イスラエルの試練と回復の新世紀

横山 隆


2001年という年は、聖書の中心にある中東の最重要地域に、約50年前(1948年)に建国したイスラエルが、大きな試練の中で迎えた年といえます。1967年の六日戦争で奪還されたエルサレム旧市街と神殿の丘が、再びパレスチナ人に分割されようとしています。従来の紛争とは全く次元の異なる最重要課題が浮上しており、正にイスラエルは内戦のような流血の惨事がパレスチナ人との間に繰り広げられております。

2月6日に実施されたイスラエル首相選で圧勝したシャロン氏は、“地域の隣人との和平のため、痛みの伴う譲歩もする”とコメントしましたが、これを受けて、PLOも“要求貫徹のために武装闘争を強化する”と宣言、紛争は激化の一途をたどる可能性を高めております。

聖都

イスラエル・アラブ紛争が首都エルサレム問題にまで発展しているということは、最終的危険度に向って到達しつつあるということです。私たちはイスラエルの勝利のため、身を挺して祈らなければならなりません。

「モーセが手を上げている間、イスラエルは優勢になり、手を下ろすと、アマレクが優勢になった。」(出17:11)

何故首都エルサレム問題が、イスラエル・アラブ紛争の最終局面なのでしょうか?それは、この問題が最も主イエス・キリストの再臨に深く関わっているからなのです。神はアブラハムと契約を結ばれた時、

「…わたしが示す地に行きなさい。」(創12:1)

「…あなたの子孫にこの土地を与える。…」(創15:18)

「わたしは、あなたが滞在しているこのカナンのすべての土地を、あなたとその子孫に、永久の所有地として与える。…」(創17:8)

ヤコブに対しては、

「…あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。」(創28:13)

「…あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。…」(創28:15)

主の日

アブラハムに与えられた神の祝福は、イサク、ヤコブを通してイスラエルに引き継がれ、祝福の源泉として、また水路として全地に注がれる神の御計画だったのです。しかしそれは、イスラエルという祝福の源である土地を通して全地に与えられるべきものであったのです。エルサレム―神の選ばれた土地の中心―聖都―アブラハムがイサクをささげ、そのゆえに神はアブラハムを祝福の源とし、ダビデによって建都され、やがて力強い贖い主、イスラエルの王“イェシュア”(ヘブル名はその民の罪を贖うお方)ダビデの子は、聖都エルサレムの十字架上で死に、3日目によみがえり、エルサレムのオリーブ山から昇天し、その

10日後、エルサレムのシオン山の二階座敷で聖霊が注がれ、アブラハムの祝福はそのクライマックスを迎えたのです。

では、次のステージで私たちが今、直面している最重要緊急課題ともいうべきことは何でしょうか?それは、主イエスがいつ再臨されるかということではないでしょうか?サタンは主の再臨の日取りを知りませんが、その配下の御使いたちも、やがて来る再臨の時執行される神の裁きを思う時、恐ろしさに震え慄いているのです。主は約束されました。

「…『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う時が来るまで、決してわたしを見ることがない。」(ルカ13:35)

この約束は、主はエルサレムに、必ずもう一度エルサレムに戻られるという約束です。また主は、エルサレムの神殿の丘に関しても預言されました。それは神殿の丘を含むエルサレム旧市街がイスラエルの領域に復帰した時、その時こそ異邦人の時が終り、選民イスラエルの時代が始まると語られたのです。

「『人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる。異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒される。』」(ルカ21:24)

これは、1948年にイスラエルが不死鳥のように甦り、再建され、1967年の六日戦争で神殿の丘がエルサレムに1900年ぶりに復帰した時から聖霊が注がれ始め、このようにして全世界のユダヤ人の間にリバイバルが起こり、ここ30数年の短期間に、過去1900年間に渡って救いを受けたユダヤ人の数以上のユダヤ人がメシア…イエスの新しい契約の中に入り、諸国民の中にも著しい聖霊運動が起こり、不思議なことに、この二つの時期に時を同じくして、全世界にペンテコスト、カリスマ運動の波が覆い始めました。

イスラエルの王、ダビデの子イエスは戴冠式のためにエルサレム(ダビデの町)にお帰りになります。しかもそれはエルサレムの神殿の丘がイスラエルの領域内にある時、その場所にイスラエルの王がとして東の門(黄金の門)を通ってエルサレムに入京されますが、これは全世界の諸国民にとっても聖霊に満たされて待ち望まなければならない重要な出来事となります。

「その日、主は御足をもって エルサレムの東にある オリーブ山の上に立たれる。」(ゼカリヤ14:4)

神殿の丘が諸国民あるいは異邦人の領域内にある時、主は再臨されない。即ち、主の日が延期されることを意味します。これこそサタンの思うつぼの状態といえるのです。

ペテロは言いました。

「神に日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。…」(2ペテロ3:12)

ここでペテロは、主の再臨の日取りを早めるようにすべきであると書き記しました。使徒ヨハネも黙示録の中で、「アーメン、主イエスよ、来て下さい。」と言って聖書全巻を締め括っています。

私たちが使徒たちの教えに固く立つならば、エルサレムの領有権が、再び異邦人諸国の手に渡されぬよう祈り求めなければなりません。それは主の再臨の時期を早めることに直接つながるのです。

四面楚歌

詩編83編でアサフは、終りの日に国々が“神の民の地”を奪おうとする謀略について預言しております。

「あなたの民に対して巧みな謀をめぐらし あなたの秘蔵の民に対して共謀しています。彼らは言います「あの民を国々の間から断とう。イスラエルの名が 再び思い起こされることのないように」と。彼らは心をひとつにして謀り あなたに逆らって、同盟を結んでいます。」(詩83:4〜6)

アサフは、東西南北から反イスラエルに組する連合体が悪しき策略をもって、イスラエルを取り囲むと預言しています。詩編83編7節〜8節に記載されるエドム人、イシュマエル人、モアブ人、ハガル人、ゲバル人、アンモン人、アマレク人の子孫は、イスラエル国家の東に位置しております。2つの民族エドムとイシュマエルは、混血して今日のアラブ、イスラム民族の祖となっており、南に移住してアラビア半島に、イスラムの本拠地に定住しています。イスラム世界の頂点に立つイシュマエル人こそは、イスラム教の中心に位置する民族です。裕福な産油国の中でサウジ・アラビアは、過去1948年、1967年の中東戦争で、モロッコやオマーンを含むアラブ連合体を後方支援してイスラエルと戦いました。また東に位置するハガル人、ゲバル人、アマレク人の子孫たちは同じ地域に定住して混血してきました。アンモン人の子孫は、現在のヨルダン王国に居ると言われています。ペリシテとティルスの住民は、聖書時代から地中海を中心とする海洋民族であり、現在も同じ場所に定住しております。聖書時代にティルスは、フェニキヤの都市を支配していました。これらの民族は現在レバノンに住んでいます。南レバノンは、1970年以降アラブ、イスラエル紛争の激戦場となってきたのです。パレスタインという語は、ユダヤ人の帰還する地がシオンという語で呼ばれることがないように、古代ローマがこの言葉を用いたことが始まりでした。PLOの指導者ヤセル・アラファトはパレスタインの町々の中に権力の中枢をおいておりますが、この中にガザも含まれています。今回のエルサレム紛争の中心に位置して、イスラエルに戦いを挑んでいる古代ペリシテ人の姿が、ここにはっきりと写し出されております。(詩83:8)

パレスチナ人という言葉は、古代よりイスラエルと戦いの矛先を交えたペリシテ人からきているのです。1948年の独立戦争そして1967年の六日戦争の時、パレスチナ・アラブ連合軍の中心としてイスラエルと戦いました。パレスチナ人は再建されたイスラエルに対し、この50年間イスラムの旗印の下、ジハード(聖戦)を挑んできました。ゴリアテ(ペリシテ人)がダビデと戦ったように、ペリシテ人たちは巨大なアラブ連合軍を束ねて、イスラエルに対し幾度となく海の藻くずとしてしまおうと躍起になってきました。アサフはこれら古代民族の中に現代のイスラエルとペリシテ人の宿命的対決の構図を鮮明に描き出しております。

「アッシリアもそれに加わり ロトの子らに腕を貸しています。」(詩83:9)

力あるアッシリアについては…。ロトの子ら(創19:38)、すなわちモアブ人とアンモン人の子孫たちは、イラン西部、トルコの一部、シリアの大部分エジプトのナイル川流域などに定住しており、今尚その姿を見出すことができます。

アッシリアについて…。その首都ニネベは、チグリス、ユーフラテス流域に位置する現在のバグダッド、すなわちイラクを指しております。1948年、1967年の中東戦争で、ロトの子らの末裔に当たるヨルダンとシリアを支援してイスラエルとは敵対してきました。これらのドラマに登場した俳優たちは中東戦争の時にのみ登場した後、舞台を下りたのでしょうか。

詩編83編に記載されたアサフの預言的歌は必ず起こると考えられます。なぜなら、1948年と1967年に起こった二度の中東戦争は、エジプトをリーダーとしアラブ諸国が団結したいきさつがあるからです。詩編83編に記載された国々のリストの中にエジプトはでてきません。すなわち過去における中東戦争を指してはいないのです。アサフは、終末時に起こるであろう軍事的陰謀を83編に記しました。この詩編83編と明確にリンクしているのがゼカリヤ12章です。ゼカリヤは、イスラエルに敵対する国家群となるのは、2つであると預言しました。

1.  
2. 周囲の国々(ゼカ12:2)
3.  
4. 地のあらゆる国々(全世界)がエルサレムに立ち向かう(ゼカ12:3)

詩編83編はイスラエルにとって21世紀に対戦しなければならない主要な国家群を預言しております。

※シリアは近未来、イスラエルを脅かす敵対国家として交戦すると考えられます。(イザ17章。エレ49:23〜33)

エルサレムが、イスラエル国家の所有として旧約聖書(タナッフ)に明記されている箇所は、70箇所あるといわれていますが、イスラムの経典コーランにはエルサレムという名がただの1個所もありません。マホメットはただの一度もエルサレムを訪れたこともなく、エルサレムについて夢の中で、メッカの神殿ともう一つの神殿が見えたとコーランの中に記されている“Night Journey”から17世紀に、この神殿をエルサレムと断定したいきさつがあるのです。

「彼らは言います。『神の住まいを我らのものにしよう』と。」(詩83:13)

神殿の丘がパレスチナの自治管理下におかれたことでも分かるように、聖なるところは、常にサタンによって歴史的に、踏み荒されてきました。最近の情報では、神殿の丘に建つ黄金のドームとエル・アクサ・モスクの他に第3のドームを建設しようとする計画があると言われています。今正に、時計の針は深夜を指しており、暁の黎明は間近です。いちじくの木であるイスラエルが短針であるとするならば、エルサレムは長針を示し、さらに神殿の丘は秒針を指し示しております。

今は正に、神の国の非常時です。単なる国家間の紛争を超越しています。永遠の神の国が樹立されることを妨げるサタンの戦略が、組織を上げて全面的に動き始めたのです。

「立て、宵の初めに。夜を徹して嘆きの声をあげるために。主の御前に出て 水のようにあなたの心を注ぎ出せ。両手を上げて命乞いをせよ あなたの幼子らのために。彼らはどの街角でも飢えに衰えてゆく。」(哀2:19)

さあ今こそ、かつての預言者たちがまたアサフがそうしたように、神への信頼に基づく信仰によって共に祈ろうではありませんか。

「わたしの神よ、彼らを車の輪のように 風に巻かれる藁のようにしてください。火の手が林を焼くように 炎が山々をなめるように あなたの嵐によって彼らを追い あなたのつむじ風によって恐れさせてください。彼らの顔が侮りで覆われるなら 彼らは主の御名を求めるようになるでしょう。」(詩:83:14〜17)




2001年JMF日本メシアニック親交会
新年聖会メッセージより
新橋ティファラット・イスラエル・宣教会






トップページに戻る
Copyright (C) Japan Messianic Fellowship 2005