本-開平和の祈り本-開

「比叡山宗教サミット15周年記念」

(宗教サミット京都国際会館ホール写真)  (同時通訳を聞く参加者と筆者の写真)

 2002年8月3〜4日に比叡山宗教サミット15周年を記念して、3日は国立京都国際会館で「イスラムとの対話集会」と題して世界の宗教界の関係者が集結して各国の言語に同時通訳されたフォーラムが開かれました。翌日4日は比叡山で「イスラーム」「ユダヤ教」「神社」「仏教」「キリスト教」「新派神道」「新日本宗教」それぞれの代表が平和の祈りを捧げました。

 私は「一隅を照らす運動中央大会」で天台フィルハーモニー管弦楽団&合唱団を率いて数年前に公演した懐かしい会場「国立京都国際会館」へ参加しました。

 主催者である天台宗の実行委員長の挨拶に始まり、世界からのご来賓の紹介、文化庁長官・日本宗教連盟理事からの祝辞、祝電にローマ教皇・聖ヨハネ・パウロ世、アズハルト総長猊下、小泉首相らのメッセージが読まれました。

 その後、記念公演として、サウジアラビアのイマーム・ムハンマド・ビン・サウード・イスラーム大学学長のムハンマド・アサド・アッサーリム博士が「イスラムの平和主義」と題して講演されました。

アメリカでの同時多発テロによってイスラムに対する誤解に満ちた偏見に、イスラム教は平和を最も愛する宗教だと熱弁され、改めて世界のどの宗教も平和を願っていることに間違いはないと言うことに、全ての参加関係者に確認できたのです。

 いつの時代も、政治、戦略、戦争、民族紛争に、最も団結力をもたらす様々な宗教が意図的に、或いは誤って利用され、悲惨な憎しみと苦悩を生み出してしまったのは人間の性ではないでしょうか。宗教のもたらす神髄は全生命体の平和であり慈しみであり、救済であるはずなのですが、神仏の御心に背き、あやまちを犯すのはいつも愚かな人間です。

 小さな世界の、家庭や、町内隣人、学内や職場、市政や県政、国家と国家の誤解と憎しみも、根は同じかも知れません。平和を祈ると言うことは、個人の心の平和を保ち、他が祈る平和を尊重する精神そのものなのです。

 人間の心の成熟こそが宗教の本来の役目であり神仏の意思なのですが、近年その庶民の水先案内人である政官財界のあやまち、立法府派遣の教育者や各宗教団体の若い聖職者の心の未熟さも見逃せません。皆さんは、口先や偽善者の態度に惑わされず、自分の主義にあった宗旨・宗教と、心の目で信頼できる聖職者を選び、本当に悩み苦しんだときに、自己形成のための助言を求めなさい。

 決して心が病んでいるときに藁をもすがる気持ちで選んではいけません。心身共に健康で平穏な時こそ、先に良く見極めて選ぶことです。そうすれば、信じて良い宗教か、信頼して良い人物か、少なくとも貴方の判断ミスは減少するでしょう。

 本来の宗教とは、「他を尊びつつ自らも尊ぶ」「己を忘れて他を利する」「汝の敵を愛せよ」「自然界の恵に感謝」「ご先祖を崇拝し、子孫の幸福を願う」と言う精神を養う為に、自然界の真理や道理を正しい目・耳・身・心で感じ、正しい智慧を蓄積して、正しい判断と行動をとる自己形成向上の教則本のはずです。

 人の心に慈愛を植え付け、いつも心に慈悲の行為を芽生えさせ、抵抗無く自然に振る舞い奉仕活動をする身体労力こそ、生涯を通して精進できる真の宗教と言えるのだと私は思います。

音楽家念仏聖:慶悟沙彌

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