<緊急提言〉
忘れてはならない!かつて日本が強力に支援した「イスラエル建国」と、今、ヨーロッパに燃え上がる「エルサレムの平和」を祈るリバイバルの炎
横山 隆

サン・レモ市(イタリア) 2010年4月26日 

第二回サン・レモ会議がヨーロッパ各国から、1920年にサン・レモ会議が実際に開催されたデバカン別荘において、イスラエル国会議員ダニー・ダノン副議長を招き、90年前に締結された条約が、イスラエル建国の重要な布石となった歴史的事実を記念し、メディアを含む世界の大部分で忘れ去られてしまったこの会議の重要性を訴えました。

この数年来ヨーロッパ諸国に、1920年に締結されたサン・レモ条約(バルフォア宣言を含む)を再評価し、イスラエル建国ならびに共存権と主権を擁護しようとする、著名なキリスト者の国際法学者たちが全世界から立ち上がり、ジャクエツ・ガウティアー氏やハワード・グリーフ氏たちが近代イスラエル国家の法的存立基盤をバルフォア宣言を含むサン・レモ会議における重要性を再確認する運動を始めました。1920年、主要な条約署名連合大国(英国、フランス、イタリア、日本)とオブザーバーのアメリカ合衆国の最高評議会の同意によって、満場一致の国際連盟の承認の下に現在の中東全域が線引きされました。この決定は国際法によって保障され、法的拘束力を持ち、今日に至るまで取り消すことのできない、イスラエル存立の基盤となっており、21世紀に至る今も有効なままです。

この時1920年バルフォア宣言を含むサン・レモ会議を指導し、イスラエル建国に貢献した英国首相ディビット・ロイド・ジョージ卿の子孫の英国下院議員ロバート・ロイド・ジョージ氏が招かれ祝辞を述べました。(2010年4月26日)

第二回サン・レモ会議(2010年)を主導したE.C.I(ヨーロッパのイスラエルのための連合)代表、同会議の主催者であるトマス・サンデル氏は、「イスラエルの敵対勢力によって、イスラエルの存在が脅かされている今こそ、この歴史的サン・レモ条約を国際法の立場からイスラエルの土地に関するユダヤ人の主権を世界は認め、擁護すべきである」と語りました。カナダのトロントから来たサルモン・ベンジムラ氏は「パレスチナの土地は、歴史上最も長期にわたり、1900年間植民地化され、そこからの解放(出エジプト)を喜ぶべきことであり、そしてさらにこのエリアは、ローマ、ビザンチン、ササン朝ペルシャ、アラブ民族、十字軍、マムルーク朝、オスマントルコ、などの国々の長期にわたる統治下になっており、これらの領有から解放された後においても、さらに30年以上の年月が費やされて、やっと自由が獲得されたのです」と述べました。

サン・レモ会議の27年後、1947年イスラエルは、おおよそ1900年の流浪の末、独立を宣言し、1948年、イスラエル共和国は再建された。1900年間、国を失った亡国の民が国を再興した事実こそは、20世紀最大の奇跡でありました。この事実は神とイスラエルのシナイ契約が、モーセの時代から現代に至るまで、連綿として有効であり続けた生ける証拠となっていると考えられます。イスラエル建国には様々なエピソードや当時の大国同士の思案が入り乱れており、「火の中から取り出された燃えさし」のように、イスラエルは再生の声を上げました。さすらい続けたユダヤの人たちによる「死からの生命」の産声だったのです。この1948年のイスラエル復活にさかのぼる1920年、日本政府の政策が強力にイスラエル独立を後押ししていた事実を人々はあまり知りません。それは第二次世界大戦後、敗戦の後遺症として、人々の記憶の中からかき消されてしまっており、もうひとつの理由は、マスコミとメディアによる故意の抹消であったかもしれない。第一次世界大戦が勃発し、当時パレスチナ、中東全域は、オスマントルコの統治下にあり、ユダヤ人もアラブ人も共にオスマン帝国のトルコがもし敗れると、自分たちの国が建国されるという夢を追い続けていました。そして、シオニズム運動によって多くのユダヤ人たちが、パレスチナの地に集合しておりました。

1917年、バルフォア宣言が発せられた。この時イギリスの政局は流動的であり、アスキス派(自由党の大部分)とロイド・ジョージ派(保守党と自由党の一部)が対立しており、バルフォア宣言はロイド・ジョージ首相によって進言され、バルフォア氏はその時の保守党英国外務大臣でありました。イギリス議会のアスキス派は、ユダヤ人国家に対して、「サイクス・ピコ協定」を理由に反対の意を表明しており、これはイギリスがイスラエル独立の時に、激しくアラブ側に傾き、英国の有名な二枚舌外交となった所以でもあったのです。

バルフォア宣言文

英国において、ハイム・ワイツマンは大きな仕事をした。これがバルフォア宣言であり、1917年11月2日、外務大臣バルフォア卿の名において、ロスチャイルド卿宛に「パレスチナにユダヤ民族の郷土を設立する」ことに賛成するという書簡を得、「英国政府はその目的を達成するために最善の努力を払う」という内容であり、これによって紀元70年、ユダヤが滅亡して約1900年後、初めてイスラエル国家再建の夢の実現が全世界に公式に伝達されました。1919年、日本は第一次世界大戦後、列強の仲間入りをし、日英同盟のもとに連合国側につき、わが国の歴史上最初の大国際会議であったパリ講和会議に参加した。後にイスラエル初代大統領となるワイツマンは、日本の駐英大使、珍田捨巳に、「日本政府がバルフォア宣言を保障する」よう求め、その時珍田大使は、「日本政府は、パレルチナのユダヤ人のための国家が建設されようとするシオニストの強い願望を喜んで受け入れ、提案された要求が実現されることを期待し、楽しみにしている」と回答しました。(1919年1月6日)

珍田大使は津軽藩士出身の外交官で、極めて信望厚く優れた業績を残しております。1920年4月、イタリア、サン・レモ市で開かれたサン・レモ会議には、英仏伊日の当時の四大国が参加し、アラビア半島を除く、旧トルコ領のアラブ地域を英国とフランスの委任統治領とし、パレスチナを「バルフォア宣言」に基づくユダヤ人国家の実現を果たすため、英国の委任統治領とした。日本はパリ講和会議の翌年開催されたサン・レモ会議に松井大使が出席し、イスラエルの再建国を強力に推し進めました。

サン・レモ会議1920年4月25日にイタリア サン・レモ市

1920年4月19〜26日サン・レモ=イタリアにおいて開催され、4大国、英仏伊日の代表が出席。

1.主催国 大英帝国 ロイド・ジョージ首相によって開催された
2.フランス アレクサンダー・ミレランド氏
3.イタリア フランシスコ・ニッチ氏
4.日本 松井大使

その会議において、中東の各国の線引き(境界線)がなされ、トルコが拒絶したものの、イスラエル国家誕生のための重要な下地が作成されました。

サン・レモ会議の宣言とは

英国外務大臣、バルフォアによって宣言された、「ユダヤ人にとっての政治的地位をパレスチナにおいて設立され、実現することを望み、ユダヤ人の宗教的権利を侵害することなしにユダヤ人国家を設立することを望む」、という画期的な約定が批准された。そして、このサン・レモ会議の法的権威は今も有効であるとされております。

このようにしてヨーロッパの連合各国、イギリス、イタリア、フランスとそれに加えてアジア唯一の大国、日本がこの約定に四ヶ国の列強、すなわち大国として、この条約に署名したということは、イスラエル建国に重要な関わりを持っていたことになります。

1920年のサン・レモ会議の流れとして、92年になろうとする現在においても、イスラエルの生存権と土地の不可侵性を標榜するヨーロッパ各国の中に流れるサン・レモ条約を守ろうとする一連のクリスチャン集団があり、サン・レモ会議より90年後の2010年、イタリアのサン・レモ市で第二回サン・レモ会議が開かれ、記念式典が持たれ、クリスチャンたちの熱いエールが送られた。国際法としてのイスラエル、並びエルサレムをめぐるサン・レモ会議の重要性は計り知れず、多くのクリスチャンたちのイスラエルに対する熱い思いは、このようにして神の民イスラエルを励まし続けています。

この「サン・レモ会議」における決定された法的権威は今日まで取り消すことのできない拘束力があり、有効なままになっています。

イスラエルの土地は、当然の権利として国際法の下にあり、侵略者としてのイスラエルのイメージは、アラブ諸国によるプロパガンダであり、正しい法的な説得力を持っておりません。フランスの委任の下にあったレバノンとシリア、英国の委任地にあったイラク、トランスヨルダンもこれらの条約の中で形作られました。パレスチナ人は従来、国を形成したことはなく同族であるトランスヨルダンやアラブ人の中から追放され、はみ出した民族であり、正当な国際法の権威の下になく、イスラエルの国土をこのために分割しなければならないという法的根拠は皆無であり、アラブ対イスラエルという聖書の時代にさかのぼる従来の敵対関係から再燃した問題にすぎないのです。

再臨の主「イエス・キリスト」が、メシアとしてエルサレムに帰還されるという聖書の預言は空論ではなく、現実に近未来に起こる当然の出来事であり、クリスチャンに対して与えられている主の御命令とは、このためにあらゆる備えをせよということであります。エルサレムをめぐる攻防戦は、歴史的にダビデ王朝のときより数千年間続き、エルサレムにおいては数百万人のユダヤ人の血が流され、その重要性は計り知れず、イスラエルがもしエルサレムを分割して、これをパレスチナ人に与えればエルサレムの「神殿の丘」を含む東エルサレムはイスラムの都となり、異教に埋没してしまい、のみならず国家としてのイスラエルもユダヤ人も、聖なる都を軽視、あるいは放棄したという理由で、神の怒りに触れることになりかねないと考えられるのです。主の花嫁である教会は、花婿なる主の再臨を目前としており、この問題に対して、イスラエルを励ます務めと、イスラエルの側につく味方とならなければならず、努々決してイスラエルと敵対関係になってはいけないのです。主が再臨される時は、エルサレムにはユダヤ人たちがメシアを歓喜の叫びを上げて「ほむべき主」を再びお迎えすると福音書は預言しており、クリスチャンはエルサレムが異教に飲み込まれないように祈り求める義務を有しており、「エルサレムの平和のために、祈りの手」を上げ続けなければなりません。その意味において、サン・レモ会議という国際会議にアジアで唯一日本の代表がイスラエル建国を強力に後押しするであろう条令に署名したということの意味は、計り知ることができません。これは主の再臨のリバイバルに重要な関わりを持っていると考えられます。現在国際的に世論として形作られている。イスラエルの土地は、イスラエルによる「不法占拠」、あるいは1967年東エルサレムを占領したことも、ヨルダンの所有を犯す「不法な領有」とする考え方も、実は空論に過ぎず、国際法を無視したアラブ側に人々が同情したヒューマニズム的論法こそが、危険な考えであります。しかも聖書に記載されたイスラエルと神の契約を無視した虚構の論理にしか過ぎません。

全世界とヨーロッパにあるイスラエルの法的立場を擁護するクリスチャンたちのグループは、E.C.I、U.C.Iと多くの国会議員や法律学者、霊的指導者たちによって働きがなされ、終わりのリバイバルの先導役を務め、イスラエルのための祈りの手が上げられております。

2010年以来、「アラブの春」が訪れ、多くのアラブ陣営の独裁者たちが追放され、イスラエルをめぐる中東情勢は険悪の度を増しつつあり、最悪に向かって赤信号が点滅しております。昨年、オバマ大統領によって提案された、イスラエルの六日戦争(1967年)ラインまでの撤退要求案は、主が十字架に架かられた神殿の丘を異教に売り飛ばそうとする暗闇が動き始めた「しるし」でもあります。主イエスをキリストと信じる者たちにとって、「エルサレム」そして「神殿の丘」は絶対に分割されてはならない、イスラエルの永遠の都であり、「エルサレムのための平和の祈り」こそは、今、主にある愛兄姉たちによって手を上げ続けられなければなりません。

日本で祈りの手を!!

2012年4月、ヨーロッパにあるイスラエルの祈りのためのグループ(E.C.I)の議長、トーマス・サンデール氏とメッセンジャーたちが来日することが内定しております。以下は主なメンバーの略歴です。

なお、本部はベルギーのブリュッセル市にあり、全世界的にまたそれぞれの自国でも働きを推進しておられます。

?トーマス・サンデール氏(フィンランド)。E.C.I(European Coalition for Israel)議長
神の民がキリストを信じ、「祈り」によってエルサレムの石垣をかたく築き上げることの重要性について論証するリーダー。

?ジャクエツ・ガウアー氏(カナダ)。法学博士
エルサレムの持つ法的権利を、国際法の角度からイスラエルの立場を擁護する国際法の権威。

?ヘラルド・エックハート氏(ドイツ)
第二次世界大戦後のドイツ人として、ユダヤ人とイスラエルに対する悔い改めと和解のミニストリーを推進し、これを体験として語る。「諸国民とイスラエル」についての優れたメッセンジャー。

?デイビッド・アディオラ氏(イギリス)
「イスラエルのための祈り」に関する諸国のクリスチャンたちに対し、熱いメッセージを語る。イギリスを代表するメッセンジャー。
これらのメッセンジャーの他に、ヨーロッパ各国から著名な議員たちも日本に参集する予定となっており、イスラエル大使館の協力も要請中です。日本での協力団体は、N.R.A(日本リバイバル同盟)の協賛を既にいただいております。

どうかこの働きに御支援、御協力くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

4月23日と25日、東京でイスラエルのための祈り会と講演会を行います。
    最新情報はこちらへ

JMFホームページアドレス:http://www.bekkoame.ne.jp/~jmf-oej/
メールアドレス:jmf-oej@bekkoame.ne.jp
FAX:022-289-1270


Copyright (C) Japan Messianic Fellowship 2005