日本メシアニック親交会(JMF)の
運動方針と運動報告(2002年版)


■ 1.交わりの基礎

JMFは、イエス・キリストを主と仰ぎ、旧新約聖書66巻を原典において、誤りなき霊感された神の言葉と信じる者が、使徒信条の告白を必要十分な一致点として、自己の属する教団教派に拘わらず、広範に交わり、互いに助けあって、以下の共通の目的を達成しようとする交わりである。

■ 2.目的

1:イスラエルの回復

聖書が「終わりの時代」に必ず起こるとされる最大のしるしが、「イスラエルの全家の回復」である。そこには、アブラハムに約束された国土的回復及び民族的な統合の回復という側面が当然含まれるが、より重要なものとして霊的な回復、つまりイスラエルのメシアであるイエシユアにある霊的リバイバルがある。私たちは、この神のご計画が達成されるために祈るとともに、神のわざの良き協カ者となりたい、と思うものである。

2:メシアニック・ジューへの支援

神が「終わりの時代」におけるイスラエルの霊的回復に向かう「初穂」もしくは「残りの民」として現代の時代に起こされているのが、メシアニック・ジユーであると理解する。メシアニック・ジユーとは、自らがイスラエル民族に属することを、取り消されえない神の永遠の召しと自覚し、その民族的アイデンティティを最大限に尊重しつつ、イエシユアこそイスラエルの召しを成就するメシアであり、王であることを信じ、告白する人々である、と理解する。彼らこそ、長い歴史におけるイスラエル民族に対するキリスト教会の憎悪と迫害、その結果としての強固なキリスト教への拒絶感情を乗り越えて、アブラハムの子らにイェシユアの福音を届けることのできる希望であると信じる。そこで、私たちは、ユダヤ人伝道の領域において私たちのなし得る最大の貢献の一つが、メシアニツク・ジユーやそのコングリゲーション・宣教団体等のために祈り、彼らを心から支えること、及び彼らと協力して共に働くことであると考える。私たちは、今日まで、そのささやかな実践として、イスラエルのメシアニツク・コングリゲーションと協力関係を築いてきたほか、特にアジア地域に離散したユダヤ人コミユニティにおけるメシアニック運動を支援してきた。その例として、カザフスタン、ウズベキスタン等の中央アジアにおけるメシアニック運動をここ3年継続して支援してきている。

3:メシアニック・ジユーから学ぶ

メシアニツク運動は、何よりも、彼らが同胞であるユダヤ人に対して伝道することを主眼とするものであるが、同時に、それは教われたユダヤ人によりキリスト教会全体に対して投げかけられた、真にオリジナルな視点からの間いかけでもある。伝統的なキリスト教神学は、重要な部分において聖書の指信を歪曲してきており、特に反ユダヤ主義的視点からの汚染が顕著である。これに対して、メシアニツク・ジユーの聖書解釈は、聖書が記された本来の意図に沿って、ヘブル的視点に基づいてこれを行おうとするから、伝統的なキリスト教神学における誤りが矯正されるとともに、これによってキリスト教会が、より健全で、神の御旨に沿った聖書的土台を築き直すことができる。私たちは、メシアニック・ジユーから大いに学び、これによって私たちのキリスト教信仰を、真の土台であるへプル的ルーツにしっかりと根ざすようにしたいと思っている。その一環として、今日までに私たちは、アメリカのメシアニツク・ジユーを代表するダニエル・ジヤスター師、ジョナサン・バーニス師を招いて聖会、セミナー等を開いてきており、またその他メシアニック神学教師を毎年のように招いて学ぶ機会を設けてきている。また、イスラエル・ネティプヤのヨセフ・シュラム師からは、毎年、ネティブヤ日本支部とも協力させていただきながら、学ぶ機会が与えられてきた。今後も、このような学びの機会は継続されていくべきであると考えている。私たちは、さらに、メシアニック・ジユーの神学や実践を自らの文脈に置き直して、日本宣教という視点に立って、これをどのように応用するが可能であり、また望ましいかということを研究してきたし、今後も継続的に研鑽をつんでいくことになろう。例えば、イスラエルの例祭に対する実践への取り組みは、その代表格である。そのためには、幅広く、かつ懐深い実験的な試行錯誤が許されるべきであり、メシアニックの視点に立ったある一定の実践が従来の神学的見解に合わないからというだけで、これを自粛したり、排除したりするべきではない、と考えている。なお、本年(2002年)には、ダニエル・ジヤスター師の「ジユーイッシュ・ル一ツ」の邦訳本が出版されることになっている。

4:メシアニック運動の視点をキリスト教会に導入する

私たちは、1990年代を通じて、継続してメシアニック・ジユーと交わりを持つ中で、多くの恵みと経験を積み上げてきた。そして、ここ数年、この運動に学びたいので、助けてほしいとの要請を、国内のみならず、国外からも耳にする機会が増えてきた。私たちは、このような要請にこたえて、メシアニック運動に目の開かれた教会に対し、惜しみなく自分たちが与えられてきた経験を分かち合いたいと願っている。このような例として、私たちは、既に韓国の教会にメシアニック運動を紹介し、またイスラム圏の中にあるパキスタンからの要望にも答えている。この他、台湾やフィリピン、ベトナム、アフリカの教会からも、同様の要請を受けており、今後、これらの二一ズに、特にアジアの広がりにおいて、どう答えていくのかが課題となってきている。又、国内的には、キリスト教の神学校、聖書学校等で、メシアニツク神学の視点に立った講義、講演等を依頼される機会が徐々に与えられてきている。現在では、束京・国際キリスト神学院で、本格的なメシアニック神学に基づくカリキュラムが組まれ、講義が展開されている。今後、できるだけ広範囲に、メシアニック神学が、キリスト教神学校、聖書学校の正規のカリキユラムに組み込まれることが期待され、私どもがそのためにどのようなお手伝いができるかが、今後問われるところである。さらに将来的には、私どもの手で、メシアニック神学を土台とした包括的・組織的な神学体系を教授し得る神学校を作り上けることが、具体的に検討されるべきときが来るだろう。

5:反ユダヤ主義と戦う

私たちは、反ユダヤ主義とは、聖書に記された神のイスラエル民族に対する永遠の約束と御旨を否定する、神学的、政治的、経済的、その他あらゆる形態の主張、運動であり、これはまさしくサタンより発せられた、歴史的に最も古くかつ最悪の攻撃であると理解する。それゆえ、この反ユダヤ主義に根ざす主張や運動には、毅然として反対し、これに挑戦していく。

1)神学的領域

とりわけ、神学敵領域における反ユダヤ主義は、イスラエル論、律法論において、顕著である。この分野においては、メシアニツク・ジューの視点による聖書解釈が、伝統的なキリスト教神学と抵触する要素がとりわけ強くなる。それゆえ、粘り強い弁証活動が重要であるように思われる。とりわけ、置き換え神学、律法廃棄論に対しては、それが極めて一般的に流布している神学的理解であるがゆえに、忍耐強い反駁と論証を必要とするだろう。また、メシアニツク神学の基本的理解を促すような入門的解説書が必須であろう。

2)政治的領域

特に、今日の中東紛争の激化にともない、現在のイスラエル共和国のために、とりなし祈る活動が、非常に重要な課題になっている。ここでも、非常に手の込んだ、悪質な反ユダヤ主義活動を見ることができる。特に、著しく偏向する国際的メディアの報道には、細心の注意を払うべきであり、そこに展開されている反ユダヤ主義の嘘を見破らなければならない。もっとも、私たちは、現実の国際政治を背景としたイスラエル共和国の活動は全て善で、これに反対するものが何でも反ユダヤ主義だ、というような愚かな見解は取らない。現在のイスラエル=パレスチナ/アラブ間の関係というのは、まぎれもなく戦争状態であり、国際政治における、冷厳なパワーバランスの上に成り立っているのであって、どちらが善で、どちらが悪であるかを決められるような単純なものではない。それでも私たちがイスラエルのためにとりなし、イスラエルと共に立つというのは、あくまで神のイスラエルに対する御言葉と約束に基づいて、そうするのである。また、さらに言うと、イスラエル人であれ、アラブ人であれ、一人として魂が滅びることなく、イエス・キリストにあって救われることを願うという宣教的情熱を、現実の国際政治上の果てしない議論と対立の中で水割りされたり、かき消されたりしてしまわないようにと注意を自らに喚起するものである。「こうして、イスラエルはみな救われる」、この約束の御言葉に立って、私たちは、イスラエルのために祈るのである。

6:日ユ同祖論について

日本人の主要な民族的・血統的ルーツが、古代イスラエルの血統に遡ることができる、即ち日本人はイスラエル民族の末裔であり、支族であるという主張に対しては、私たちは、十分合理的な根拠を有する学問的かつ聖書的な証明が確立されない限り、是とも非とも判断しないという中立的立場に立つ。このような主張は、あくまで個人の内的確信に留め置かれるべきものと考える。


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