本-開沙彌慶悟の「言いたい法話」シリーズ本-開

満開を心待ちに開花を喜び、散る花吹雪を惜しみ悲しむ!咲く桜、散る桜。会うは別れの始めなり!

<<浮き世を見届ける老桜満開花盛り>>

 桜の季節ともなると、学校では卒業式と入学式!事業所・役所ではお疲れ様と退職あれば、夢膨らむ新入社員や役員を迎え、毎年それぞれ全国各地に咲く桜の元で繰りひろげられる束の間の人生の転機に日本人は観桜するようです。教信寺の老木ソメイヨシノは苔むす樹齢100年にもなり、その開花は到底若い苗木には比べようもない見事な咲き振りなのです。将に悟りの境地に達する100歳の老人と、背伸びするが未熟な若者の心の有り様と同じかもしれません。

また、この桜の季節には全国から御開山教信上人参りに浄土真宗の門徒の旁々がバスを連ねて参詣してくださります。

「親鸞聖人様が理想の僧と敬慕された教信上人のお寺に、一生に一度はお参りしたかったのです。有難や〜、なまんだぶナマンダブ〜〜!」と、参詣に来られたのに、一昔前では、境内で焼き肉バーベキューやカラオケ合戦で大宴会と、地域の方が花見をしておられたのには、さぞかし驚かれて全国津々浦々に帰られたことでしょう。

 震災復興より落慶した現在では、地域の方も、遠方からの参詣者も、静かにお寺の境内らしく、浮き世の喜びや、世の無常をそれぞれに感じ入りながら観桜されるようになりました。

 人の命も、人生も、よく此の桜の花にたとえられます。特に日本人には、とりわけ桜に特別な思いがあるようです。

それは、先に述べた様に、年度末で人生の転機を迎える季節であり、寒い冬から陽気な春に咲きほこる満開の桜は妖艶なエネルギーさえ感じるのかもしれません。将に限りある尊い命そのものを感じるからではないでしょうか?

境内桜木は、樹齢の間、毎年花を咲かせ、寿命を終えた老木は立ち枯れても、根本から新芽が伸びて世代交代を繰り返します。又、蝉や蜂など昆虫を育み、空気を浄化してくれています。

 佛教、特に今日中国のオリンピック聖火リレーで世界から注目を浴びているチベット佛教で人々は輪廻転生を当たり前のように受け入れています。徳を積めば再び人間か天上の菩薩に、罪を重ねれば地獄に落ちて、生まれ変わっても害虫か、極寒や灼熱の悪環境に苦しむ生物にしかなれない道徳思想です。日本でも昔はお寺の暗いお堂で地獄図を見せられ、子供心に、閻魔大王に舌を抜かれないように「決して人を陥れたり騙したりする嘘はつくまい!」と誓ったものです。しかし、そんな慎ましく生きてるチベットの民を軍事弾圧する中国は避難されて当然でしょう。毒入り餃子や人権問題にもアクション出来ない日本政府の対応は如何なものか!

完全に欧米からもアジアからも軽視される国に成り下がってしまい、奈良平安時代より、ご先祖様が国際的地位を築いたにも係わらず、虚しく感じる檀信徒の旁々も少なくないでしょう。

 桜から話がそれてしまいましたが、この時期、出会いと別れも人の数以上に見られます。

学友との別れ、進学での出会い。社会への初陣、会社退職から家庭や地域社会へ戻った再会。

生徒と先生の別れと出会い。恋人同士の出会いと別れ。新生児とのご対面もあれば家族との生き別れや死別もある。桜の花はそれら全てを黙って見守ってきてくれたから、花が咲けば喜怒哀楽一人一人の心の想い出を呼び起こし、満開の桜の木の下でお弁当を食べ、酒を酌み交わし歌い、踊り、語らい、笑い、泣くのですね。それが浮き世の人間が生きてる証でもあります。

そして人生の年輪を重ね、人生終盤を謳歌する人ほど、哀れみ慈しみを知り、悟りを開き、様々なご縁と恩恵に、最後に手を合わせて感謝を陳べずにはいられなくなり、ついつい、お念佛を称えてしまうのでしょうか。さあ同胞の皆様!共に一刻も早く教信上人が始められた、心からの感謝や祈り、善行の全てを言葉に含む、お念仏をお唱えしましょう。合掌 法泉院慶悟

「なまんだぶ。ナマンダブ。南 無 阿 弥 陀 仏」

CBの和尚2008.4.7灌仏会花祭り前夜祭

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