しい世代に入った
メシアニック・ムーブメントと今後の展望


日本メシアニック親交会 会長
東京中央メシアニック集会/仙台キリスト栄光教会 

牧師

横山 隆

シアニック・ジュダイズムが日本に紹介され、一つの世代が終わり、新しい世代を迎えようとしている。

『メシアニック・ジュダイズム』という呼称は、いかにもユダヤ教的な印象を与えかねないので、ここではあえてメシアニック・コミニュティ・ムーブメント、又はトーラー・コミニュティ・ムーブメントという言葉を使用したい。

トーラー・コミニュティ・ムーブメントが日本に紹介されてから一〇年以上になる。そのきっかけとなったのは、米国在住の内山憲二師が、メシアニック・タイムズ誌に掲載されていた全世界のLove Israel Churchesのリストの中から、私の教会の名前を見出しコンタクトを取ってくださったことが、現在の日本におけるムーブメントの始まりであった。内山師は、日本におけるトーラー・コミニュティ・ムーブメントの先駆けとして、価値ある功労者であったことを感謝している。

日本に紹介されたメシアニック・ムーブメントは、あっという間に一〇年以上の月日が過ぎ去った。無我夢中で走ってきたが、私もようやく最高の安息の地を見出すことが出来た。

かつて、東名浜松の三ケ日インターから近い浜名福音荘で、初めて仮庵祭を内山師の指導のもとで体験した時の、あの感動を今も忘れることは出来ない。今でも、あの仮庵祭の熱い思い出を風間師と語り合うときがある。私は、例祭の中にトーラー・コミニュティ・ムーブメントの真髄が網羅されていると思っているが、決して安息日や例祭を一般の教会に強要、あるいは遵守事項として奨励しなければならいとは考えていない。なぜならば、これらのことはすべてイエス・キリストを指さしているからに他ならないし、指標と目標を混同してはならないと考えるからである。

トーラー・コミニュティ・ムーブメントにとっての例祭(レビ記二三章)とは、主イエス・キリスト御自身を深く知るための最高の導き手、すなわち守り役である。しかしながらこの守り役は、従来、キリスト教会によって説かれることのなかったイエスによって実現した贖いの恵みのシーズンを一年中通して体験できることの素晴らしさを、余すところなく充分に表現しており、主イエス・キリストの贖いの全貌を映している。

今ここに、メシアニック・ムーブメントすなわちトーラー・コミニュティ・ムーブメントの日本における目的論というものを少し考え、今後のムーブメントを展望しつつ締めくくりたいと思う。



●  目的論  ● 

一、神の選民、イスラエル全家の救いのための祷告(嘆願の祈り)とイスラエル民族への宣教活動を最重要課題とする。


イスラエル人の為の祷告と宣教は、車の両輪であり、異邦人キリスト者は第一に祈り、実践すべきであるとパウロは主張している。私は、救いを受けた直後、神の御言葉が下り、北の地にいるイスラエルの人々に福音を宣教するように、との主の御命令受けている。

そのことを理解するまで相当な年月を要したが、近い将来、北海道から二〜三時間で到着可能な地に、JMF(日本メシアニック親交会)はユダヤ人が数千人単位で現存する極東ロシアのユダヤ人宣教にターゲットを絞って例祭のシーズンに、イスラエル・ミュージック宣教フェスティバルを計画中で、今その準備を進めており、メシアニック・ジューの名ヴァイオリニストとして世界的に用いられているモーリス・スカラー師の協力も取り付けた。日本のすぐ近くに、数十万人の離散ユダヤ人のコミュニティが隠されていたことは驚くべきことであり、意味のあることではないだろうか?

さて、クリスチャンがユダヤ人を『執り成す』という語句の使用について、私は個人的に疑問を持っている。執り成しの語源は、本来祭司が罪ある人々を神の前に犠牲を捧げて罪の赦しを仲介する意味を持っており、霊的に上にあるものが下にあるものを執り成すのである。これはかつて、契約の外にいた異邦人がキリストを信じ、あわれみによって新契約の中に入ったからといって、本来契約の主流の中にいたが一時的に躓いている選民イスラエルに対して、許容されている言葉とは考えられない。根底に横たわっているのは、置換神学をベースとするキリスト者の『高ぶり』かもしれない。我々にとって、神が喜ばれるイスラエルのための祈りは『哀願』であり、『嘆願』なのだ。

二、日本のリバイバルも最重要課題である。自国を愛し、神の祝福を願い求めることは、神より賜った良い資質である。

日本のリバイバルを目標として祈る。トーラー・コミニュティ・ムーブメントは、キリスト者を愛する祖国の日本人キリスト者としての自覚に、新たに目覚めさせる。そして、日本人としてのアイデンティティーを確立する。すなわち、日の本の民としてトーラーから学びつつ、諸民族の中で群を抜く美意識に開眼するであろう。そして、日本民族としての文化、伝統、また言語の中にも、主イエス・キリストの先在性(preexistence)を発見するための旅に出るのである。
私達は、自国の中にバインドされ、混乱させられてしまった独自の文化、伝統、言語をサタンの手中から奪還しなければならない。その時こそ、麗しき様なる王イェシュアが、日の本において栄光のうちにリバイバルを開始される時となるかもしれない。ああ、その日のなんと待ち遠しいことか。

三、私たちの働きにより、メシアの再臨が速やかになるため、聖書全巻の最後には再臨待望の祈りをもって締めくくられている。再臨待望は、トーラーの中心事項である。

メシアの再臨は、ユダヤ人にとっては待ちに待った慰めの時となる筈であった。しかし、再臨されたメシアを仰ぎ見るユダヤ人たちには、大きな驚愕と激震が走る。彼らが仰ぎ見たお方こそ、ナザレのイエスであることが判明したからである。これこそ聖書六六巻の結論である。

花嫁としてのイスラエルが、唯一の花婿に再会する雅歌の麗しきフィナーレを迎え、トーラーの最終的結論としての結婚契約が完結する。異邦人キリスト教会にとっても、ユダヤ人と同様に、主イエスの再臨こそは、平和と慰めの時代の到来となり、喜びの極限となる。トーラー・ムーブメントは、主の再臨が早められるよう切迫する祈り、「アーメン、主イエスよ、来てください」と、間断なき祈りを実現する。これはトーラーを学ぶ者にとって、至上の叫びであろう。ゆえにトーラー・コミニュティの最前線には、常にメシアの再臨があるのだ。

「荒れ野から上って来るおとめは誰か。煙の柱が近づいて来るかのよう。」
(雅歌三・六抜粋)

四、トーラーによる全地の回復。生けるトーラーによる統治が、来るべき時代にある。

トーラーの全地球的規模における回復は、トーラー・コミニュティ・ムーブメントの最終段階の姿であり、これはティシュバ(Tishuva)、すなわち悔い改めを伴う聖霊の油注ぎによって回復されるべきものである。

エルサレムの神殿から流れ出る神の御言葉が、大河の流れのように豊かに地の表を潤し、諸国民はトーラー(神の御言葉)によって生命を回復し、生けるトーラーであられるイェシュアは、ヨベルが受肉されたお方である。このお方による縄目からの解放の時と全地の回復の時は間近い。トーラー・コミニュティにとって、最大の願いとなる目標は、エデンの回復である。

この回復は、被造物全体の回復となり、森羅万象は栄光の姿に変貌する。その時には、そよ風を伴い歩いてこられる神の足音を人々は知るようになる。その日が速やかに到来するために前進することを至上の目的とする。

「川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常に多くなる。この水が流れる所では、水がきれいになるからである。この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。」
(エゼ四七・九)

五、全地を支配するバビロンの霊系との全面対決に勝利すること。これは聖霊の御働き以外に勝利はあり得ない。


バビロンの霊系との間断なき戦いに勝利する。世界の闇の部分には、創世記から黙示録に至まで、古代バビロンの盟主ニムロデの霊系、闇の帝王サタンの霊系が脈々と続いている。これらの闇の軍団に対して、トーラー・コミニュティ・ムーブメントは、果敢なる戦闘を開始する。

そして、これらの邪悪な悪の巣窟の実態を暴きだし、聖霊によるトーラーの光を照らし、万軍の主なる神、御子イェシュアの御名によって勝利を宣言する。これは、強力な聖霊の働きによってのみ成就することが可能である。ゆえにトーラー・コミニュティ・ムーブメントは、圧倒的な聖霊の流れの中において、本来の目的を達成することができるであろう。ゆえに、トーラー・コミニュティ・ムーブメントはイェシュアを総司令官としていただく戦斗旅団でもあるのだ。

これら五項目は、今後の日本におけるトーラー・コミニュティ・ムーブメントの前進に拍車をかけることになるかもしれない。福音のダイナミズムとは、終りの時、神の御言葉を剣として縦横に振られる万軍の将軍としての主イエスが、光り輝く御姿で顕現される事によってクライマックスに達するのである。トーラー・コミニュティ・ムーブメントを、従来のキリスト教を超越した新宗教と考えるべきではない。

これはキリスト教の原点回帰運動の一環なのである。ゆえに、急激かつ熱狂的、ラビ的ユダヤ教への傾斜を強力に指向する動きに対してはポンピング・ブレーキをかけなければならない。しかしユダヤ教を、キリストを十字架に付けた敵と見なし、反感を持って蔑視することを根底に培ってきたことは、歴史的に明白な伝統的キリスト教会の特徴であり、その神学の中に連綿と流れ続け、霊的しこりとなってウイルスのように今も信徒の中に残留していることは、残念なことと言わねばならない。反ユダヤ教は、ホロコーストの論理的基盤となった反ユダヤ主義と密接に結びついて現在に至っている。



最後に、日本におけるメシアニック・ムーブメントの今後の展望をしてみたい。

第一に、日本における聖霊の働きは、今後日本の際立った霊的美しさを聖書の中から取り戻すであろう。イスラエルの聖書(タナッフ)は、美しさに対しては否定的な表現を用いてはいない。預言者エレミヤは来るべきメシアを麗しき様なる王と呼び、詩篇の記者は、シオンを美しきのきわみと表現した。

日本の伝統と言語の中には、神の創造による美しさが内住している。この事実は今後非常に重要な意味を持ってくるであろう。過去、欧米宣教師たちは、日本の文化と伝統が偶像崇拝由来のものとして、グロテスクなサタン来の汚染された悪として評価してきたきらいがある。これは一面の真理ではあったかもしれないが、サタン的陰謀の影が見える。

今後日本におけるト―ラー・ムーブメントは、サタンにがんじがらめに縛りつけられてきた、神にかたどって創造されている、由緒ある日本古来の美しさを引き出す役目を果たさなければならない。それは、太古の昔から眠っていた日本を呼び覚ますことになるであろう。これは聖戦であるが、大河の流れのように誰にも止めることは出来ないであろう。サタンはその時恐怖の叫びをあげ、己が身の時が、いくばくもないことを知るであろう。

「北風よ、目覚めよ。南風よ、吹け。」
(雅歌四・一六)

日本よ、長い間の眠りから、今目覚めてほしい。

次に、今後の展望として、日本におけるトーラー・コミニュティ・ムーブメントは、ユダヤ人の指導を受けつつ学びつつも、日本人のリーダーが主体となってこれを推進していくことになるだろう。

私たちには、エレツ・ジャパンの重要な回復戦があるからである。今後多くのメシアニック・ジューたちが来日するであろうが、それらの中で日本におけるトーラー・コミニュティ・ムーブメントを完璧に指導できる器が現れることはないかもしれないが、彼らは日本のビリーバーに対して、独自の目から見える、私たちの知らなかった重要な提言を与えてくれるだろう。

過度なユダヤ人に対する期待感と肉のユダヤ性を賞賛する風潮は慎みつつも、ユダヤ人のビリーバーの教えに耳を傾けるべきである。もしも自己の霊肉のユダヤ性を誇るような、あるいは日本の教会に対して物質的な援助をのみ求めるような、または、日本のキリスト者はアンティノミアン(トーラー無用論者)たるべきと説くメシアニック・ジューが来日した折には、私たちには、ユダヤ人に対してもトーラーの光を輝かせる責任を持っているので、遠慮なくはっきりと神の御言葉を用い、質問し、苦言を呈すべきである。神の御言葉はエルサレムから、トーラーはシオンから全地に流れる生命の流れ、イエス・キリスト御自身であるからに他ならない。

私たちは今後、ユダヤ人ビリーバーたちと親密な協力関係を保ちながら、できる限りの霊的、物質的な援助をすることが幸いである。イスラエル全家の救いは、全異邦人の祝福と密接にリンクしていることを決して忘れてはいけない。

全世界はますます混沌として、闇の陰が深く、長く落とされていくその中で、神の御言葉(トーラー)により頼み、右にも左にも曲がることなく、歩むべき道の光、闇夜のともし火として前方を照らしていただき、この御方をしっかりと見つめながら、歩ませていただきたいものである。

「わたしは歩哨の部署につき 砦の上に立って見張り 神がわたしに何を語り わたしの訴えに何と答えられるかを見よう。」
(ハバクク二・一)■


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