エステル記と終末における教会
--- ユダヤ人のためのとりなし ---

ジョナサン・バーニス
聖書は新共同訳を使用しました。

ジョナサン・バーニス師はユダヤ人として生まれましたが、イエス・キリスト(イェシュア)を受け入れメシアニック・ジューの伝道者となりました。旧ソ連地区で大規模なユダヤ人伝道を行っている「ヒアー・オー・イスラエル」の代表として、ユダヤ人伝道に大きな成果を上げておられます。JMFの招きで何度か来日されました。
本記事は1999年11月24日夜、JMFメシアニック親交会主催により豊橋市で行われた聖会での説教をまとめたものです。
(本文の日本語出版権は日本メシアニック親交会に帰属します。)
電話 022-248-6658 横山隆師

今夜はエステル記からお話しをさせていただきます。

旧約聖書の中で女性の名がついた二つの書があります。とても素敵なこの二人の女性には共通した所があります。この二つの物語はどちらも終末に関係したものなのです。それは終末におけるユダヤ人と、教会の姿を示すものです。これは単なる譬え話ではありません。文字通り絵にして、目で見えるように語ってくれるのです。

エステル記の物語は、終わりの時代における教会とユダヤ人に非常に大きな関わりがあります。これはちょうど、ヨセフとイェシュア(イエス・キリスト)の関係と同じです。(訳注:ユダヤのラビによれば、ヨセフは苦難を経てイスラエルを救うメシアの型であると考えられている。)

<プリムの祭>

エステル記の話に入る前に、毎年3月ごろに祝われるプリムの祭について少しお話しさせていただきましょう。これは喜びの祭で、ユダヤ人が超自然的な方法で解放されたことを祝う祭です。

私も小さい頃からこの祭を祝ってきました。私はその祭ごとに、この話をシナゴグで聞くことを待ちこがれていました。その日シナゴグでは、入り口で音の出るオモチャをくれます。後で音を出すためです。現物をお見せできたら良かったのですが……。ラビがエステル記を読んでいきますと、やがて悪役のハマンが登場します。するとみんなはさっき渡された音の出るオモチャを一斉に廻します。「ヴゥー、ヴゥー」とね。それは凄い音です。このオモチャを持って来てお見せしたかった。でも、日本へ来る度にいろいろ荷物が多いので、とても持って来られないのです。
(訳注:エステル記を朗読する中で、ハマンという言葉が出て来る瞬間に音を出して、その名をかき消さなければならない。そこで朗読者は、名前が出て来る直前の部分をわざとゆっくり読み、ハマンという名前を素早く言ったり、あるいは、わざと間をあけたりする。子供達の興味を引くための一種のゲームなのだ。)

私はアメリカからロシアに引越しまして、そこでメシアニックコングリゲーションを作る仕事を始めました。ロシアのユダヤ人たちは当時、ユダヤの祭を祝ったことが無かったのでした。そこでわたしはアメリカから、その音の出るオモチャ、といいましょうか、それを五百個持ってきてもらいました。そして大きな劇場を借りて、プリムの祭というものの説明をしました。大人も子どもも、このオモチャで音を出してもらいました。その日の喜びの光景は言葉には表せません。ユダヤ人として生まれて初めてこの祭を祝った。実に素晴らしい光景でした。だから私にとって、エステル記は個人的にも切っても切れない縁があります。

<エステル記の背景>

物語の背景をお話します。エステル記には奇妙なことに、神様の名が一度も出てこない。しかし神様は物語の背後でちゃんと役割を演じておられる。一緒に読んでいきましょう。そしてエステル記と、終わりの教会ということを、対比させながらお話ししたいと思います。まずはエステル記1章を読んでみましょう。

1 クセルクセスの時代のことである。このクセルクセスは、インドからクシュに至るまで百二十七州の支配者であった。
2 そのころ、クセルクセス王は要塞の町スサで王位につき、
3 その治世の第三年に、酒宴を催し、大臣、家臣のことごとく、ペルシアとメディアの軍人、貴族および諸州の高官たちを招いた。
4 こうして王は、百八十日の長期にわたって自分の国がどれほど富み栄え、その威力がどれほど貴く輝かしいものであるかを示した。
5 それが終わると、王は七日間、酒宴を王宮の庭園で催し、要塞の町スサに住む者を皆、身分の上下を問わず招いた。
まず王が出てきます。その名はアハシュエロス。(新共同訳ではクセルクセス王と訳されています。)彼はスサの王で、ペルシャメデアの強力な王でした。一節には百二十七州を治めていたと書かれております。これはエチオピアからインドへ至るものです。この王が宴会を催したというところから話は始まっています。この宴会には、あらゆる有力者や貴族達を全部出席させました。みんなに王の威光を見せるためです。そして、彼の自慢の王妃ワシュティを参加させることにしました。その美しさを見せたくてたまらない。ところが、ワシュティはこの事を拒んでしまった。11節、12節がその箇所です。

10 七日目のことである。ぶどう酒で上機嫌になったクセルクセス王は、そば近く仕える宦官メフマン、ビゼタ、ハルボナ、ビグタ、アバグタ、ゼタル、カルカスの七人に命じて、
11 冠を着けた王妃ワシュティを召し出そうとした。その美しさを高官および列席する民に見せようというのである。王妃は美しい人であった。
12 ところが、王妃ワシュティは宦官の伝えた王の命令を拒み、来ようとしなかった。王は大いに機嫌を損ね、怒りに燃え、

王妃の反抗にあって、王の内には憤りが燃え上がり側近を呼んいいました。「いったいワシュティを、どう処分してくれよう!」と。そして1章19節:

19 もしもお心に適いますなら、『ワシュティがクセルクセス王の前に出ることを禁ずる。王妃の位は、より優れた他の女に与える』との命令を王御自身お下しになり、これをペルシアとメディアの国法の中に書き込ませ、確定事項となさってはいかがでしょうか。

<王妃ワシュティとユダヤ人の相似性>

これは新約のある箇所とよく似ている。マタイ福音書の22章。王が王子のために婚宴を催した話です。彼は特別に名士たちを選んで宴に招きました。ところが、招かれた人達は来ることを拒んだと書いてあります。拒むということ以上に彼らは、使いに対して非常に粗末な扱いをし、さらに使いを殺してしまうという恐ろしいことをしました。王は非常に憤った。軍隊を送って彼らをほろぼしたのです。それから王は「町の大通りへ行って出会う人を誰でも連れて来なさい」といいます。ここでは、預言者に対して従おうとしない頑ななユダヤ人を譬えて語っておられます。そして、神から遠く離れていた異邦人に門が開かれましたよ、という譬えです。

エステル記の王妃ワシュティは、このようにイスラエルを示しています。非常に反抗的で頑固な民、なかなか神に従おうとしない。このことは王の怒りを燃え立たせます。そこで王は別の王妃を探し始めます。こうして福音は誰でも信じる者に、異邦人に開かれました。

王は新しい王妃を探します。そこで別の性格を持った方が紹介されて来ました。ヘブル名をハダッサ。今、イスラエルには「ハダッサ」という名の大きな病院がありますが……。

<エステルは異邦人教会>

さて、この物語には、もう一人、モルデカイという人物が登場します。彼はユダヤ人でした。

2:5 要塞の町スサに一人のユダヤ人がいた。名をモルデカイといい、キシュ、シムイ、ヤイルと続くベニヤミン族の家系に属していた。
2:6 この人は、バビロン王ネブカドネツァルによって、ユダ王エコンヤと共にエルサレムから連れて来られた捕囚民の中にいた。
2:7 モルデカイは、ハダサに両親がいないので、その後見人となっていた。彼女がエステルで、モルデカイにはいとこに当たる。娘は姿も顔立ちも美しかった。両親を亡くしたので、モルデカイは彼女を自分の娘として引き取っていた。

モルデカイはおじの娘エステルを養育します。その娘には父も母もなかったからです。すなわち孤児でした。彼女は美しかった。このエステルは、終末の教会のあるべき姿を表しています。まず彼女が孤児であった事を憶えておいてください。そしてこの、ユダヤ人モルデカイに引き取られた。これは、エフェソ人への手紙2章を思い出させてくれるお話です。

2:12 また、そのころは、キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました。

これは孤児と同じです。しかし聖書は、イエス・キリストによって皆さんはイスラエルの神の方へ引き取られたと言うのです。今や皆さんは神の子供とされました。アーメン

エステルはユダヤ人モルデカイに引き取られた。教会もまた、引き取られました。エステルはとても美しかった。教会もまた、神がご覧になる時にとても美しい。

2:9 彼はエステルに好意を抱き、目をかけた。早速化粧品と食べ物を与え、王宮からえり抜きの女官七人を彼女にあてがい、彼女を女官たちと共に後宮で特別扱いした。
2:10 エステルは、モルデカイに命じられていたので、自分が属する民族と親元を明かさなかった。

<エステル、身分を隠す>

エステルは王宮の婦人部屋の最も良い所へ移されます。ここに大層興味深い箇所があります。エステルはユダヤ人によって育てられたのに、モルデカイは身分を明かしてはならないといいます。彼女はこの書の前半では、一貫して身分を明かしてはいません。これは教会についても同じです。というのは、二千年に渉ってキリスト教は、ユダヤ性という身分を明かさないまま地上に存在してきました。それはモルデカイの願いによっている。聖書は、彼女にユダヤ人だと明かしてはいけないというのです。

私達メシアニック・ジューはこの事に直面させられている。身分についての葛藤です。ユダヤ人たちはメシアニックに言います。「お前達はメシアニック・ジューなら、ユダヤ人だというな!」。また、異邦人教会がユダヤ性を主張する時にも、必ずユダヤ人から反対が出ます。つまり、教会がユダヤ性を隠すようにと要求しているのは、ユダヤ人自身なのです。エステルは身分を明かさなかったが、それはユダヤ人であるモルデカイの指示でした。教会もユダヤ人だという身分を明かしていないのですが、それはユダヤ人たちの要求によるのです。

2:17 王はどの女にもましてエステルを愛し、エステルは娘たちの中で王の厚意と愛に最も恵まれることとなった。王は彼女の頭に王妃の冠を置き、ワシュティに代わる王妃とした。
2:18 次いで、王は盛大な酒宴を催して、大臣、家臣をことごとく招いた。これが、「エステルの酒宴」である。更に、王は諸州に対し免税を布告し、王の寛大さを示すにふさわしい祝いの品を与えた。

王は、どの女よりもエステルを愛した。彼女には王冠が与えられた。これはイスラエルの神の前に、教会がこのような者になったことを表しています。イスラエルではなく教会が、イスラエルの神の好意を受けているのです。王なる祭司としてみ前に歩み、また救いを見いだしております。

<置換神学の誤り>

私は置換神学を信じていません。置換神学とは、イスラエルに与えられた計画は、すべてイスラエルに当てはまらなくなったという考え方ですが……。しかし聖書は「しばらくの間だけだ」と言っています。この語は季節との意もある語です。しばらくの間、神様の御前で教会がイスラエルの代わりに好意を得たと聖書は言っているのです。イスラエルに与えられたすべての祝福は今のところ、教会に相続されています。

しかし、神様とイスラエルの縁が切れたわけではない。ただ教会は今、はじめイスラエルに与えられていた神様の目的に向かって、進んでいることは明確です。恵とか、救いとか、力とかを受ける、その祝福の所へ教会は来ています。ワシュティという王妃の代わりに、エステルがその地位を受けていきます。これはとても興味深いことではないでしょうか。

2:20 エステルはモルデカイに命じられていたので、自分の属する民族と親元を明かすことをしなかった。モルデカイに養われていたときと同様、その言葉に従っていた。
ここでまだ、エステルは身分を明かさないままです。こうして3章へと物語が展開して行きます。

<迫害者ハマンの登場>

ここで新しい人物が登場します。ちょっと皆さん、彼の名を私が言ったら、腰掛けでもなんでも、叩いてみてください。気に入らないスポーツ審判を観客が野次るように。はい、彼の名は「ハマン」。(聴衆一斉に音を立てて、笑い)グッド! 彼はサタンの型であります。ハマンはユダヤ人を迫害するようにと王に進言し、王からその権限を与えられます。ユダヤ人言います。「どうして私達はこんなに迫害されるのですか。何千年もの間」と。

私は幼いときから、シナゴグで私達は選ばれた者だと教えられてきました。でも、何のために選ばれたかは定かでなかった。ある時「先生、選ばれたという意味を良く説明してください」と聞きました。すると先生は言いました。「迫害されるために選ばれました」と。この言葉は忘れられない! それなら、と私は思いました。選ばれるなんて辞〜めたと。しかし、それでも迫害は続く。何時何処へ行っても。最近また、反ユダヤ主義が起こって来ている。私は結論を得ました。それはサタン自身がその発信源だからだと。

この世がユダヤ人を嫌うのは、サタンがこの世の君だからです。彼は神を嫌っている。そしてユダヤ人が神に選ばれたということに注目している。神を信じる教会に対して、この世が憎しみを持つのは何故ですか。それもサタンの憎しみです。ハマンは王に「変な連中がいますよ」といいます。ユダヤ人は、いつもちょっとこの世とは違っていましたからね。神様がそう仰ったからです。教会もおもにそういわれています。

<サタンに与えられたユダヤ人迫害の権威>

王はハマンの言葉に同意し、権威の指輪を与えました。これはヨブ記に似ています。サタンが神様にヨブを訴えたように、サタンはいつも皆さんを非難する。ですから皆さん、こういう所も良く見ておきたい。ハマンに権威の指輪が授与されたように、人間の堕落によって、地球はハマンの権威を与えられている。ですから地球は完璧に回復され贖われるということを、まだ経験していないのです。さて、ここでは全ユダヤ人を殺してもよいという布告が出てしまった。

4:1 モルデカイは事の一部始終を知ると、衣服を裂き、粗布をまとって灰をかぶり、都の中に出て行き、苦悩に満ちた叫び声をあげた。
4:2 更に彼は王宮の門の前まで来たが、粗布をまとって門に入ることは禁じられていた。
4:3 勅書が届いた所では、どの州でもユダヤ人の間に大きな嘆きが起こった。多くの者が粗布をまとい、灰の中に座って断食し、涙を流し、悲嘆にくれた。
4:4 女官と宦官が来て、このことを王妃エステルに告げたので、彼女は非常に驚き、粗布を脱がせようとしてモルデカイに衣服を届けた。しかし、モルデカイはそれを受け取ろうとしなかった。
モルデカイはその事を知った。今もユダヤ人が持つ疑問は、どうして神はこういう大虐殺を許されるのかということです。これは、ユダヤ人が福音を受け入れるための最も大きな妨げになっています。これについて、適切な説明は出来ていませんが……。そこでモルデカイは服を裂き、王の門へやってきました。彼は服を着てないから入れません。これは、現在のユダヤ人と比べても非常に分かりやすい。皆さんはイスラエルを愛してくださいます。世界中にこのような方がおられることを神に感謝します。

<ユダヤ教正統派の危険性>

ここで、非常に重大な警告を申し上げます。ユダヤ人を愛するクリスチャンたちが、正統派の人達に引き寄せられるという危険性です。西壁(嘆きの壁)でユダヤ人たちが言っていることを聞いてください。彼らはとても熱心です。だからクリスチャンは思います。私達よりも彼らは神様に近いだろうと。そういうクリスチャンの内から、ユダヤ教に改宗する人を私は見ました。そして、それらの人達がキリストを否定するのを、私はたくさん見て来ました。そうです。彼らには熱意があります。献身があります。彼らは神様への飢え乾きを持っています。しかし、彼らは着るべき服を着ていない。彼らは救われていません。真理を知らない、いのちの道を知らない。そのままでは、門の中へは入れない。王に接近するすべはないのです。この事を皆さん、良く理解してください。

(訳注:ある宣教師が語ったところによると、ユダヤ教からイエスを信じるようになる人よりも、クリスチャンからユダヤ教に改宗する人の方が数が多く、宣教面ではユダヤ教の方が優位にあるという。)
<王の前に行けないモルデカイ>

モルデカイは門の中には進めない。王の前に行く道が無いのです。ここではモルデカイを通して、盲目となっているイスラエルの現状を型として見せております。これはメシアを通してしか、誰も主のもとへは行けないからです。ここがポイントです。

4:4 女官と宦官が来て、このことを王妃エステルに告げたので、彼女は非常に驚き、粗布を脱がせようとしてモルデカイに衣服を届けた。しかし、モルデカイはそれを受け取ろうとしなかった。
エステルはこの事を聞いた。彼女は非常に悲しみました。そこで彼女はモルデカイに着るべき物を贈ったのですが、彼はそれを着ようとはしなかった。エステルがユダヤ人に手を差し伸べたのに、彼らはそれを拒否する。これは現在の教会の姿と同じです。あるクリスチャンの友人たちは、何百万ドルも使ってユダヤ人の帰還の船を用意しました。「皆さん(モルデカイよ)帰還の船が用意できました」と言いました。ただただ助けたいという気持ちだけからです。でも、返答は「いえ、結構です。あなたの助けはいりません」。不幸なことに現在のユダヤ人はこうなのです。エステルからの服はいらない。しかし、そのクリスチャンの友の「ぼくの助けが要るか、要らないか。それはどうだっていい。ぼくは助ける!」という熱意に、多くのユダヤ人たちは結局帰還することができましたが……。

<ユダヤ人を祝福する>

皆さん、実は皆さんがユダヤ人を祝福しようとされても、このようなことを経験される事でしょう。好意は唾で返される。クリスチャンなんかに助けてもらうものか、という答えが返ってくる。皆さんの中には、ユダヤ人のために死んでもいい、という方が居られるかも知れない。これは凄いことですよ。でもね、あなたが命さえ惜しまず、犠牲的に尽くしても返ってくるのは、ぶつぶつという不平だけ、そして「あなたのベッドは硬い」とか「あなたの食べ物は不味いとか」。そういう反感の中で、あなたはなお愛することができますか。ちょっと皆さん、真剣に考えて下さい。あなたはそういう立場に立つことが有るかも知れない。エステルをモルデカイは拒否するのです。どうか皆さん、二千年に及ぶ反ユダヤ主義が、これらの背景にあることを忘れないでください。彼らは疑い深い。ですから、そんな彼らの態度には関係なく、彼らを祝福しましょう。

4:8 彼はスサで公示されたユダヤ人絶滅の触れ書きの写しを託し、これをエステルに見せて説明するように頼んだ。同時に、彼女自身が王のもとに行って、自分の民族のために寛大な処置を求め、嘆願するように伝言させた。
<教会の役目は取りなしの祈り>

モルデカイは服は拒否しました。しかし彼は、エステルに王の所へ行って欲しいと頼みます。これは、教会の最も重要な役割は、王なる神に取りなしの祈りをすることだというのです。モルデカイは門で止められた。しかし「エステル、お前はちゃんと服を身につけているし、王の所へ行く道があるから」と彼はいいます。私がクリスチャンになったとき、家族からも、友人からも村八分にされました。そして裏切り者といわれました。私の母も、兄弟も、今なおクリスチャンではなく、私を拒絶したままです。……なのに、何か問題が起こると私に電話がかかってくる。そして「こんな問題があるんだ。お前が祈れ!」と。皆さんにも、おそらく電話がかかるでしょう。皆さん、このような取りなしの祈りを軽い事とは考えないでください。ここに牧師の方がおられますね。どうか、毎週一回、イスラエルのために取りなす人々を是非つくってください。月一回でも、それは意義のあることです。モルデカイは服を拒みましたが、取りなしを頼んだのです。

4:13 モルデカイは再びエステルに言い送った。「他のユダヤ人はどうであれ、自分は王宮にいて無事だと考えてはいけない。
4:14 この時にあたってあなたが口を閉ざしているなら、ユダヤ人の解放と救済は他のところから起こり、あなた自身と父の家は滅ぼされるにちがいない。この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか。」

皆さん、モルデカイの言うことを聞いてください。「お前だけが逃れられると思うのか?」ホロコーストの犠牲者はユダヤ人だけではありません。ジプシー、同性愛者、またキリスト信者として信仰に忠誠をつくした人も同じ目に遭いました。反ユダヤ主義の大きなうねりは、またやってくると私は思うので警告します。その時には本当のクリスチャンも巻き込まれるでしょう。

聖書はいいます、私の民を私は祝福すると。また言います。太陽が昇り月が照る限り、神はイスラエルを守られると。今日の教会に神からのメッセージが届いています。今、クリスチャンたちがユダヤ人を祝福しなければ、ユダヤ人のために立ち上がらなければ、救いと解放はクリスチャン以外からやってくるでしょう。あなたがたに神が下さったこの機会を、あなたがたは見失ってしまう。モルデカイはいいました。「あなたが王国へ来たのは、この時のためかも知れない」。皆さんもまた、この目的のために召されたのかも知れない。エステルである皆さん、この聖会は決して偶然ではありません。神はご自分の民に向かって声を発しておられます。こんな世の終わりの時だからこそ、主の声が届けられる。ユダヤ人にあなたの手を差し伸べなさい。ユダヤ人の救いのために、あなたの有る物を与えなさい。エステルである皆さんは、この神の声に応えられますか。モルデカイとエステルの光景は、まさに私達でもあります。イスラエルに関して、神は私達に挑戦状を突きつけます。これに対するエステルの答えをお読み下さい。

4:15 エステルはモルデカイに返事を送った。
4:16 「早速、スサにいるすべてのユダヤ人を集め、私のために三日三晩断食し、飲食を一切断ってください。私も女官たちと共に、同じように断食いたします。このようにしてから、定めに反することではありますが、私は王のもとに参ります。このために死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でおります。」

エステルは「死ななければならないのなら、死ぬ覚悟です」と言いました。私はこの答えが好きです。

<迫っているユダヤ人迫害の時代>

皆さん、ユダヤ人迫害はふたたびやってくるでしょう。その時、我々の仲間の一人が皆さんの入り口を叩く時があるでしょう。彼は狙われて、逃れて来たのです。彼を匿えばあなたも危険にさらされます。そんな時にでも、私達を中に入れてくれますか? 自分の命の危険を冒してまで。それとも、私達は他の所へ行かなければならないでしょうか? 言うだけなら簡単です。しかし、命を捨てるとなれば別です。この話の終わりは、積極的な、肯定的な言葉で締めくくりたいと思います。

6:1 その夜、王は眠れないので、宮廷日誌を持って来させ、読み上げさせた。
6:2 そこには、王の私室の番人である二人の宦官、ビグタンとテレシュが王を倒そうと謀り、これをモルデカイが知らせたという記録があった。

王は記録の書を読ませます。ここで私は、神がイスラエルを回復するという、あの約束を思い出しておられる光景を思います。そしてモルデカイは立場を回復します。ハレルヤ

6:13 彼は一部始終を妻ゼレシュと親しい友達とに話した。そのうちの知恵ある者もゼレシュも彼に言った。「モルデカイはユダヤ人の血筋の者で、その前で落ち目になりだしたら、あなたにはもう勝ち目はなく、あなたはその前でただ落ちぶれるだけです。」

ハマンはモルデカイと自分の地位が逆転したことを知ります。皆さんは話の結末をご存知でしょう。イスラエルは回復され、メシアが来られることもご存じでしょう。これはもう、この本に書かれております。しかしこれらを演じる人達が、今必要なのです。

<約束の成就を助けるのが教会の役目>

8:1 その日クセルクセス王は、ユダヤ人の敵ハマンの家を王妃エステルに与えた。エステルはモルデカイとの間柄を知らせたので、モルデカイは王の前に出た。

最後にここをお話ししたい。エステルは王の前で、とうとう自分がユダヤ人としての素性を明かします。そしてエステルは王の前に好意を得た、お陰でユダヤ人は救われたのです。私はエステルである皆さんを励まします。皆さんは、ユダヤ人の人生に対して影響力を持っている。皆さんは、神がイスラエルに与えた約束を成就されるに当たって、助ける事ができるのです。皆さんは、王なる主と関係を持って居られるからです。今日、エステルである皆さんに主は語られた。身分を明かすようにとも。皆さんはモルデカイの子どもなのです。ユダヤ人である初代弟子達が、またそのユダヤ人の弟子達が、教会という子どもを育ててくれました。私は信じます。日本の教会である皆さんは、またユダヤ人でもあるのです。皆さんはこの時のために召された、エステルではないでしょうか。

どうぞ、ご自分でエステル記を読んでください。エステルである皆さんに神様の祝福が有りますように。

(以上)

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