教信寺だより
(その36)
無財の七施
仏法でもっとも功徳のある行為の一つにお布施があります。しかし、ただ金銀財宝を捧げる事ではありません。お布施とは、布を施すと書いてあります。今日の日本では若い僧侶でも大僧正の様な豪華な袈裟を身に纏います。ここから誇大表現を大袈裟(オオゲサ)と言うようになったのですが、元々は全てを捨てた修行僧がボロ布を身に纏うのに、農民庶民が少しの布切れを差し上げたのです。それをパンチワークの様に縫い合わせたのが衣の起源です。その証に、今日の贅沢な金糸を使った五条・七条などの衣も、大小さまざまな布を継ぎ足した様式を残しています。本来のお布施とは、財力のある人は勿論、財産を持たない人でも、誰でもが自分の能力に合わせて出来る功徳なのです。明日からは、そのお金のかからない、七つの方法について書かれた雑宝蔵経より七種施因縁のシリーズです。お楽しみに!合掌 2003.8/6
「眼施」
当院では今朝から遠方の檀家のお盆参りが始まり、まもなく出発です。さて、昨日の予告通り、お金や物が無くても、一人でも多く喜ばしていく、無財の七施の最初の方法が、「眼施」です。常に人に接する時に優しい目で施しなさい。「目は口ほどに・・」と言います。相手を思いやる心があれば、自然にやさしい眼差しになって、これが相手の心をうって、相手もやさしい心になって拝みあう。逆にきつい目になると相手は逃げたくなったり、戦闘的にさえなります。貴方が眼施をすれば、世界は平和につながります。と言うのがお釈迦様の尊い教えの一つです。合掌。2003.8/7
「和顔施」
お金や物が無くても出来る2番目の施しが「和顔施」つまり笑顔の施しです。盆参りで年配の方の顔を眺めていますと、いつもニコニコされている方に会うと、ホットしたり、和んだり、ついつい長居してしまったり・・・。逆に、よく怒る人は怒り顔。意地悪な人は意地悪な顔になっているような気がします。40過ぎたら自分の顔に責任を持てと昔からよく言われます。いつの間にか顔付が出来上がってしまうのですね。相手を気遣い優しいお顔で接し、人を和ませる施しを今日から始めると、貴方の人相もかわり、人生も好転すると、お釈迦様が教えてくださっています。合掌。2003.8/8
「言辞施」
三番目の施しは「言辞施」(ごんじせ)です。慈悲を持って優しい言葉で話す事。しかし、会って話をしても、電話で話をしても、手紙やE-Mailでも、口は災いの元と言います。誤解が誤解を招き、他人の噂を信じて本質を見ないで反省したり・・。だから人を陥れる4つの罪つくりの口の、「1.悪口」人の悪口は言ってはならない。「2.妄語」嘘をついてはいけない。「3.綺語」奇麗事ばかり言ってはならない。「4.両舌」あっちとこっちで違う事を言ってはならない。を戒め、人に思いやりのある優しい言葉を施しなさい。と言うお釈迦様の教えが言辞施です。合掌2003.8/9
「身施」
四つ目は「身施」です。少しでも世の為、人の為になる事を思いついたら、すぐに行動することです。例えば人が嫌がるトイレ掃除を進んでするボランティア精神です。近年、人が見てる時だけ自分を認めてもらう為に良い行動する人がいますが、人が見ていなくても、誰かの為に良いことが出来ないと本物ではないですよね。脳梗塞で倒れる最近まで、前住職に嫁いで以来60年、まだ人の気配の無いうす暗い早朝から広い境内や自坊の掃除を毎日していた母こそ、この「身施」が仏法で言う徳を積むと言う行為なのでしょうね!合掌 2003.8/10
「心施」
無財の七施いよいよ核心に近づきました。その五番目が「心施」です。これは難しそうですので、簡単に説明しますと。出来る限り思いやりのある心で接しなさい。と言うことです。仏法は慈悲を説くと言われてます。しかし、人の苦しみは受け止めても、人の喜びを自分の喜びとして受け止められません。昔から「人の不幸は蜜よりも甘く、隣の蔵が壊れる音聴けば、ウグイスの声より心地よい」と、言われます。これではいけません。たまたま出合った人の苦しみも、喜びも、自分の苦しみや喜びに受け止める心が「心施」と言う事でしょうね。合掌。2003.8/11
「床座施」
六つ目は「床座施」(しょうざせ)です。電車のシルバーシートは勿論の事ですが、席を譲りましょう!と言う事です。近年の若者が、老人を労らなくなりました。老人だけでなく、親も、先生も、先輩も、年上の人に敬意を持って接しなくなったのです。それは、自分勝手な生活を望み核家族で別居する家庭に問題があります。たとえ同居でも各部屋に鍵をつけてお互いが無関心、自分の両親や嫁いだ家の親の世話を避けてる親を子供が見て育ったからでしょうか??心施や身施を心がければ、居心地のよい自分の席を老人に譲り、いたわる事ができます。お盆の先祖供養は、先ず生きてる親や祖父母への床座施から!合掌2003.8/12
「房舎施」
いよいよ、最期の七番目になりましたのが「房舎施」(ぼうしゃせ)です。簡単に言えば自宅を皆に貸し与えなさい!と言う事です。でも、最近、冠婚葬祭の時でも、ホテルや旅館を利用して、親族さえ家に泊める事は少なくなりました。お互いが気を使い過ぎてしまうのでしょうか?しかし、ありのままを自然に開放して居心地のいい場所を提供できれば、気兼ねなく喜んでもらえます。その為にはいつも屋敷じゅう掃除をしないといけませんが、重要なのは豪華なオモテナシでなく、自分の持てるもの全てを快く出し切る「無財の七施」こそ、素晴らしい功徳だとお釈迦様が教えて下さっています。合掌。2003.8/13
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