第五次中東戦争の危機
今こそ聖都の為に祷告を!

横山 隆

激動の時代はやがて2001年という、さらに終末色の濃い時代に突入していくこの時、イスラエルの為にとりなし祈る主の贖いを受けた私たち一人一人は、新しい年にいかなる心構えが必要でしょうか?

第一に、イスラエル・アラブ紛争が首都エルサレム問題にまで発展しているということは、最終的危険度に直面しているということです。私たちはイスラエルの勝利のため、身を挺して祈らなければならないのです。
「モーセが手を上げている間、イスラエルは優勢になり、手を下ろすと、アマレクが優勢になった。」(出17:11)
何故首都エルサレム問題が、イスラエル・アラブ紛争の最終局面なのでしょうか?それは、この問題が最も主イエス・キリストの再臨に深く関わっているからなのです。神はアブラハムと契約を結ばれた時、
「…わたしが示す地に行きなさい。」(創12:1)
「…あなたの子孫にこの土地を与える。…」(創15:18)
「わたしは、あなたが滞在しているこのカナンのすべての土地を、あなたとその子孫に、永久の所有地として与える。…」(創17:8)
ヤコブに対しては、
「…あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。」(創28:13)
「…あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。…」(創28:15)
アブラハムに与えられた神の祝福は、イサク、ヤコブを通してイスラエルに引き継がれ、祝福の源泉として、また水路として全地に注がれる神の御計画だったのです。しかしそれは、イスラエルという祝福の源である土地を通して全地に与えられるべきものであったのです。エルサレム―神の選ばれた土地の中心―聖都―アブラハムがイサクをささげ、そのゆえに神はアブラハムを祝福の源とし、ダビデによって建都され、やがて力強い贖い主、イスラエルの王“イェシュア”(ヘブル名はその民の罪を贖うお方)は、聖都エルサレムの十字架上で死に、3日目によみがえり、エルサレムのオリーブ山から昇天し、その10日後、エルサレムのシオン山の二階座敷で聖霊が注がれ、アブラハムの祝福はそのクライマックスを迎えたのです。
では、次のステージで私たちが今、直面している最重要緊急課題ともいうべきことは何でしょうか?それは、主イエスがいつ再臨されるかということではないでしょうか?サタンは主の再臨の日取りを知りませんが、その配下の御使いたちも、やがて来る再臨の時執行される神の裁きを思う時、恐ろしさに震え慄いているのです。主は約束されました。
「…『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う時が来るまで、決してわたしを見ることがない。」(ルカ13:35)
この約束は、主はエルサレムに、必ずもう一度来られるという約束です。また主は、エルサレムの神殿の丘に関しても預言されました。それはエルサレム(神域となっている神殿の丘)がイスラエルの領域に復帰した時、その時こそ異邦人の時が終り、選民イスラエルの時代が始まると語られたのです。
「『人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる。異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒される。』」(ルカ21:24)
これは、1967年の6日戦争で神殿の丘がエルサレムに1900年ぶりに復帰した時から聖霊が注がれ始め、全世界のユダヤ人の間にリバイバルが起こり、ここ30数年の短期間に、過去1900年間に渡って救いを受けたユダヤ人の数以上のユダヤ人がメシア…イエスの新しい契約の中に入りました。
この事は何を意味するのでしょうか?それはエルサレムがイスラエルの領域内にある時、その土地(場所)に主イエスがイスラエルの王として帰還される。
「その日、主は御足をもって エルサレムの東にある オリーブ山の上に立たれる。」(ゼカリヤ14:4)
他国(諸国民あるいは異邦人)の領域内にある時、主は再臨されない。即ち、主の日が延期されることを意味します。これこそサタンの思うつぼの状態といえるのです。
ペテロは言いました。
「神に日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。…」
(2ペテロ3:12)
ここでペテロは、主の再臨の日取りを早めるようにすべきであると書き記しました。使徒ヨハネも黙示録の中で、「アーメン、主イエスよ、来て下さい。」と言って聖書全巻を締め括っています。
私たちが使徒たちの教えに固く立つならば、エルサレムの領有権が、イスラエルからまた再び異邦人諸国の手に渡されぬよう祈り求めなければなりません。それは主の再臨の時期を早めることに直接つながるのです。
今こそ、イスラエルの巷に倒れるばかりの子供たち(哀歌2:19)のために、諸手を上げて祈るべき時なのです。
「…祭司は神殿の入り口と祭壇の間で泣き 主に仕える者は言うがよい。『主よ、あなたの民を憐れんでください。あなたの嗣業である民を恥に落とさず 国々の嘲りの種としないでください。“彼らの神はどこにいるのか”と なぜ諸国の民に言わせておかれるのですか。』」(ヨエル2:15-17)
今正に、神の国にとって緊急の非常時なのです。それは単に国家の紛争というよりも、永遠の神の国が建てられる直前のサタンの妨害が本格的に始まったのです。
今こそ私たちは目を覚まし、全能なる神…イスラエルの聖なるお方に祈らなければなりません。新世紀は、エルサレムの聖都攻防戦の直中に始まります。
「立て、宵の初めに。夜を徹して嘆きの声をあげるために。主の御前に出て 水のようにあなたの心を注ぎ出せ。両手を上げて命乞いをせよ あなたの幼子らのために。彼らはどの街角でも飢えに衰えてゆく。」
(哀歌2:19)

「…彼のほか、誰が命をかけて わたしに近づくであろうか、と主は言われる。」
(エレミヤ30:21)