サントリーホールで、日フィルの
「20世紀の作曲家たち」第V期【Part 17】5月12日(金)
《日本のシンフォニック・ウェーヴ I》
- 黛 敏郎:BUGAKU【舞楽】(1962)
- 芥川也寸志:弦楽のための三楽章〔トリプティーク〕(1953)
- 三木 稔:レクィエム[オーケストラ付混声版・初演](1963/76)
指揮/小林研一郎
バリトン独唱/青戸 知
合唱/武蔵野合唱団
を聴く。
来年3月までの会員券を求めての第一回目。
この回の一番の目当ては芥川也寸志のトリプティークの実演を聴くことだったが、
全体的にイメージよりも数段叙情的な厚い演奏だった。これもまた新鮮。ただ、楽章ごとの
「メカニカルな鮮烈さ」と「叙情」のコントラストはこういう演奏では弱まって
しまうかも知れない。
BUGAKUはこんな物か。
三木稔のレクィエムは、三木稔じたい好きなわけではないので評価は辛くなるかも
知れないが、合唱がしばしば混沌と言葉が聞き取れなくなるのは不満だった。
バスはまだ良いのだが全体が歌うと何を言っているのか不明で、極めて単調な響き
の連続。現代音楽の試行錯誤の時代の作品であることを割り引いても
「日本人の現代音楽」としての個性もなければ、西洋の流行(当時)が生きている感じも
しないので、曲は「長い長い語りを聴かされている気分」に終わってしまった。
会員券を買うのが直前だったので、良い席は取れなかったが、
会場全体に「小林研一郎ファンクラブ」の雰囲気があり、異常におばさん度が高い。
二階中央ブロック最後列の私の席の周囲では、前にずらりと「仲良し4人組」が陣取り
全員双眼鏡持参。休憩時間といわず、"演奏中"といわず、とにかく喋りまくる。
左横方向のおばさんは、ペンライトを取りだしパンフレットを読む。ライトを取り出す
ときにキーホルダーの音をがちゃがちゃさせる。とにかく「お茶の間TV」状態。
「この人達はなんだ」と思っていたら、正体は合唱曲の時に判明。
武蔵野合唱団のお友達グループで、並び終わった団員に向けて手を振り
「気がつかないわね〜、せーので手を振ってみましょうか」と言ったかと思ったら
4人が一斉に両手を上げてゆらゆらと…、私はまるで「バーレーボールの試合で
東洋の魔女にブロックされたロシアのアタッカー」のごとく憂鬱な気分に落ちたの
だった。
「きゃっ気が付いてくれたわ!」といって、舞台で手を振っている合唱団員も
アマチュアだからといって、素人気分丸出しで不愉快。
演奏後、指揮者が出てきて
「日フィルにとって現代音楽の演奏会を企画するリスクは大きい。皆さんの暖かい
支援をお願いしたい」
という内容のスピーチをしていたが、察するに、これらのおばさん方はチケットが
売れないが為に合唱団のコネを利用して安価にばらまかれた、現代音楽などには全く
興味のない、ただのお友達、あるいは指揮者のファンクラブの例会に過ぎないのでは
無いか。
コバケン氏のスピーチの美声を聴いていると、それで氏のファンになるママサン
コーラス関係者が多いのは想像が付いた。
しかし、オーケストラ経営の苦しさには理解を示すとしても、「ばらまきチケット」
の客にまともな「現代音楽リスナー」の集中力を台無しにされるような集客をして
いるのでは本末転倒ではないか。出演料が高いから(?)といって、素人気分丸出しの
合唱団を使うことが、お金を払って聴きに来る客に失礼ではないのか、もう一度
考えて欲しい。
「日フィルの現代物は客層が悪い。次回は止めておこうか。」私はそう思って
しまったが、4回分のチケットを買ってしまった後ではいかんともしがたく、
不安を我慢するだけである。
次回、次次回とコーラス無しであり、最終回の栗友会が「セミプロ」クラス
なのがせめてもの希望の種だ。