依頼された公演や、プロでもアマチュアでも出演本番を控えた諸君の為に!

サトリの格言シリーズ

(その1〜その6)

 

(格言その1)

音楽はメトロノームではない!でも、メトロノームにさえ合わせられない一定の躍動するリズム感の無い人は、音楽を語る以前の問題で、もっと音楽的ではない!

聴衆に届けるリズムの仕事は、先ず共演者(伴奏者・室内楽奏者・ブラス・オーケストラ)と同じリズム感を共有しなくてはならない!その共演者同士が与え感じあえる価値観を共にして、安定した流れの中のテンポや、「ゆっくりになれば、立ち上がるパワー!」「早くなれば、どこかで落ち着く座標を見つけ終息する!」など、身体から迸る躍動感を発しなければならないし、素早く相手の意図を感じ順応させる能力も磨かなければならない!

(格言その2)

ダイナミックレンジのppからffは、自分勝手な適当な音量でなく、作曲者の要求や、音楽そのもの流れに要求される客観的な感動の大きさである!

自分の能力で適当に決めた強弱は、果たして国際水準で通用するのか?常に疑問を持ちながら、ある時は先導して、ある時は追従して、即座に周りの状況判断に対応出来なくてはアンサンブルにならない。特に、ppは周りの誰よりも小さな音で正しい音程を響かせ、ffは周りの誰よりも芯のある大きな音を響かせる努力が、その人をよりスケールの大きな奏者に育てる事になり、次の仕事の依頼に繋がるでしょう!

(格言その3)

感動的音楽演奏とは、終わりの無い果てしないサービス精神である!

隠れた個人の練習が、どれだけ追求して探求して鍛錬をかさねたかにより、本番で一人でも多くの人に驚きと安らぎと感動をもたらす度合いが著しく分けられる!1円でも徴収するチケット販売した場合、学生時代の試験やコンクールオーディションでの演奏とは全く別の価値観であり、国際水準以下のものは人前で演奏する価値は無い。なのに日本のクラシック界では、にわか演奏者が横行している!但し、水準を超えたものは、どんな流派でも奏法でも、厳しい聴衆から拍手を受ければ、それは自由である。もし自分流の音楽の確立が認められ、拍手喝采をあびたなら、その喜びは1億円の報酬にも匹敵する!

(格言その4)

本物とは、普通一般に考える人の、はるか上の、そのまた上の、しんどい事をやりつづけた人にのみ与えられる!

諦めたり、妥協して努力をやめた人は決して本物には一生なれない!何でも、どれだけ、しんどいことを克服していったかが、その人の価値であり、その人から溢れる音楽につながる!いまは分からぬ不特定多数の誰かの為に、身を粉にして、しんどい事をすることが、いつか、不特定多数の人に感動をもたらし認められ、憧れられる存在に なる!だから、いまするべきは、おもいっきりしんどい練習である!

(格言その5)

おもいっきり、しんどい練習とは、体力の限界に挑戦して、より効果的に肉体と頭と精神を使う事である!

しかし、一回の本番での理想のダイナミックスや音色やリズム感や音程を、常にイメージして、その効果的な演奏の為である合理的な厳しい練習でなくては意味が無い!また、困難を克服して積み重ねた隠れた努力が、やがて将来の展望につながるのです!まさに、それをどれだけしたかが、その人の実力であり、価値であり、名声と収入の評価につながるのです。脚光を浴びる欧州サッカー界や米国大リーグ野球の日本人スポーツ選手よりも以前から活躍してきた日本人音楽家や芸術家は数多く明治開国以来の豊かな才能の伝統が日本人にはある。彼ら欧米のメジャープロオーケストラの団員からコンサートマスターや指揮者は、学生時代から卒業後も、想像を絶する正しい練習を重ねてきた事がビッグチャンスを生かす事になり各界の頂点にデビューしてきたのです。

(格言その6)

本番とは、例え一人でも客席の聴衆がお金を出して聴いてくれる演奏会を言う!

そのとき、どれだけ、その人に感謝と敬意を音にしてお礼がいえるか!どれだけ、この本番の為に応援してくれた人たちに感謝の気持ちが音になるか!このステージに立たせて頂けた境遇に感謝できるか!両親や家族や親族や先祖に感謝できるか!に、よって、その人の音色が決まる!また、どれだけサービス精神が強いかによって、ppとffと差や頂点に向かうクレッシェッドや、フレーズの尻尾に向かうディミニエンドが効果的かが決 まる!また、どれだけ人を喜ばす事が好きかによって、一定のリズム反復の面白さや、粋なアッチェレやルバートが決定される!

以上!サトリの格言(その1)から(その6)までを肝に命じて、ギャラを貰ったりチケット販売したプロとしての大切な本番を楽しく成功させる為に、その日まで、しんどいしんどい練習をもっともっとしてください!

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