竹下しづの女の俳句
「定本 竹下しづの女句文集」より
大正九年
固き帯に肌おしぬぎて種痘かな
短夜を乳足らぬ児のかたくなに
短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉(すてっちまおうか)
乳ふくます事にのみ我が春ぞ行く
這婢少(わか)く背の子概ね日傘の外
夏帽や太眉秘めて一文字
弾っ放して誰そ我がピアノ夏埃
鍵板(キイ)打つや指紋鮮やか夏埃
清水掏むや犇と岩に椅る繊そ腕
伏し重つて清水掏ぶや生徒達
芥子摘めば手にもたまらず土に落ちし
旭の薔薇に轟と彳つ博士婦人かな
狂ひたる我の心や杜若
滝見人水魔狂ひ堕つ影見しか
枝蛙に子蛇いよいよ迫りしぞ
とても霽れぬ五月雨傘をさして去ね
打水やずんずん生くる紅の花
夏園や雲ゆるう来て遠喇叭
滴りて木賊嫩芽の色甘き
枯笹と堕ちし蝸牛に水暗し
夏痩の肩に喰ひ込む負児紐
鎖二本垂れゐて雲の峯高し
二重人格に肖し我がふと蚊屋に居し
処女二十(はたち)に夏痩がなにピアノ弾け
鮓手ン手に葭簀喰み出て工夫達
うらぶれや櫛に嵩増す木の葉髪
秋日こめて紅蘆の葉や燃えそめし
紅葦の紅奪ひつゝ陽は端へ
月を浴び婢の顔崇(けだか)し菊畑
三井銀行の扉の秋風を衝いて出し
脚高の橋痩せめきて小春かな
夜長き女裁板抱いて寝つきたり
夜長き女蚕の如く寝ね入れり
霧の海大博多港の燈を蔵す
終列車の扉の霧衝いて一人下車
夜寒児や月になきつつ長尿り
朝寒や小石大きな影を曳く
子を負うて肩のかろさ天の川
わがよろこびと似し花小春葉隠れに
手袋とるや指輪の玉のうすぐもり
胼ふえてますます光る指輪かな
御忌僧一人異端者めきて鬚美事
ピン抜くや抜けてからむ毛秋の声
電気炬燵に膝すこしあて老母かな
ヘッドライトに枯野と知りて稍久し
今年尚其冬帽乎措大夫(づま)
窮措大肩尖らせて古浴衣
留守居妻他人の咳に夜をたのむ
蜜蜂の如集(たか)れりゑびすぎれ
除夜の鐘襷かけたる背後より
大正十年
初鶏やカアテン垂れて冬薔薇
カルタ歓声(どよみ)が子を守るわれの頭を撲つて
詩(うた)書くや襤褸の中の春夜人
春夜人衿裄け了へて今十時
フリージヤ噛んで苦さ今知る虚ロ心
髢吊るして今日も砧のあろじかな
凍て畳に落ちてひろごる涙かな
鉢棚を叩く硬さや寒の雨
凍て飯にぬる茶もあらず子等昼餉
寒夜鏡に棲づまりて誰か彳つ
大正十二年
父逝く
とこはの御別れ蚊帳となりにけり
昭和二年
書初めやをさなおぼえの万葉集
添へて髪のおもたき髷や祭髪
祭人降り続くなり汀まで
夏痩もせずただ眠き怖しゝ
霧濃ゆし馬蹄のこだま喝破(かば)とのみ
昭和三年
愁あり鬢髱つめし祭髪
水馬蜂の骸(むくろ)の眼を吸へる
琢木鳥や木のはの渦を見るばかり
華やかや吾をつつみて舞ふ落葉
昭和四年
主人は寸暇なきまま私一人にて設計より現場監督まで致し、
三伏の盛夏を真黒くなりて草庵作りたり(一句)
青葦を手づから刈つて簾を編むも
ちひさなる花雄々しけれ矢筈草
葦刈の去年来し漢又も来し
彼の漢遊ぶが如し葦を刈る
芦刈の去んで人見ぬ日数かな
鳰載せてけはしき水となり初めつ
稲刈のしぐるゝ妻を叱り居り
古里は痩せ稲を刈る老ばかり
曲りたる七重の腰に毛見案内
雪嶺となって外山の大起伏
雨風に黙々として鵙の冬
寒禽となり了んぬる鵙一羽
昭和五年
畑打つて酔へるがごとき疲れかな
日を追わぬ大向日葵となりにけり
鳥雲に児を措きて嫁す老教師
影させしその蝶にてはらざりき
夏帽や女は馬に女騎り
シクラメン花の裳をかゝげ初む
大いなる月こそ落つれ草ひばり
秋晴の名ある山ならざるはなく
月代はつきとなり灯は窓となり
親しき友を送りて
十三夜日記はしるすことおほき
水郷日田
遊船に水門ももたぬ楼ぞなき
流木に紅葉とぼしき双の岸
颱風の去にし夜よりの大銀河
雑音に耳あそばせて日向ぼこ
昭和六年
四月三十日県立糟屋農学校長官舎に転居す
学校の音春眠を妨げず
水論に農学校長立ちも出づ
門内や秋耕の馬十五頭
秋耕の鞍のざふとんまくれなる
校内も稲刈り伏せてひろさかな
藤棚に藤波なして返り咲き
鯖堤げて博多路戻ることもあり
葦狩るやゆんづる張つて月既に
窓しめて魂ぬけ校舎干大根
大いなる寝手袋をして寝まりけり
昭和七年
四月三日長女澄子結婚
山をなす用愉しゝも母の春
子をおもふ憶良の歌や蓬餅
鮓おすや貧窮問答口鮓み
花菜散る糟屋郡(かすやごうり)をたもとほり
関西/伊勢/山陰旅行
踏んばつて人映りをり秋の水
彼方にも月の瀬一つ現はれぬ
月既に湖心にありて宿りけり
大山登山
禁制の紅葉をかざし行くは誰そ
踏みのぼる木の根木の根の苔紅葉
一枝の濃紫せる紅葉あり
枝ながら柿そなへあり山の寺
霧迅し山は紅葉をいそぎつつ
額づけば秋冷至るうじなかな
遠(をち)の灯の名ををしへられ居て涼し
旅衣時雨るゝがまゝ干るがまゝ
旅疲れかくして語る夜長妻
十月三日三十三間堂に詣づ
青春の仏のかほと見まゐらす
ギザギザの霧を鎧ひて今年
昭和八年
一月二十五日 主人急逝
貧乏と子が遺るのみ梅の宿
温室咲のフリージヤに埋め奉り
郵便局の疎さにも馴る雲雀飼ふ
籠(こ)雲雀に街(まち)の伏屋の明け暮るゝ
ことごとく夫(つま)の遺筆や種子袋
水飯に晩餐ひそと母子かな
貧厨にドカと位す冷蔵庫
霊棚や二代養子の父と夫
墓参路や帯まであがる露しぶき
掃苔や景行帝の御所ちかく
真額(まっこう)に湯布嶽青し苔を掃く
ひよどり来きくいただき来人来ずとも
月光を浴びて煙にはたらけり
忌ごもりのしのび普請に秋老(た)ける
香の名をみゆきとぞいふ冬籠
吾児美(くは)しラガーと肩を組みてゆく
昭和九年
貸家より主屋(おもや)が低し寒雀
銀の爪くれなゐの爪猫柳
花日々にふくらみやまず書庫の窓
書庫のまどつぎつぎにあくさくらかな
母の名を保護者に負ひて卒業す
いまそかるみ霊の父に卒業す
かたくなに枝垂(しだ)れぬ柳道真忌
貫之の歌たからかに菜摘人
玄海に花屑魚(かなぎ)育てて碧き潮
卓の貝深海の譜をひそと秘む
芽檪や鵙こぶかくも番ひ棲み
書庫暗し若葉の窓のまぶしさに
日々の足袋の穢しるし書庫を守る
紋のなき夏羽織被りて書庫を守る
司書わかし昼寝を欲りし書を閲す
児に頒つ数頃(けい)の田や初蛙
かはせみに鴬をよそはぬ老樹なく
かはせみに襤褸の漢水を飲む
月見草に子におくるゝの母帰宅
月見草に食卓就(な)りて母未だし
萩ににて萩より勁し矢筈草
涼しさや帯も単衣も貰ひもの
干梅の皺たのもしく夕焼くる
汗の身を慮りて訪はず
大旱のむなしく冷ゆる溶鉱炉
煙突の魂ぬけてたつ強(つよ)旱
貸ボート旗赤ければ空青く
蓼咲いて葦咲いて日とっとっと
父のなき子に明るさや今日の月
月あらば片割月の比(ころ)ならむ
おもむろに月の腕を相搦み
夜の闇さ椎降る音の降る音に
梟やたけき皇后(きさい)の夜半の御所
梟に森夜ぶかくもくりつれ
み仏にささぐる花も葦の華
吾がいほは豊葦原の華がくり
華葦の伏屋ぞつひの吾が棲家
棲めば吾が青葦原の女王にて
鹹(しおから)き啖を嚼みつつ風邪に耐ゆ
孵卵器もnoteも春の寝に委ね
修道女のその胼の手を吾が見たり
節穴の日が風邪の子の頬にありて
吾子ををしスキーを肩に我が門(と)出づ
スキーヤのその右肩の聳ゆるや
化粧(けば)ふれば女は湯ざめ知らぬなり
子乞食に冬日あつめてドウムの扉
葦火してしばし孤独を忘れをる
海鼠打にすぐゆふがたが終ふなり
枯葦に雨しとしとと年しそぐ
昭和十年
児が駈けぬ母が駈けりぬ山椿
受話器もて笑ふ顔見つ合歓の窓
鳥追の車掌に剪らす切符かな
人絹の鳥追笠の朱ケの紐
葦の穂の今朝こそくろし春の雨
書庫の書に落花吹雪き来(く)しづかにも
書庫瞑く春尽日の書魔あそぶ
書庫瞑く書魔生(あ)るゝ春逝くなべに
燈(ひとも)りぬ花より艶(あで)に花の影
孵卵器を守れる学徒に日永くも
蝌蚪の水森ぐんぐんと緑し来(く)
母婦会の帰路夜桜へ連れ立ちて
ヨットの帆はろかに低しつゝじ園
常(とこ)乙女めく夫人去り燕来し
相椅りて枝うちかわす新樹かな
紫陽花や夫(つま)を亡くする友おほく
桃美(くわ)しかたいしもゝと疎まれて
明けて葬(はふ)り昏れて婚(めと)りや濃紫陽花
起居懈しきんぽうげ実を挙げしより
緑蔭や矢を獲ては鳴る白き的
吏愉(たぬ)し半休に入り弓を引く
痩せて男肥えて女や走馬燈
百千の指紋の躍る書を曝す
既に陳(ふ)る昭和の書あり曝すなり
汝儕(きゃつら)の句淵源する書あり曝す
塔屋(タワー)白しそだちやまざる雲の峯
青葦の囁きやまず端居かな
藤椅子の上にも図書のはびこれる
小風呂敷いくつも堤げて墓詣
村人に轡をとらせ墓詣
四五人の村人伴(つ)れて墓詣
掃苔の手触りえ灼くる墓石かな
掃苔や夫なき母をいたはりて
故里を発つ汽車にあり盆の月
貸してある家も等しく柿の秋
稗の穂は垂り稲はツンツンと
篠白し月蝕まれつついそぐ
考へに足とられ居し蓼の花
母帰るや否や鶲が来しといふ
鶲来て母は毎日不在なり
鶲の路月の骸(なきがら)横たはる
群衆にもまれてみたし秋の暮
昭和十一年
随身の美男に見(まみ)ゆ初詣
種子明かす手品師も居し初詣
幾何を描く児と元日を籠るなり
毛糸編み居てその胸が灯を点す
影を曳く石ころとゐて暖かし
円き日と長き月あり紙鳶の空
アカシヤや庵生が愛づる喧嘩蜂
大いなる弧を描きし瞳が蝶を捉ふ
土蜂や農夫は土に葡匐する
書庫瞑(くら)しゆうべおぼろの書魔あそぶ
赫茶(あかちゃ)けし書魔におぼろの書庫燈る
書魔堰いて書庫の鉄扉が生む朧
書庫古りて書魔老ひて花散りやまず
痩せ麦に不在地主の吾が来彳つ
小作より地主わびしと麦熟るゝ
藍を溶く紫陽花を描くその藍を
春服や青緑のペン胸にあり
偸みたる昼寝芳し事務の椅子
的礫や風鈴に来る葦の風
風鈴や古典ほろぶる劫(とき)ぞなき
風鈴に青葦に青葦あをき穂を孕む
瑞葦に風鈴吊て棲家とす
軒ふかしこの風鈴を吊りしより
翡翠の飛ばぬゆゑ吾もあゆまざる
翡翠に遅刻の事は忘れ居し
笹枯れて白紙の如しかたつむり
東京久保よりえ夫人に
この梅にかく椅られ居きかくは椅る
都塵濃し緑恋しと鯉幟
紅塵を吸うて肉(しし)とす五月鯉
五月鯉吾も都塵を好みて棲む
緑樹炎え日は金粉を吐き止まず
あらくさにたんぽぽが伸び鬼棲めり
緑樹炎え割烹室に菓子焼かる
颱風に髪膚曝して母退勤来(ひけく)
汗臭き鈍(のろ)の男の群に伍す
額(ぬか)に汗しいよしいよ驕る我がこゝろ
そくばくの銭を獲て得しあせぼはも
開けたてになほ戞々と秋扇
小作争議にかゝはりもなく稲となる
おばしまにかはほりの闇来て触るゝ
月の名をいざよひと呼びなほ白し
我を怒らしめこの月をまろからしめ
怒ることありて恚れり月まどか
月まろし恚らざる可らずして怒り
嫁ぎゆく友羨(とも)しまず柿をむく
柿をむきて久遠(とは)の処女もおもしろし
紫の蕾より出づ銀の葦
かたくなに櫟は黄葉肯ぜず
楢櫟つひに黄葉をいそぎそむ
寒風と雀と昏るゝおのがじし
寒雀風の簇(やじり)にまじろがず
まつくらき部屋の障子に凭れ居し
八ツ手散る楽譜の音符散る如く
黒き瞳と深き眼窩に銀狐
鳰の描く水尾の白線剛かっし
婢を具して登校の児の緋のマント
ペンだこに手袋被せてさりげなく
雪ふかき田家に火のみ赤く燃ゆ
赤光(しゃっこう)をつらねてくらし遠山火
山火炎ゆ乾坤ゆるぎなく
山火炎ゆ嘗て幼の吾に炎えにし
昭和十二年
都府楼古址
山上憶良ぞ棲みし蓬萠ゆ
蓬萠ゆ憶良・旅人に亦吾に
蓬摘む古址の詩を恋ひ人を恋ひ
万葉の男摘みけむ蓬摘む
木蓮に白磁の如き日あるのみ
網膜に芥子の真紅を真紅に鐫り
たゞならぬ世に待たれ居て卒業す
吉信帝大に入る(一句)
新しき角帽の子に母富まず
月見草灯よりも白し蛾をさそふ
月見草勤労の歩のかく重く
朝の路水より素(しろ)し蟻地獄
蟻地獄寸刻吝しき歩をはゞむ
颱風鬼吾が唇の朱を奪ふ
吾が皓歯颱風の眼をカツと噛む
颱風は萩の初花孕ましむ
六月十七日台湾赴任の澄子夫妻を送りて(二句)
汝がゆくて片蔭ありやなほも行くや
家貧にして花葎まつさかり
秋風をそびらにいそぐ家路な
谿の家古りおのがじし柿の秋
人膚に肖てあたゝかき枯木かな
十月 支那事変応召の友を歓迎して三句
秋の雨征馬をそぼち人をそぼち
焦けし頬を冷雨に搏たせ黙し征く
秋雨(しゅうう)来ぬ重き征衣を重からしめ
水鳥に兵営の相たゞならじ
夜ぞ深き葦を折りて北風と呼ぶ
夕日赫っと枯野白堊にぶっかり来
寒鮒を堕して鳶の笛虚空
降霜期耕人征きて家灯(とも)らず
青きネオン赤くならんとし時雨る
鉄扉して図書と骸の歳と棲む
かたくなに吾が額つかずクリスマス
老醜やボーナスを獲てリリと笑ふ
用納めして吾が別の年歩む
家事育児に疎まれて我が年急ぐ
悪妻の悪母の吾の年急ぐ
昭和十三年
年立てり家政の鍵の錆ぶまゝに
書に触るるうれしさのみにかじかめる
花吹雪く窓をそがひに司書老ひたり
健次郎を七高に入れて(二句)
寮の子に樗よ花をこぼすなよ
汝に告ぐ母が居は藤真盛りと
路幽く椿のべにを燃えしめざる
都府楼址
茅(ち)萠え芝青み礎石にかしづける
茅に膝し巨き礎石の壁に触る
鴬が鳴くゆゑ路が遠きなり
女子専門学校父兄会に出席して(三句)
苺ジャムつぶす過程にありつぶす
苺ジャム甘し征夷の兄(え)を思ふ
苺ジャム男子はこれを食ふ可らず
蚊の声の中に思索の糸を獲し
山の蝶コツクが堰きし扉に挑む
苔の香のしるき清水を化粧室(トワレ)にひき
女子高遭芝青きゆゑ蟹は紅く
階高く夏雲をたゝずまはしむ
田草取に鏡の如き航空路
葦咲いて夏をあざむくゆふべあり
刈稲の泥(ひぢ)にまみれし脛幼し
七周忌に(一句)
夫の忌を修すや風邪の褥(しとね)より
寒波来し昨日(きぞ)としもなし芝に坐す
寒波来ね月光とみに尖りつゝ
寒暴れの門司の海越え来し電話
たゝまれてあるとき妖し紅シヨール
ものの香を秘めてショールやたゝまれあり
片頬にひたと蒼海の藍と北風(きた)
埋火た今日の苦今日に得畢らず
かたくなに日記を買はぬ女なり
極月三十日 友の一家と太宰府に詣づ
旅人も礎石も雪も降り昏るゝ
埋火に怒りを握るこぶしあり
埋火の上落魄の指五本
おそき子に一顆の丹火埋め寝る
昭和十四年
明治神宮
宝庫番と暮れてまかるや初詣
ちりひぢの旅衣装かしこし初詣
初富士の金色に暮れたまひつゝ
梅林にいくさを勝ち来妻を具し来
傷兵の白ければ梅いや白く
散る梅にかざし白衣の腕なり
茶屋ひくし梅林とほくなだれつつ
梅に翳すは左手なり垂れし右手は無し
傷兵に今日のはじまる東風が吹く
軍隊の短き言葉東風に飛ぶ
軍需の輸送の重き車輌ぞ雪を被来(きく)
吹雪く車輌征人窓に扉に溢れ
車輌吹雪き軍服床に籍きても寝る
暖房車に髪膚饐えつゝ旅果てず
やすまざるべからざる風邪なり勤む
寒行の眼鏡妖しく光り来る
壁眩し子故に推してかくは訪ふ
壁炉美(は)し吾れ令色を敢へてなす
壁炉あかしあろじのひとみひやゝかに
離れ棲む子の天遠し星祭る
星祭る子を伴れて子や里がかり
夫遠し夫遠し天の川通し
悲憤あり吐きし西瓜の種子黒く
無月にもあらずさやけきにもあらず
うつぶして華こそ勁し葦の華
英霊も秋風に夕まぎれつゝ
子といくは亡き夫(つま)といく月真澄
妻が守る防空の夜の露けさよ
金色の尾を見られつゝ穴惑ふ
鈴懸黄樹を鉾とし葦を楯とし棲む
鵯鳴いて古址には古址の山河あり
鵯問へば鵙が答ふる答へけはし
鵙裂帛の怒りを恚り鵯ゆづらず
吾が胃吾が手に触れしよりの夜長かな
大学生に買はれて哀し塩鰯
塩鰯啖つて象牙の塔を去らず
寒雀傲岸に蘆華猖介に
かく粗くかつ軽けれど今年米
なつかししうすきふとんのかたきさへ
残菊や時めく人に訪はれ
枯銀の杏空のあをさの染むばかり
年けはし炭欲る心打ち捨てたり
石炭を欲りつゝ都市の年歩む
昭和十五年
我が子病む梅のおくるるの所以なり
梅遅し先考・亡夫・病む嗣子に
梅おそし子を病ましむる責ふかく
梅白しかつしかつしとだれか咳く
春雨となるべき雨と思ひ行く
麗(うららかや)や松の美醜は松ぞ知る
磐に閲(せめ)ぐ兄弟わかし火蛾の下
白萩に神純白ををしむなく
きちきちに日は新しくがんばしく
きらきらまぶし日のまぶしさも之に如(し)かず
おそろしき創を裏(つつ)みて秋袷
黄葉す紅葉す斯く入院す
人死なせ来し医師寒し吾子を診(み)る
降るは落葉樹(た)つは胸像来るは学徒
落葉路胸像獲ては階となる
枯葦の辺に夜の路をうしなひぬ
葦枯れておほらかに見ゆ吾家かな
星すでにそだちて喬(たか)し枯銀杏
冬木鳴る昴(すばる)の星の鳴るばかり
昴(すばる)は神の鈴なり冬木触りて鳴る
冬木鳴る闇鉄壁も啻(ただ)ならず
古里の時雨を颪す嶽おそろし
色鳥をよそ目に煤寒雀
吾が性(さが)に肖(にし)し子を疎み冬籠
北風に飛ぶ人の隻語を聞きとがむ
昭和十六年
好日や紅梅の紅失すばかり
椿落ち古人この地にうづもれし
枯蓮や学舎は古城さながらに
樹頭より囀りの帯土に伸ぶ
土かなしみみずを竜とをどらしめ
起居の翳(かげ)やうやくふかし忍(しのぶ)吊る
菊美し嫁ぐべく兄征くべく
鵙昏るる吾がいとなみのたゆむなく
人の征(ゆ)くところ神征く東風はやく
その国の空の純(きよ)さを月知るや
昭和十八年
鋤鍬と農具の序あり注連打たる
母の道具今貫く月真澄
ひとへものほろこび家墻(がき)壊え壊ゆる
昭和二十三年
竜骨忌に
孤り棲む埋火の美のきはまれり
梅を供す親よろ背より子ぞ哀(かな)し
枯蘆に庭の紅梅香ぞいどむ
汝を悼む友皆遠し春の雁
健次郎就職(一句)
弊衣無帽無手袋なれど教授なる
帰省して村に与せず小屋棲ひ
嘗てみかどをここに埋むと木兎が鳴く
あめつちに在る吾のみ稲妻のみ
稲妻のぬばたまの闇独り棲む
稲妻の闇ぞ鋼鉄の寝の惟
水鳥人は一足づつ歩む
我れ語彙に「郷愁」を持ちすみれ摘む
すみれ摘みバイロン・シエレーなつかしゝ
木々に芽を吾に忘却を神は強ゆ
五月乙女の笠の咫尺に青朝日
五月乙女の笠昏きまで青朝日
日に昏くつきにましろく田植笠
欲りて世になきもの欲れと青葉木兎
夜半の吾が胸を吾が抱く青葉木兎
吾が寝園常にひとりの青葉木兎
憂愁は貧富を越ゆる青葉木兎
青葉木兎ひるよりあをき夜の地上
臥床吾以外は無なり青葉木兎
昭和二十四年
凩に吾をくろがねの像とし行く
鴨撃ちにあらがふごとく葦彳てり
父宝吉=三十三回忌、夫伴蔵十七年忌、
長男吉信五年忌を修して(二句)
梅を供す父と背は白子は紅梅
梅に紅梅あり母に煩悩あり
梅を手折る幽瞑き夫と子に
淑子大学卒業す
鳥雲に伏屋の女人哲学者
秋風に吹かるる心の解けるまで
枯葦の撥止とかへす吾が歌声
米堤げて野路の雪はた街の雪を
吾が米を警吏が量る警吏へ雪
米堤げてもどる独りの天の川
天に牽牛地に居て糧を負ふ
米にのみかかわり女です織女よ
眉をあげてタックルかけしラガーぞ彼
ラガー今キックと呼べり呼べるは彼
ラガー彼凱ち来と笑まふ瞬時の笑
穴を出し蛇居てはふりの梢に華やぐ
花ゆすら白し暮色をうべなはず
風鈴の古りし光蔭吾が歴(へ)たり
米堤げて火を吐く喉をラムネに灼く
米堤ぐる霜夜もラムネたぎらし飲む
ラムネ飲む銀河の河心まさかさま
ラムネあふる重き背の糧呪はれよ
夕顔開花に懐疑またたき初む
夕顔ひらく女はそそのかされ易く
かはほりに学窓秘史の燈をかゝぐ
学窓秘話さもあらばあれかたつむり
青蔦の窓の燈を恋ひ夜来しや
青蔦の窓の大学詩を生までや
蔦青し井ノクボの窓白紅の燈
青蔦が記憶裡の人を窓に描く
窓の合歓記憶の燈を持てばつく
芳草の香に咽せび寝ぬあばらやの
肩に背にまつはる蝶や薊煎る
夏蝶に髪膚ゆだね薊煎る
昭和二十五年
蚤と寝て襤褸追放の夢ばかり
青葦の風透徹す肝に腑に
架に書なし桶無し蝶花なし
睡壷抱きひとりの蚊帳にひとり棲む
女の不幸機影青葦を鳴らし過ぐ
雪の夜の毒薬買ひに行きしことも
夜半の雪起きてくすしに君馳せしか
死んではならぬと凍てし吾がてを犇ととりし
積乱雲以来爆音けはしく聴く
航空標識燈の梢(うれ)に中(あた)りて織女輝(て)る
航空標識燈光織女圏に入る
織女星に人の操つる電光(ひ)がとどく
扶助料といふ紙幣得ぬ百合買はな
血に痴(し)る蚊痴れしめ嫁を憎しみゐ
薔薇白し処女の倫理の昨日(きぞ)の栄
蠅に鼻鼾なぶらせ心怒ってゐる
風鈴に相黙し「時」純粋なり
月を見る娘(孜こ)を托すべき男欲り
今宵今年のつづれさせ虫啼き出づる
つづれさせ虫今孜々とつづれさす
虫の音をつづれさせなど聴きしは誰ぞ
虫にすらつづれさせし祖(おや)通し
つづれさせ貧しき歴史負ひて啼く
民俗悲劇吾と虫にもつづれさせ
今日より吾「つづれすてろ」と蟲啼かしむ
断つべきの愛情は断つ利鎌(とがま)月
女人高邁渇きに克ちてなつを鎖す
どくだみに匂はれてゐて世を拗ねる
痢を病むや少女となりて髪を下げ
颱風を衝(つ)きも衝きしや来(き)も来しや
喬林にかこまれ蝉にみなぎらるる
曼珠沙華ほろびるものの美を美とし
田中氏の卒業に
純白の初蝉にして快翔す
病床にて(四句)
黄沙来と涸れし乳房が血をそそる
青春を斉すに似る黄砂が降る
雨重し新樹のかさをかぶり寝て
一掬の新樹の翳を掌握す
絶筆二句
ペンが生む字句が悲しと蛾が挑む
蛾の眼すら羞ぢらふばかり書(ふみ)を書く