『13ウォーリアーズ』鑑賞 ×〜☆
1999年/米国作品
マイケル・クライトンの「北人伝説」原作。
今から千年ちょっと前の時代、黒海沿岸地域に進出しているヴァイキングの元に
北の同胞から「伝説の魔物に襲われ国が滅びようとしている」という知らせが
届く。
同胞の危機に立ち上がったのは占いで吉とされた13人。しかし13人目は北人
以外の人間でなければならぬと占われ、たまたま居合わせたアラブ人の詩人
(A.バンデラス)が同行することになる。
たどり着いた北の国は、魔物の攻撃によりまさに滅びに瀕していたが、助っ人
たちの活躍で魔物もまた、特異な風習を持ってはいるが人間には違いないことが
分かる。
村人との反目、村の女とのロマンスetc...味方も仲間を失いつつも
村の守りを固め、雨中、数百もの敵の騎馬兵を撃退する
ことに成功する。
しかしそれでもなお敵は圧倒的に多く、敵のねぐらを襲い神と崇められる
「母」と「熊頭の戦士」の二人を倒すことになる。
潜入作戦で「母」を倒し、最後の戦いでついに「熊頭の戦士」を倒し、
平和を取り戻した北の国を後にバンデラスは国に帰って物語を書き綴る。
という話だ。
とにかく、130億円の制作費をつぎ込み壮大なスケールで描こうとしたよう
だが、102分の本編のうち冒頭の15分くらいはな〜んにも起こらなくて、絵は
暗くて見にくいし「もうだめ!」と思いつつも「それでも何かあるかも」と
辛抱しつつの鑑賞。
はっきり言って、この映画を見れば誰でも『七人の侍』と対比する
だろうが、黒澤が個性あふれる「七人の侍」が集まるまでの話を丹念に面白く
描いているのに対して、本作はとにかく北の国にたどり着くまでは延々
説明カットの連続で、なんにも面白いこと無い。
それで、こちらは倍の13人もの戦士がいるわけだから、肝心の戦いが
始まってからも、そのたびに仲間が2人、4人と失われても悲しくもない。
だって13人のうち影の薄い雑魚キャラから順に居なくなるだけだから、
感情移入が生じる用意がないわけで、命は紙切れのように薄っぺら。
「ヴァイキング…広くはケルト民族は、再生を信じており死ぬことを恐れない」
という文化的背景は確かにある。だからスクリーンの上で涙が流れる
必要はない。しかし観客にも感動がないというのは、これは人物が描けていない
からに他ならない。
この感覚は話が先に進んでも変わらず、助っ人のリーダー「ブルヴァイ」が
最後に力つきるシーンでもほとんど喪失の痛みが無いんだな。
このことは、視点がバンデラスで作られていることも大きいだろうが、
彼はあくまでも
この物語に巻き込まれた人間で、同じように剣を持っても「立っている位置」
が違うから最後まで12+1人なんだね。だから、痛くない。
『七人の侍』なら、見る人はきっとあの侍達の誰かと同化して戦を体験し、
最後に「また生き残ったな…」と自分の感覚として呟くことが
出来る。けれど、この話ではあくまで「奇譚に遭遇したアラブの詩人」の感覚
止まりで、最初から死ぬ覚悟なんか無いし。
「主演俳優が物語の中心に居ない」というこの作り、絶対に失敗している。
監督は『ダイハード』のジョン・マクティアナン。
近作の『トーマス・クラウン・アフェア』が結構良かったことを考えれば、
こんなに外す理由は、長〜い原作を100分ちょいに切り刻んだことと、
バンデラスの使いどころを誤ったことが二大要因だろう、きっと。
私は「バンデラス」だからこの作品を見たわけだけど、全然主役の位置じゃ
ないし、見せ場が無いんだもの。憤っちゃうよ。
130億円の使い道は、広大な北欧の風景のロケ地と建物、そこにつぎ込んだ
人件費に消えたらしい。
これもなんだか間違っている気がする。
確かに近年「本物のスケール感」が賞賛された作品は幾つもあった
けれど、引きの絵を取るだけなら、デジタルマットでも何でも金の掛から
ないやり方はいくらでもあるわけで、今時「360度本物の景色」に価値がある
わけじゃない。
セットだってなにも全部本物の巨大木造建築を作る必要なんかさらさら無く
て金の使いどころを間違っているとしか言い様がない。
自分で飛行機を飛ばしてロケ地探しに二年もかけるんなら、その時間で
きちんとキャラの立つシナリオを作って、せめて名前を呼ばれる奴らには
どの一人にも、ぐっと来る死に様を用意してやるのが、作家の
仕事ってもんじゃないかと思うね、私は。
音楽はジェリー・ゴールドスミス。
大作家だけれど、冒頭のアラブの音楽は「あれ、『ハムナプトラ』?」と
思ってびっくり。名前を確認して「なんだ同一人物か」と納得したけれど、
ちょっと手抜きでは? 北欧のシーンでもまぁ、普通ってことで終わってし
まったし。
この人、米国の国威発揚サウンドにはめざましいモノがあると思うけれど、
この仕事は彼のカラーに合っていなかったのかも。
音響効果面ではまずまずの仕事をしているのではないか?
最近は「ドルビーサラウンドと大差のない5.1ch」というアクション物は
ほぼ絶滅して、外れを掴むことが少なくなったと思う。
そういうわけで、バンデラスが出ていなければ限りなく「見て損した」に
近い作品だったけれど、もしかしたら「バンデラスを中途半端な役に据えた
から失敗したのか」と思うと複雑な心境になる一本だった。
何度も繰り返し見れば、各キャラクターに対する愛着が沸いて少しは
楽しめるのか…?でも、そんなに何度も見たいか?それが問題だ。