烈に受け入れられたのだろう。
     悪役「イエスタディー・ワンスモア」は「皆で子供の頃に帰ってやり直そう」 という計画の下「あの頃の匂い」の散布で日本全国を洗脳しようとする。
     このやり口はいかにも「悪の秘密結社」だが、「あの頃そのもの」に帰りたい とまで思う人は居なくても、「あの頃感じていた未来への夢」をもう一度 取り戻したいという思いは多くの人が持っているだろう。
     真面目に考えると、問題は「政治・経済」そのものであり、 科学を軍事に悪用している米国の傲慢が罪の無い人々を殺しているとか、 選挙の票のことしか考えていない日本の政治家がアジアの対話を軽視しているとか、 出鱈目な政治家と官僚が税金を無駄遣いして後世に赤字を積み上げているとか、 山ほど問題がある。
     科学が人間を幸せにすると信じて、科学・学習雑誌を読みまくった 世代には「人類が月に行ったのは嘘だ」なんていうTVを見て信じる若者が 居る事が衝撃的だ。
     そういうバカな人間が、イオンだ、酸素だ、波動だ、水だ…etc.と、 小中学校の理科の知識でも疑わしいレベルのオカルト業者にお金を払っている 現実は情けないの一言に尽きる。
     『オトナ帝国』に感動したオトナは、自分の手で出来ることから 現実を変える行動をとるべきだと思う。あの頃信じていた未来を取り返すた めに。
2005.4.10
  • 千葉(銚子方面)で、震度5+の地震発生。震源は地下60km、M6.1
     震度5-/+の地域が広い。
     市川は3〜4か。今のマンションに引っ越してからは最大で、しっかり揺れたが、 幸い落下物などは無し。
  • 久しぶりの本格的な雨
     桜が全部散りそう。
  • デカプリオがアカデミー賞の会場にプリウスで乗りつけ
     『タイタニック』の頃から「環境問題」に関心を持っていることをアピールしていたが、 最近はプリウスに乗っているらしい。エコカーに乗る事がカッコいいという価値観が 世界で共有されれば素晴らしいことだ。
     それには「かっこいいエコカー」を開発してもらわないとね。
  • 京都の暴行牧師の例(読売新聞)
     こんな行為があった
    • Step1.「アトピー性皮膚炎が治った」という“奇跡”のうわさが口コミで広まり信者を獲得
    • Step2.「信仰が足りないと治らない」と説教
    • Step3.信者は信仰心を疑われないよう、かゆくても「治った」と答える
    • Step4.その例を「奇跡の証拠」として利用する (Step1に戻る)
     病気の悩みを食い物にした悪質な商売(?)だが、世の中にこういう嘘は 幾らでもある。
     人間は「努力や投資が無駄になることを回避しようとする本能」が あるので、自分で自分を騙すことも有る。
     アトピーの例では入信前と比較してなんら改善していなくても、以前はもっと酷かった と、脳内で過去の記憶を書き換えることで現状をプラスに考えることが出来る。
  • で「からから亭」的には、オーディオのオカルトグッズも偽宗教と全く同じだと 思うわけである。それは「店の常連グループ」や「ネットのコミュニティー」で 顕著に発生する。
    「○○を使うと激変する」
    →「耳が悪いと変化が聞き取れない」
    →「耳を疑われないように変化を感じなくても「激変」と言う」
    →「その例を「○○で激変」を体験した人が大勢居ますと宣伝する」
    →頭に戻る
     とにかくオーディオの村社会では「耳が悪い奴には、高価な機器は不相応だ」という 村八分が存在するので、仕立て屋に「この布は空気のように軽くてバカには見えません」 と言われると「おお、素晴らしい生地ぢゃ」と右に倣ってしまう間抜けが多い。
     有るか無きかの変化を、さも大変化のように表現したほうが耳が良いように 振舞うことが出来る。特に教祖に近づくためにはヨイショが最重要だ。
     誰かが「王様は裸だ」と叫ばない限り目は覚めない。
    ※音の良し悪しを聞き分ける能力には確かに個人差が有り、経験と訓練が必要である。 しかし、高額のお布施を要求する教祖が本当に耳が良いかどうか証明されたと言う話は 聴いた事が無い。教祖のお薦めよりブラインド・テストで支持される製品が確実な はずだが、滅多にこの種のテストは実施されない。
     某専門店のミニコミ誌で数回にわたって実施されたブラインドテストの結果は、 余りにも価格や世間の評価と乖離した結果が出たために、企画そのものがすぐに 中止になった。
     あるいは某専門誌が複数の評論家に個別にケーブルのテストを依頼した記事では、 評論家ごとに しばしば一本のケーブルに正反対の評価が下され混乱を起こしたことがある。
     評論家の意見が一致するのは、一緒に視聴して意見を交換したときに限るようだ。
     このようにブラインド・テストは、業界にとってタブーの領域なのである。
     それが、オーディオ評論業界の限界なのである。
2005.4.9
  • 一日桜の写真を選び、6枚印刷
     昨日の写真をセレクト。
     総武線と中央線が組合せで走ってくるので、「鉄」分の多い連写写真がたくさん あったて、中にはファンタジックな構図のものもあるのだが、「桜」の写真として みるとやはりちょっと違う。
     また、桜の樹全体を捉えた写真は、どうしても背景から「東京のど真ん中」で あることを意識させられ、あまりにも「晴天」である事もあって、雰囲気が足りない。
     というわけで、比較的アップで撮影してシンプルな背景の物をいくつか印刷。
     レタッチで桜の「ピンク」を強調する事もしない。
     300mmで撮影した遠景は、空気のせいもあってコントラストが弱い。肉眼でも 眩しくて霞んで見えるような景色だった。
     しかし、トーンカーブで黒を締めたら透明感が増して悪くない。 レンズのフレアっぽいところも案外補えてしまうし、肉眼の印象より良いくらい。

     風が強くてレンズの表面がほこりっぽくなるくらいの天気で、頻繁にレンズ交換を したけれど、撮像素子へのホコリの付着は無かった。
     新品の時にいきなり付着していたほこりが一番酷かったな。

2005.4.9
  • 皇居の外堀、市ヶ谷〜水道橋の桜を見物
     満開に達して強風が吹くとハラハラと花びらの舞う美しさ。天気も上々。
     お堀の内側の公園は花見の宴会客で一杯。外周の道路沿いは宴会は出来ないけれど、 散策する人でぎっしり。お堀の水上に有るカフェは長蛇の列。 私も含めてカメラマンも膨大。でもなんだかカメラマンは 老人率が高い(苦笑)
     総武線の黄色と中央線の赤い列車が行き交うので、花見写真に「鉄」写真 の要素も加わりまた1.5GB/350枚もの写真を撮ってしまった。(半分は捨てた けれど)
     電車は行く先表示板が電柱に隠れていると面白くないので、バチバチ連写。 鉄道写真をやる人には、連写機能は必須か。
     ボートも出ているし、桜の色もほとんど白に近いものから特別濃い色の樹、 赤い葉が出ているものなどバラエティーが豊富。撮るものが多い。

     「お堀の対岸の桜を望遠で撮る」という構図が多かったために、 レンズはEF75-300mmISを多用。
     先日の「真間のしだれ桜(伏姫桜)」の撮影では、薄曇で全天明るい せいか強烈なフレア、コントラスト低下でへろへろだったが、今日は青空 なので、太陽が直射しない限り使える感触。
     倍率収差は有るが、花吹雪の舞う花びらの一つ一つが収差で紫ににじんで光ると、 なかなか美しい。ある意味「収差はレンズの味」である。
     一番使いにくかったのは、細い枝を狙うなどしてAFが外れると、一往復して 復活するのに2,3秒待たされることか。結構頻繁に外して待たされた。
     偏光フィルターはやはり劣化しているかもしれない。若干だが 色が濁る。
     標準ズームはEF-S17-85mmISだが、こいつは特に弱点が無い。 逆光でも平気。コントラストが良いので、EF75-300mmISと比較して、 同じ花も色鮮やかだ。
     EF-S10-22mmには出番が無かった。
     

  • 私が「桜と総武線」を撮ろうと構えた同じ場所に、カメラを持った 学生二人組がいたので「あぁ、同じ狙いか」と思ったら、 通過する電車の型番をメモりだした。
     これは純粋の「鉄」だ。
     地方のローカル線だけでなく、東京のど真ん中にも鉄な研究対象はあるらしい。
     確かに後から写真を見てみると、同じ中央線でも微妙に形の違う車両が 色々走っているらしいのだが。
  • 『Shall we ダンス?』DVD購入
  • 『スウィング・ガールズ』DVD購入
     本編はHVで見たいのだが、とりあえず特典目当てで買ってみた。久しぶりの 購入だ。
2005.4.8
  • 「攻殻機動隊S.A.C.2nd GIG」
     初回の内容について。
     S.A.C.(1st)の最終回で組織解体させられた9課が、「大使館に対するテロ」を迅速に 解決させるために再結成される。
     政治…というか、大人の事情がストーリーの柱で、アクションはちょびっと。
     以下ネタバラシだが、
     前シリーズで解析の為にバラバラにされた「タチコマ」が帰ってくる。
     ボディーは新品なのだと思うが、人工知能は昔の記憶を持っているらしく、 バトーと感動の再会。不覚にも涙腺が熱くなってしまった(^^;;
     タチコマは前シリーズの中でただのAi戦車から人間の感情に似た何か…心を 持ったらしい…というところで、全機バラバラ、あるいは木っ端微塵になってしまった ので、今回のシリーズでは「人間の相棒」としてより活躍が期待されるところだ。
2005.4.7
  • 最近読んだ本
    • 竿竹屋はなぜ潰れないのか
       この本が凄いと思うポイントは「タイトル」
       中身は易しい経済学入門であり、通常ならこの本のタイトルは「副題」 になっているはず。ところが副題をメインタイトルにしてしまった。
       ホームページに記事を書く時に、私は「抽象化したタイトル」の他に「具体的な副題」を つけて読み手の興味を引きやすいように工夫している。それがタイトルの付け方としては 標準的な手法だろう。
      (そもそもこの手法は映画『博士の異常な愛情〜または私はいかにして心配するのを止めて原子爆弾を愛するようになったか』 という長い長いタイトルにルーツを発しているのだが)
       しかし、書店の平積みコーナーの中で「竿竹屋はなぜ潰れないのか」は 興味を引く。「分かりやすい表現」の技術という本の中でも取り上げられていたが、 「具体的」な表現はあきらかに「抽象的」な表現より力がある。しかもタイトルが「トリビア」 になっている。
       経済学に興味が無くても、これはページをめくってみたくなる。秀逸である。

       では、竿竹屋はなぜ潰れないのか
       作者の調査によれば、その秘密は二つある。

      1.利益が大きいケース
       「2本で500円」と言って売っているが、買う段になると
       「奥さん、2本で500円のも良いものだけれど、こちらの1本で5000円の竿なら、孫の代まで 使えてお得だよ。今なら2本で8,000円にしておくよ」といわれる。
       これを購入すると「物干し台まで運んであげるよ」と言われ、二階に上げると
       「お客さん、この物干し台は土台が腐っていて危ないね。知り合いに良い大工さんが いるから紹介してあげるよ」
       と言われて、工事費で10万円取られる。
      2.経費がゼロのケース
       金物屋さんが業務で移動する時、ついでに「竿や〜さお竹〜」のテープを流しているだけ。
       もともと金物屋に置いてあるものなので、その為に仕入れはしていない。
       移動の途中なので、その為の人件費もガソリン代も発生していない。

       と、この本ではこの例から始まり「経済学は本質的に「利益」と「経費」の問題に集約される」 と説く。
       その他、日ごろ「100円のものを50円で買って半額だから得をした」などと言っても、一度でも 100万円のものを101万円で買ったら意味が無い。(費用は「比」ではなく「絶対額」が問題)
       安いものを大量に買って在庫にするより、高くても適切な時期に購入して在庫を持たない方が 得なケースが多い。
       副業は本業に密着したものが有効(例:誰もお客の入っていない住宅街の高級レストランが 開いている大人気のお料理教室)
       などなど、身近な例、「そういえば不思議だな」と思うような例をたくさん挙げて、 経済の原理を解説している。そこから、経済の原理と言うのはシンプルなものだと 納得させられる。
       タイトルの的確さと、内容の説得力の両方にうなった一冊であった。

    • 「分かりやすい表現」の技術
       文章やプレゼンテーションの技術を扱った本は多いが、これは日常的な 文章や看板etc.も含め、わかりやすさについてより根源的な分析をしている。  この本で指摘されている分かりにくさの犯人は次の16種類
      • 犯人1: 親切心の欠如(整理されていない情報の羅列など)
      • 犯人2: 「受け手」のプロフィールの未定義
      • 犯人3: 受け手の熱意の読み違い
      • 犯人4: 大前提の説明漏れ
      • 犯人5: ガイドの欠如(よい目次や地図)
      • 犯人6: 複数解釈が出来てしまう
      • 犯人7: 情報のサイズ違反(区切り、サイズ制限、速度制限)
      • 犯人8: 欲張り(限られたスペースでの説明)
      • 犯人9: 具体性に欠ける
      • 犯人10: 重みづけの欠如(読み手が必要とする情報が埋もれている)
      • 犯人11: 共通項でくくらない(情報の因数分解)
      • 犯人12: 相互関係を明示しない(対比関係/親子関係)
      • 犯人13: 視覚特性の無視(見分けやすさ)
      • 犯人14: 自然な発想に逆らう(赤い蛇口はお湯が出る)
      • 犯人15: 受信順序を明示しない(バラバラな説明書)
      • 犯人16: 直訳(翻訳は内容を理解しないと不可能)
       高速道路や駅の案内図、フロッピーのラベル、本の目次などなど、 具体例が豊富に取り上げられていて「そうだそうだ!」と思う部分が多い。
2005.4.6
  • HV版『タキシード』鑑賞(wowow) ★☆
     軽いB級作品ではあるが楽しい。
     タクシーの運転手のジャッキー・チェンが秘密エージェントの紳士に雇われるが、 彼が敵の爆弾にやられて瀕死。
     そこで「秘密のタキシード」を着て彼の替わりに活躍しようとするのだが…という 設定。
     悪の秘密組織は、「ミネラルウォーター会社」の株を買い、アメリカ中の水道水源を致死的 なバクテリアで汚染して、株で一儲けしようとしている。その方法が、あんまり成功しそうに 無いのは、この映画の場合気にしてはいけないのだろう(^^;
     とにかく「悪に立ち向かうのだがコミカルなカンフー映画」というジャッキー・チェン の持ち味をうまく発揮していると思う。
  • 『マクロス・プラス劇場版』鑑賞 ★
2005.4.5
  • 新年度のTV番組が色々始まる
     まずは深夜アニメ3本
  • 「創聖のアクエリオン」
     あの「マクロス」のデザインを担当した河森正治が「玩具として完全変形可能」 なロボット物をやる…という情報を聞いて録画。
     まだ第一回だけだが、ワクワクする要素が満載。
     「三体の飛行機が合体して、誰が頭になるかでバリエーションが出来る」というのは 『ゲッターロボ』そのもの。『ゲッターロボ』は、超科学の力で粘土のように ぐにゃぐにゃと変形したために、玩具としては成立不可能で子供心に「似てね〜、無理むり〜」 と思っていたものだが、監督も子供の頃そう思っていた一人なのだろう。
     『マクロス』でジェット機がロボットに完全変形したのを見て感動させてくれた 人が、新たにゲッターロボに挑戦…となれば、変形シーンだけでもこの番組を見る価値がある。
     (合体するロボットの数のバリエーションとしては、六神合体とか最高15体まで有ったと思うが、 合体のバリエーション3というのはアニメ界のマジックナンバーか。)
     「神話要素」をてんこ盛りなのも興味深い。
     三体の合体を、キリスト教の「三位一体」の要素と、毛利某の「三本の矢の教え」の 二つの要素を混ぜているし、合体の絵はヨガで言うところの「チャクラ」みたいでもある。
     ロボットそのものは「ムー大陸」の遺跡らしい。
     その他、敵は「墮天使」だし、武器は「手裏剣」だったり「拳法」だったり、 とにかく無国籍に文化を詰め込んでいる。
     キリスト教要素をやると、何をやっても『エヴァンゲリオン』の香りがしてしまうのは 仕方ないかもしれない。辛いところだ。
     主人公には「大天使の背後霊」がくっついているようだが、メカがムー大陸の遺産 だったりするためか、メカの名前を呼びつつ宙を舞う搭乗シーンが『勇者ライディーン』 ぽくもあり、 「搭乗者のアクションをトレーする」操縦システムも似ている。ついでに 主人公の声が「神谷明」系だ。まだまだ絶叫の年季は足りないかもしれないけれど。
     ともあれ、「神話要素」というより「神話を扱ったアニメ要素」を集約したのかも 知れない。懐かしい部品が多用されている。
     絵のクオリティは高い。
     メカはほぼすべて3D-CGIだ。
     3Dでメカを描けるのは、逆に考えると「玩具(立体物)としての完全変形ロボット」 が出来たから、CGで描けるのだろう。『SDガンダム』はフルCGだったけれど、部品の継ぎ目は ユルユルでけっこう外れていたし、『元祖ガンダム』なら、そもそも デザインが「物理的に関節が曲がらない」 ような構造だったから、CGでは描けないはず。
     とにかく、巨大なロボットを足元から見上げるパースペクティブとか、新鮮な絵が多い。
     「神話時代の回想」で画質を落とすテクニックも、実際の手法は分からないが、 原画をトナーの切れ掛かったゼロックスでトレースしたような味があって、コンピュータ を使いながらアナログな味付けが上手い。
     スタッフロールを見ると、なんと「純国産」。アジア系外注スタジオを使っていない。
     これは今時珍しいことだけれど、手間のかかるメカをCGで書いているから省力化が進んでいるのだろうか。
     最近のアニメは明らかに「外注の品質のコントロールに失敗」していると思しき破綻したカットを見る ことが多い。これはコミニュケーションミスも大きいと思う。
     一方、一概に外国の絵が下手と決め付けることは出来ないが、人物を書くと日本人が書いたものとの テイストの違いが違和感になることもある。
     この先ストーリーがどう展開するかが、最終的な作品の評価の決め手だと思うけれど、 第一話から意欲は伝わってきたので楽しみにフォローしたい。
  • 「ガラスの仮面」
     TV東京のマンガ原作物枠でスタート。
     原作はいつ完結するのか全然想像がつかないが、そもそも原作第一話の頃はどんな ストーリーだったのか全然覚えていないので、有る意味新鮮だったりする。
     「ガラスの仮面」は名女優が頂点を競う話なので、「マンガ」であれば 読者の想像に任せることが出来る芝居のシーンが、「ドラマ」や「アニメ」では、 本当に演技しなければならない。これはリスクが高い。
     TVドラマ化された時は、心配したより全然良かった。これは主役の二人が 期待以上に良かったから。
     アニメは果たしてどうなるのか。
     さて、原作が何年にスタートしたのか記憶に無いが、マヤの生活する 横浜の風景は「MM21地区」が 完成しているが、大桟橋は古いままに見えるので、数年前の設定だろうか。
     中華街の描写も「実在の店の看板」が描かれていたりするので、ロケハンは やっているらしい。
     実に色々なアングルの横浜港、中華街、港の見える丘公園etc.の 景色が描かれているが、殆どのシーンで 「どこから見た景色か」がきちんと特定できる。
     ただし、速水さんの持っている劇場が池袋の「東京芸術劇場」というのは戴けない。 都立だもの。
     実在の劇場を使うなら「帝劇」、これしかないだろう。
     横浜の映画館として使われている建物はたぶん「神奈川県民ホール」だろう。 これも、ホールじゃなくて映画館にしたいところだな。
     せっかく、現実の風景を描いているのだから、もう少しリアルに踏み込んでもらいたい。

     絵に関してはまあまあだが、ドラマの月影先生がインパクト有ったので、 普通にアニメじゃ弱いかも(笑)
     背景はきっちり描いているくせに、時計の針の長針/短針の長さがほとんど同じだとか、 詰まらないところで下手糞なのは気になる。
     劇場に入るときに半券をちぎってないし…(^^;;

     第一話のマヤは「素人」なので、演技の云々はまだ早いだろう。
     気になったのは「時代の錯誤感」だ。
     マヤは父が居ないため中華ソバの住み込み店員として働く母親に育てられた。 そして店の女将さんや、同じ年頃の娘にひどく虐められ、お金も無い悲惨な 境遇で、TVや映画を見る時だけ夢の世界…という設定。
     だけど現代ではこういう境遇が考えにくい。
     主人に虐められながらソバ屋の手伝いするくらいなら、他に適当なバイト を探したほうが楽なんじゃないかと思うし、だいたいソバ屋の店員というのは 不幸な境遇と呼ばれるほど収入が少ない仕事なんだろうか…(^^;?
     マヤは、ソバ屋の娘と 「大晦日の12時までに99軒の出前を配ったら芝居のチケットをもらう」 という賭けをするが、賭けの結果(最終配達時間)を店長がわざわざお客の家に電話して確認する なんて変だろう? 夜中の12時過ぎに迷惑だって。
     しかも、その賭けに間に合わせるために、夕方の6時頃から年越しソバを 配って、早すぎて迷惑だし…。
     ちなみに、6時間で99軒の出前を完了するには、一軒3分38秒で回らなければ ならない。(しかも徒歩)
     岡持ちは一度に二個までしか持てないので、一回で二軒回れるとしても 平均7分16秒で一往復。これは物理的に不可能だろう。死ぬって(^^;
     この賭けの発端は「大晦日に雇ったバイトにドタキャンされた」から。
     この店ではさぞかしバイトの待遇も悪いと推測されるが、その時点で 賭けなんかしていないで、娘が店を手伝うべきだろう。 ソバ屋の娘の癖に何様のつもりなのか(^^;
     あとは、一軒平均4杯として、この規模の店で、一日400杯のスープが 作れるのかって問題もある。 (どうみても、通常は一日100杯以上売れていると思えない)
     まあ、そういう激しいリアリティーの欠如でイマイチ笑うしかない第一話 なのではあった(^^;;
     ラーメン店の経営については義母が詳しそうなので、こんど質問してみよう。

  • 「攻殻機動隊S.A.C.2nd GIG」
     番組表を見ると、激しく放送時間が変化する流浪の番組。
     こりゃ、「見逃したらDVDを買ってね」という戦略だなぁ。負けるものか!
  • 見るのを止めた番組もある。
     「鑑定団」は、昔はとんでもないまがい物を持ち込んでは「あ〜これは印刷ですね」 と言われて自爆したり、思いもよらぬものに思いもよらぬ値段がついてエキサイティング なことが多かったが、さすがに番組の歴史が重なってくると、「びっくり」が減ってきた。
     ひょっとすると、日本中のメボシイお宝の出演が一巡してしまったのではないだろうか?
     「歌の大辞10」は、ナツメロ番組として時々見ていたが昨年度一杯で終了。
     特番で「本人が昔のヒット曲を歌う」という番組は時々あるが、あれは往々にして 「夢が壊れる」ことがあって、あくまで「当時の映像」がメインのこの番組は、なかなか 良い企画だと思っていたので残念だ。しかも、「○年×月のトップ10」などという区切りで やるため、案外マイナー(中ヒット程度)の曲も登場するのが良かった。
2005.4.4
  • 今年から東京の電車でも「女性専用車両」が出来るらしい。
     関西より遅れたのは「通勤ラッシュが激しいから」という理由とか。確かに、 ただでさえ取りこぼしが出るほど混んでいる路線で女性専用車両だけ余裕綽々では 不公平感があるのも当然で、関西には「反対する会」も有るらしい。
     10両編成の1車両が女性専用になるということは、一割の女性が先頭車両に 移動しないとラッシュがひどくなる計算。はたしてそれだけの女性がわざわざ 先頭車両に乗るのかが問題だ。
    (根本的にはチカンが居なくなれば解決するはずだが…)
2005.4.3
  • 横浜プチ旅行
     横浜マリタイム・ミュージアムで「タイタニック生存者の手記展」(10日まで) をやっているというので、見に行く。例の「細野晴臣のおじいさん」の書いたものだ。
     天気予報では今日は雨…だというのにすっかり青空が見え、人出も多い。
     ミュージアム手前の「帆船日本丸」の写真撮影に時間をかけてしまった。
     (月末に「総帆展帆」が有るので下見のつもりである)
     日本丸の内部を見学するのは初めてだが、思った以上にゆったりとしており、 加えて士官室関係はきっちり豪華で見ごたえがあった。
     さすが、太平洋を横断する船だ。
     去年の夏休みに見学した「南極観測船」は徹底的に狭くて、「日本人は根性だ」 という気分がしたものだが、日本丸のキャビンは別次元である。
     「タイタニック生存者の手記展」は、映画『タイタニック』に連動した 引き上げ品展で見たものと基本的には同一で、細野さんの手記を中心に写真を添えて 解説したものであった。
     改めて読むと、明治の文豪が書いたかのような立派な文章に感心してしまう。
     マリタイムミュージアムの常設展示は、半分が船の模型で語る歴史。
     後の半分は、船の構造etc.の解説と横浜港の解説。
     まあそんなものかなぁと思うが、博物館としてはもちろん、「船の科学館」の 方が充実している。やはり「帆船日本丸」あってこその博物館という感じだ。
  • ぱしふぃっくびいなす in 横浜
     客船埠頭に日本のクルーズ船「ぱしふぃっくびいなす」が入港しているということなので、 シーバスで見に行くことにした。
     日本のクルーズ船としては、飛鳥などとほぼ同じ大きさだが、それでも 赤レンガ倉庫あたりの距離から全体を撮影しようとすると「広角レンズ」 が必要で、携帯カメラでは納まらないくらいの大きさだ。
     近くで良く見ると、白い船体に案外赤サビが浮いていたりして「お手入れ頑張れ」と思う。
     シーバスでぐるりと埠頭を回って、氷川丸の奥のシーバス乗り場に着いてから、 徒歩で客船ターミナルに向かう。
     妻は疲れて早く中華街に行きたい様子でもあるが、せっかくここまで来て寄らない 手も無いだろう。
     歩いている内に日が落ちていく。
     客船ターミナルのデッキ上にカメラマンが大勢居るのは何事かと思ったが、 大半は客船など眼中に無く、MM21地区の夜景撮影の陣取りらしい。
     写真クラブの団体さんも多いようだが、大勢で同じ場所から夜景を撮ると、 全員同じ写真になってしまうのではないだろうか。確かに絵になる夜景では あるけれど、「大桟橋から見たMM21」という写真は腐るほど有るわけで、 撮影会の題材には今更な感じかと…。
     せめて「停泊中の客船」を絡めた構図に挑戦しようと言う人を見かけないのが、 極めて不思議な現象だ。
     写真クラブの面々は、概ね高齢でフィルムカメラだが、夜景を撮るなら デジカメが失敗が無くて良いなぁ。
     で、私は船が主目的なので船を撮る。
     今日は撮影が目的出来たわけではないので「下見気分」で気楽撮るが、 それでも、ネタは無限大と言う感じ。
     大桟橋は建物がアートしているので、有る意味「キリが無い」感も有り(^^;
     18:00を過ぎると、観覧車に電飾が入り、いよいよ夜景撮影タイム。
     美しい夜景なのは確かなので、滅多に見ないような捻ったアングルを 思いついたら挑戦してみても良いかもしれない。
     夜景を見とどけたら中華街へ
     今日は妻が「中華粥が食べたい気分だ」というので「謝甜記(しゃてんき)」 に入る。
     私的には、初めて中華街に来たときから、その存在は知っていたけれど 一度も入った事の無い店なので楽しみ。
     「中華粥の専門店」ということで誤解していたが、普通の料理も 充実している。
     そこで、五目粥(海鮮)と豚肉粥、牛のモツ(ハチノス)の炒め物を頼んだ。
     生ビールはドライだがビンビールはモルツらしい。
     ハチノスはとろけるように柔らかくコクの有る味付けで本当に美味しかった。 これだけで他のメニューにも興味が湧き通いたくなる味と言ってよい。
     粥は長時間煮込むそうで、米粒が粉々になってもったりとした食感で、 コクと塩気の強いダシのために日本的な「おかゆ」のイメージとは程遠い。
     そもそもラーメンどんぶり一杯になみなみと盛られている迫力にドキッと してしまう(笑)
     味のベースをパクチーが支配しているため、ダメな人はダメかもしれない。
     五目(海鮮)は新鮮な具がプリっとして美味しい。豚肉は「ひき肉ダンゴ」 が入っているが、柔らかくてお粥の食感と同化してしまうのが面白い。
     どちらもボリューム満点だがお粥だから食べて一時間もするとこなれてしまう。 中華料理の中ではやたらとヘルシーなのは確かと感じた。
     そうは言ってもお粥は量が凄いので、二人なら料理を二品、お粥を一つで 頼んでも良いだろう。
     相席になったお客さんはコースを頼んでいた。
     一人2050円は激安で、スープとから揚げ、エビチリ、五目粥(お代わり自由)、 デザートetc.が出て単品料理の値段を考えるとお徳に見えるが、まあ 実際は「値段なり」だろう。お粥がお代わり自由というのはちょっと 凄いけれど、二杯目に行く人はあまり居ないのでは…(笑)
     全般的には昔から雑誌やガイドブックに必ず載る有名店なのに きちんと美味しいのは偉いなと思ってしまった。
       帰りがけに、中国菓子を買う。
     昔通った「山東」という店が移転したというので見に行くが、 きっちり行列。店の広さはほとんど変わっていないので何故移転したのか 謎である。
2005.4.2
  • 真間の枝垂桜見物
     東京の桜開花宣言から三日目、都心と郊外の時差もあって、今週末はまだまだ 花見など出来そうも無いが…やっている人はいるが…、枝垂桜は「ソメイヨシノ」 より開花が早い。
     ということを理解したのはここ数年のことなのだが、そういうわけで地元の 有名な枝垂桜の老木を見物に行く。
     予想通り「ソメイヨシノの一週間前に満開」という感じ。
     カメラを用意していくが、生憎の薄曇でなかなか「青空に桜」というイメージ 通りの画にはならない。が、人物の写真を撮るならば晴天より薄曇りくらいの方が 柔らかな絵になって良い。
     というわけで、妻の写真をいくつかと、天気とあまり関係なさそうな 「空の入らないアングル」の写真を撮る。
     最近「広角レンズ」によるポートレイトを研究している。
     一時期(といっても、20年くらい前か?)は「300mmF2.8レンズ」による背景を 綺麗にぼかしたポートレイトが大流行していたが、確かに美しいが背景ボケボケ なので変化に乏しい。
     やはり王道は100mm前後と思うが、基本が旅行の記念写真と考えると、背景も とても重要なので100mmでもまだ説明不足の感はある。
     人物で100mm前後が好まれる理由は「歪みが少ないから」。
     だが、最近広角レンズの歪みを利用する写真を開拓している。
     広角レンズは遠近感を誇張するので、普通に構えて人物に 接近すると頭が大きく写る。これは、子供の写真なら「三頭身キャラ」 的で可愛く見えるが、大人では単に「顔デカ」写真になるので好まれない。
     しかしこの変形を逆に使って、ウエストより低いカメラアングルで撮影すると、 「足が長くて顔が小さい写真」になる。
     これが「ファッションショーの写真」みたいでカッコ良く面白い。
  • 危うし、EF70-300mmIS レンズ
     他のレンズと比較して、このレンズの限界性能が低いことが露呈して困った。
     「偏光フィルター有り、フード無し、半逆光」という不利な条件満載ではあるけれど、 他のレンズ(EF-S17-85mmなど)と比較して極端にコントラストが低く、ファインダー をのぞいた瞬間に「もや〜」っとして見える。
     うす曇りで全天が満遍なく明るいので、どっちを向いてもコントラストが 低い。フードのせいかと手で太陽を遮っても「多少マシ」な程度にしかならない。
     今までは「遠景でもともとコントラストが低い被写体」とか 「天気が良くてもともとコントラストが高い被写体」を撮る事が多いので 気が付かなかっただけか。
     フィルムカメラでネガを使っていたときには、多少コントラストの甘い写真は 焼く時に補正されていた可能性もある。
     ともあれ、この望遠レンズで人物撮影が久しぶりだというのは確か。 (人物の望遠撮影で気合が入っている場合は、70-200mmF2.8Lを使うので)
     対策は「1.フードを買う」「2.偏光フィルターを買いなおす」「3.レンズを買い換える」
     1はともかく、2の偏光フィルターは、確かに長年の使用で透明感が低下してきたような気もするので。
     レンズの買い替えは避けたいところだ。そんなに頻繁に使うものではないだけに。
     ただ、70-300mmなんて長さではなく、50-200mmでF4とか、デジカメで使いやすそうな レンズが出たら良いなとは思うけれど。
     
  • 近所でプチ有名なお肉屋さんで、コロッケを買う
     花見の帰り、近所とはいえ通り道ではない商店街を通ったので、「この界隈で有名」 らしいお肉屋さんのコロッケを買って食す。
     しっとりした食感とソース無しでOKの味付けで美味。人気があるのも納得だ。
     何かで見かけて一年以上気になっていたお店なので満足だ(^^)
  • 江戸川の遊歩道散歩
     最近一年間で、堤防の上道がホコリだらけの砂利道から、舗装完備、桜並木植樹、 公園、トイレ整備etc.と進化している。時間があったので歩いてみた。
     堤防の上は風が強いため、「自家発電付きトイレ」の風車は豪快に回っている。
     換気扇や照明くらいは、悠々賄えているようだ。
     半年前に植樹された桜並木は怪しい。
     同じ江戸川の土手に近いうちのマンションの桜も、相当数が枯れているが、 これは土手の上だから「水が無くて土地が乾燥している」という理由と「強風」の二つの 理由だと思う。
     マンションの場合は、植樹後明らかに一回も水を与えていないため、枯れるがまま というひどい状態だったが、それから数年が経過して、生き残りがようやく根を張って 新芽が出てきた状態。
     その先例を知らぬわけは無いと思うが、新たに植樹された桜の半数以上が、今年の新芽が 出る気配が無い。(残りはすでに葉が出ている)
     強風に関しては、これからどうなることか。
     この辺りは川に沿って南風が強い事が多いのだが、先輩であるマンションの桜の 生き残りを観察すると、南に向かって出た新芽が弓なりに変形して北(風下)を 向いている木が多い。また、南側の枝が枯れてしまい、北の枝が生き残って、 木全体の形が北に向かって歪んでいる。まるで、防風林のよう。
     とにかく土手の上の風が強いのは地形的にどうしようもない。
     土手の下がほとんど無風でも、堤防に上がると強風のことは多いので、 桜のようにあまり強くない木を植えるには、風を遮る何らかの低い木と 併せて植えるなどの工夫をするか、1mほどの丈の低い若木から気長に 風に抵抗力の有る木に育てるかどちらかだと思う。
     今植えられているのは皆3m以上もあるので、風には弱いだろう。 台風シーズンを越えられるかどうか気がかりだ。
     それが気になるのはこの桜の一本一本に「オーナーの記念碑」が有ること。 やっぱり記念樹が枯れたら縁起が悪いよね。
  • 猫になつかれる
     江戸川河川敷(篠崎公園あたり)では、ハングライダーの練習をやっていて 面白そうなので写真を撮っていた。水上バイク、スキーもいくつも走っている。
     ファインダーをのぞいていると、どさっと足に当るものがあるので見ると、薄茶色のトラ猫。
     足の周りをぐるぐる回ったと思うと、靴の上に腰を下ろして寛いでいる。
     なかなか図々しい。写真をとっても平気だ。
     くっついていてもちらっと見ただけで目は合わさない。猫の感覚と言うのは不思議だ。
     しばらく寛いだあと2,3m先の草原に去ったので、しゃがんで彼を低い構図で 撮っていると、 ふらりと戻ってきて膝に上がってきた。目を閉じて寝ている。
     確かに暖かくて悪くないが、この馴れ馴れしい態度はどうだろう(苦笑)
     あまりに寛いでいるので、写真を撮るだけでなく、あちこち構って見たのだが、 まるで「我が家の猫」のようにノンビリしている。
     子供の頃、父母の実家にはそれぞれ猫が居たけれど、顔を見れば逃げて いくような奴らで「エサだけの付き合い」だったから、こんな過剰にフレンドリー な猫はちょっと不思議な気がする。
     たっぷり温まって膝から退けて(重い…)さよならすると、土手から遠くを見ている。 たぶん次の遊び相手を探しているのだろう。
  • 帰宅して猫の話を妻にすると、妻も「マンションの猫」と遊んできたそうな。
     うちのマンションの庭を縄張りとする猫が一匹居て、彼は毎日マンションの 住民の子供たちと遊んでいる。(うちのマンションには「猫を虐める子供」が居ない らしい。)
     私が川原であった猫も、(飼い猫かどうかは分からないけれど)きっと日々 可愛がられているのだろうな。
     ところで、近所の猫がみんなフレンドリーかと言うとそうでもなく、 駅の周囲の猫は、ちらっと人の目を見るとダッシュで逃げていくような 可愛くない連中ばかりである。
     恐らく、駅周辺の住宅街に住む猫は、ゴミ箱を漁っては追い掛け回される ような生活をしていて、河川敷周辺の猫は、運がよければ遊びに来た親子連れ からおやつを貰うような生活なのだろう。
2005.4.1

[Home] [先月|目次|翌月]

文:唐澤 清彦 映画館がやってきた!