<母を偲んで>
平成19年5月9日、午後11時30分死亡推定とされた突然の母の遷化に驚き、嘆き悲しみに打ちひしがれました。
介護施設に日曜以外は、毎日寺院から通っていたので突然と言えば突然でした。その日は、いつもの様にデーサービスから帰って来て、楽しみにしてる「おやつ」も食べないで寝てしまわれたのです。しかし毎晩付き添い介護をする長女と次女も、私も、2.3日前から観測史上この時期に各地で30度以上を記録する真夏日と2日ごとに急に気温が激しく上下する変化に、疲れられてるのだとしか思えなかったのです。
朝のデーサービスのお迎えの時間が近づき準備の為、すぐ隣で寝てた姉が起こしに行くと、既に息をひきとられ硬くなってしまってたのです。隣に寝てる姉も気が付かない間の事です。なんともあっけない、まるで先代住職の時と同じ様に自坊の寝室での大往生でした。
思えば母は、浄土宗の寺のお嬢様として生まれ育ち、先代住職が戦後帰還されてすぐに法泉院にお輿入れされたのです。いわば一生を阿弥陀如来に捧げて寺院運営のサポートに徹した一生だったと言えます。
生前の活動は多岐に渡り、多種多芸、茶道華道は言うに及ばず、筆絵画、短歌、日本舞踊、琴、足踏みオルガンからハーモニカまで優雅に楽しまれる風流人かと思えば、一晩で着物を仕上げる和裁や、子供や孫達の洋服を縫い上げる洋裁のセンスとスピードも、プロが舌を巻く腕前でした。
また、寺院・家事の仕事に於いては、戦後の貧乏生活から菜園を作り精進料理の食材をまかなうタフさも兼ね備えていました。近年まで毎日の様に、突然の来客から様々な会で一度に来訪されるお客に対して、アッと言う間に10人20人50人100人分くらいなら気の利いた御食事を作ってしまうのです。食材がなければ、庭の草花まで旬の天ぷらとなり、庭先の紫陽花やハランの葉を積んでは素敵な皿となり色彩豊かに盛りつけられ、その上、箸もとには季節の花や干支が描かれ、誕生日の人には誕生花と花言葉まで添えられるのでした。
いつ何時も、どんな逆境も粋な計らいで楽しくされます。また、どんなに苦しくても愚痴を言わず楽しく笑いながら常に完璧にやり遂げる、長男の私から見ても二人として存在しないスーパー母さんでした。
例えば、檀信徒の皆さんが広い境内の掃除に来て下さる日の朝も、いつものように夜明け前から掃除をしているのです。先代住職が「壇家が掃除に来るから今日は休みなさい!」と気遣いしても、母は「折角、壇家さんがお寺に来てくれるんだから気持ちよく綺麗にしてお迎えしてあげないとね〜!」と草引き落ち葉掃除をさっさとしてしまうのです。結局壇家は「折角来たのに草も生えて無く掃除もするとこないな〜!」と、高い庭木の剪定するしか奉仕作業が無い始末だったのです。しかも、その作業中に全員の軽食を作って丁度終わる頃に冷たい麦茶と熱いうどん、食後に井戸水で冷やしたスイカを笑顔で出して労をねぎらうのでした。
毎週土曜日のお茶とお花の稽古日になれば、朝からの庭掃除もこなしてから参道石畳に打ち水し、書院の床からトイレまで生け花を飾り、炉に炭を入れて、まるで正客を迎えるように庭や座敷に凛とした空気を漂わせつつも、爽やかな自然の空気を取り入れて生徒を迎えるのでした。
まったく人を持てなす為なら、とことん労働を惜しまず阿弥陀佛に接するように、接客までの準備のご奉仕を捧げるお姿は、身内や手伝いの一部の人しか知らない事なのです。そんな事を決して口にすることなどありえないので、若輩の来客や茶花道の生徒は、最初は気が付きません。やがて稽古を重ねて行くにつれて、先生の偉大さを知り始め、漸く、その見えない時間の苦労に気が付き、皆が敬服してしまうのでした。
そんな自分に厳しい労働をする母でしたが、人に対しても、捨て猫や草花に対しても、厳しくしたことなど見たことも聞いた事もありませんでした。それどころか慈しみと奉仕の精神が旺盛な会話や振る舞いでは、常に馬鹿を演じ、人を安心させて、回りに大笑いを誘う普段の姿の方が印象に残るのでした。
阿弥陀如来の示導に随い先代住職を健気にサポートするお姿と、美しい日本女性の鏡のような嗜みを総て免許皆伝修得していながら、常に研究勉学を怠らず、けっして自慢したり横柄な態度をとるなど思いつきもしない純心爛漫な心で一生を終えられたお姿に、将にこの世に舞い降りた観音様の一生を見届けさせて頂いた気がします。その母の子として、これ以上の敬意と感謝の気持ちはありません。
突然の悲しみに連絡が行き届かなかったにも拘わらず、通夜・葬儀には各宗派を問わず本当に多くの寺院住職様とご夫人様、政財界のトップ、親族一同、茶花道の同僚から弟子、檀信徒からご町内の皆様で1000名以上の旁々に見送られ、惜しみない感謝とご冥福を祈られたのです。
子供の3兄弟から孫9人の殆どの親友・知人、先生・生徒までもが「お母ちゃん!おばあちゃん!」と親しみを込めて呼び、誰かまわず「ただいま!」と言って日参する日々に、誉れに思う反面「僕のお母ちゃんやで〜!」と幼少の頃は少々嫉妬する気持ちすら芽生える程でした。
明るく朗らかで裏表のない純真な心は、出会った総ての人に敬愛敬慕され、生涯父に尽くしお慕いされた母を最高の誇りに思います。
文化的で楽しい団欒のお寺を作ってくださり、有り難う御座いました。お二人が築かれた法泉院の気風を絶やさない精進を、この世に残された皆で致しますので、どうか安心して、阿弥陀如来様と父の待たれる西方極楽浄土へお旅立ち下さり、ご浄土からお二人で法泉院を見守っていてください。本当に本当にお疲れさまでした。合掌。
平成十九年五月大菩提日
長谷川菊野ファンクラブ代表:長谷川慶悟